第5話 破壊者編より‐夜闇にて‐
※このページの文中には、やや過激な描写が含まれています。
【中編】
つい先程まで美しく澄み渡っていた噴水の水が、鮮やかな紅色に染まっている。この光景を目の当たりにした瞬間、キャロの背筋は凍った。
噴水の周りに、複数の凄惨な死体が転がっている。キャロの記憶に間違いがなければ、これらの死体は噴水付近の警備を任されていた2人の警備員と1人の請負人(コントラクター)の物だ。
死体の損傷はいずれも激しく、とても直視は出来なかった。たちまち込み上げた猛烈な吐き気を懸命に堪えるのが、今のキャロの精一杯だった。
「一体、誰が……」
「さあね。けど、相当まずいよ」
ソラとシエルの会話も、殆ど頭に入らない。
「訓練を受けてきた、警備員2人。それに『金』の請負人。そんな3人を簡単に退けられる様なのが、直ぐ近くにいる訳だから」
シエルの声音は依然として淡々としているものの、表情は険しい。細められた瞳が、夜の闇を睨む。
「おい、どうした!」
キャロ達と同様に騒ぎを聞き付けた警備員や請負人達が、こちらに向かって走って来る。
「あ……た、大変なんです! ここで……っ」
蒼白顔のロビンが全身の震えを抑える傍らで、なんとか口を動かし始めた時だった。
キャロ達が佇む噴水付近に真っ先に接近したのは、あの厳格な警備員。そして――彼は間もなく、余りにも呆気なくその場に崩れ落ちる事となった。
キャロ達が同時に息を呑み、硬直した。
崩れ落ちた警備員の身体より吹き出す、おびただしい血飛沫。誰もが、呆然と立ち竦んだ。
悪夢は、まだ終わらない。
こちらに近付いた他の警備員達が、請負人達が。皆が一様に、厳格な警備員と同じ道を進んだ。鮮血で作られた海が、瞬く間にキャロ達の足元まで達する。
キャロとロビンの、恐怖に満ちた絶叫が一帯に木霊した。何が起こっているのか。何がどうなっているのか。何もかもが分からない現状は、2人を恐慌状態に陥らせるには充分が過ぎた。
「キャロさん! ロビンさん! 逃げて下さい!」
ソラの叫びが、辛うじてキャロの耳に届く。
「――誰?」
次いで聞こえたのは、シエルが発した静かな問い掛けだった。彼が、問い掛けをした相手は。
「なんだ。また、貴様らか」
夜闇の中に、人影があった。平静を失っていたキャロやロビンが気付けなかった、1つの人影が。
人影の手には、大量の血に塗れた大太刀がある。これを視界に収めて、キャロはようやく今し方ここで起こった悪夢の正体を把握する所となった。
「こっちの台詞なんだけど」
シエルの声は静かではあるものの、そこには明確な不快感と明確な敵意が垣間見えた。
月の光が、人影を照らし出す。
「ロベルト=バスティード」
シエルが呟いた名を、月の光に照らし出された長髪の男をキャロは知っている。
月の光と大量の返り血を浴びたロベルトは、狂気の笑みを湛えてこちらへ悠然と歩み寄る。
「……イヴェール人……」
がちがちと奥歯を鳴らしながら、後退るロビン。
「む、無理だ……勝てる訳がない……」
「逃げろって言ったの、聞こえなかった?」
そんなロビンに、振り向く事すらしないシエルが冷ややかに突き放す様に言い放った。
「キャロさん、ロビンさんをお願いします」
「! でも、ソラ君達は――」
「急いで下さい!」
キャロの言葉を遮断して再び叫ぶ否や、ソラは疾走した。長柄槍を手にロベルトに挑んで行く彼の横顔には、一片の余裕すら存在しない。
「シエル君……ソラ君……っ」
けれど、無力なキャロに選択肢などなかった。
* *
ソラが両手で握り締めた長柄槍とロベルトの右手の大太刀が、激しい金属音を立ててぶつかった。
しかし、大太刀は動かない。びくともしない。ソラの表情に、色濃い焦りが滲む。
「く……」
「懲りない奴だ」
ロベルトの途絶えない笑みは、シエル達の緊張を掻き立てる。渾身の力を込めたソラの攻撃すら、彼にとっては取るに足らないものでしかないのだ。
シエルはほんの一瞬だけ、キャロとロビンに視線を寄越した。本来それどころではないのは承知の上だが、無視も出来ない。いられては困る。
現状のシエル達には、キャロ達をロベルトの刃から守る術がない。故に、去って貰う必要があった。
どうやら、彼女達はちゃんと逃げてくれたらしい。駆ける2人の背中が、徐々に遠ざかってゆく。
速やかに視線を戻したシエルは、程なくして気付いた。ロベルトの左手の、僅かな動きを。ソラによる攻撃を防いでいる右手の大太刀とは別に、ロベルトの左手には鋭利な小太刀があった。
させない。シエルは、走った。
魔法指輪(ウィッチクラフトリング)に嵌め込まれた無色透明な魔法水晶(ウィザードリークリスタル)が、7色の光を帯びる。シエルは大きく手を振り上げ、自らの能力である聖光を生み出した。
神聖なる、金色の光。足を止め、正確に狙いを定め、シエルは手を振り下ろす。
真っ直ぐに放たれた金色の光線がロベルトの小太刀を弾き、彼の動きを微かに鈍らせた。
いける。
シエルは更に走り、ロベルトの背後に回った。
ロベルトの右手は塞がっており、左手の凶器は無効化した。やるなら、今しかない。
シエルの指輪が再度、光を生む。
「まずまず、といった所で御座いましょうか」
シエルの真後ろから、不気味な嘲りが聞こえた。
瞳を見開いたシエルは、完全に動作を忘れた。頭の中で構築していた戦略が、完全に吹き飛んだ。
冷たい何かが、首筋に宛てがわれたのが分かった。眼球のみを頼りに恐る恐る後方を窺うと、修道服を纏った長身の男が視界に入った。
「貴殿らの様な弱者は、正面以外にもお気を遣う事をお勧め致します。でなければ――」
「っ!」
首筋に生じた小さくも鋭い痛みの後、微量の生温い液体が緩やかに背中へと伝い落ちる感覚があった。
「最悪、死んでしまいますよ?」
現在進行形でシエルの命を握る仕込み杖の刃も、不気味な嘲りも。全てが、この修道服の男の物だ。
なんの気配も、なんの音もなかったのに。なのに、修道服の男はこうしてここにいる。
悪寒と鼓動の加速は、一向に止まらない。
‐中編 終‐
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