第1話 反逆者編より‐討伐‐
【前編】


 どうか、無事でいてくれ。クライブの胸の内は、その一言に尽きた。
 他にはもう、何も要らない。自分の落ち度のせいで危機に瀕しているかも知れない大切な息子をひたすらに想い、クライブは歩き慣れて長い樹海を突き進む。
 前方を歩く、2人の請負人の少年達。彼らが、頼みの綱だ。万が一にも、彼らの足を引っ張る様な失態は許されない。
 絶対に、足手纏いにはならない。自分の身は、自分で守る。2人との、約束だ。
 クライブは愛用の大弓と矢を握り締め、周囲一帯を警戒する。全神経を研ぎ澄ませ、いつでも放てる様にと準備を整える。
「ねえ、後どれぐらい?」
「! ああ、そろそろ見えてくる筈だ」
 警戒と緊張の余り、シエルと名乗った白ずくめの少年の問いに応じるのに遅れが生じた。が、当のシエルからは特に気にした素振りは見受けられない。
「そう。分かった」
 無感動な声で、シエルは言う。
 ここに来てようやく、クライブは気が付いた。シエルの左手の華奢な指に、希有な指輪が装着されている事に。
 実際に目にするのは初めてではあるものの、クライブは知識として知っていた。あれは単なるアクセサリーなどではなく、魔力を凝縮した無色透明の魔法水晶(ウィザードリークリスタル)が嵌め込まれた魔法指輪(ウィッチクラフトリング)だ。
「……あんた、魔法使いか?」
「気付くの、遅くない?」
 振り向きもしないシエルの言葉は、やはり冷ややかなものだった。
「仕方ないですよ、シエル。クライブさんは、ネスティさんを助ける為にずっと必死だったんですから」
 長柄槍を軽々と担ぐソラと名乗った少年が、クライブを擁護する。けれど、シエルは反応しない。彼は無言で指輪を左手の指から右手の指へと装着し直すと、先の会話とほぼ無関係な台詞を淡々と吐いた。
「あれだね」
 シエルが見据えるのは、広さと高さを兼ね備えた樹海北方の洞窟。即ち、クライブを含む3人の目的地に他ならない。
 心臓がばくばくと、激しく脈を打つ。緊張と不安が心に重くのし掛かり、当初より感じていた息苦しさを増幅させる。
 クライブは付き纏うそれらを懸命に振り払う傍らで、改めて覚悟を固めた。ただただ、前へ前へと足を動かした。
 しかし、そんな矢先だった。響き渡った悲鳴に、クライブの身は凍り付いた。
 同じ様に悲鳴を聞いたのであろう、2人の少年達の歩みが一時的に停止する。間髪容れずに、ソラが口を開いた。
「今の悲鳴って……」
 ソラが言い終えるのを待つ余力すら、既にクライブには残されていなかった。
 張り巡らせていた警戒も、整えていた呼吸も、繋ぎ止めていた理性も、何もかもが台無しになった。真っ白になった。
 クライブは2人の少年達を追い越し、死に物狂いで疾走していた。
「ちょっと!」
「クライブさん!」
 シエルの叱責の声も、ソラの動揺の声も、クライブは全て無視した。いや、無視せざるを得なかったのだ。
「ネスティ!」
 クライブは喉に痛みを感じるほどに強く、大きな叫びを上げていた。
 目指していた洞窟からほんの僅かに離れた、卓然とそびえる無数の樹木。その下に探し求めていた息子の姿を見付け出すまでに、さしたる手間は掛からなかった。
 ネスティは1本の樹木の幹に背を預ける様な体勢で尻餅を突き、蒼白顔でがたがたと恐怖におののいていた。
 ネスティの見開かれた瞳に映るものを、やがてクライブも認識する事となる。
 クライブとネスティの視界に共通して存在する、鷹に酷似した――それでいて、どう見積もっても優に2メートルを超える巨体を持った鳥。クライブが話に聞いていた魔物に、間違いなかった。
 魔物は荒々しい双眸でネスティに狙いを定め、じりじりと距離を詰めて行く。襲い掛かるのは最早、時間の問題と言えた。
 獰猛な魔物を前にクライブは強烈な怯えを隠せないでいたが、だからといって放っておく選択肢などある筈がなかった。
「ネスティっ!」
「……お父さん……?」
 ようやくクライブに気付いたらしいネスティの表情はたちまち決壊し、あっという間に泣き顔へと変わった。
「ネスティ君!」
 そして、もう1つ。ネスティの名を呼ぶ、若く高い女の子の声があった。
 声は洞窟のある方角からこちらに向かって駆けて来る、ネスティと同年代と思わしき見知らぬ少女のものと考えられた。
 銀のチョーカーを身に付けた少女はネスティの元に到達するや否や、息を呑んだ。彼女も、魔物を目にしたのだ。
 魔物は1度、ちらりとクライブに視線を寄越した。しかしながら、直ぐに外された。魔物はクライブよりも、手近にいる2人の少年少女を選んだのだ。
 激しい振動を続ける身体に鞭を打ち、夢中で弓を構えるクライブ。座り込んだまま、とうとう嗚咽を漏らし始めるネスティ。呆然と立ち竦み、動けなくなった少女。
 魔物がまた1歩、進み出た。まさに絶体絶命、絶望的な状況だった。

「全く……勝手な真似、しないでくれる? 迷惑なんだけど」

 心底からの不満を具現化した、シエルの声色。クライブは彼の言葉を、混沌とする思考の片隅で聞いた。


‐前編 終‐


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