第3話 逃亡者編より‐終着点‐
「ワイズ……お願い、目を開けて……ワイズ……」
 啜り泣く、アンジェラの声が聞こえる。
 仰向けに倒れたワイズは、答えない。微動だにしない。アンジェラの瞳から絶え間なく滴る雫が、血に塗れた彼の身体にぽつりぽつりと落ちて行く。
 そして、キャロもまた泣いていた。
 キャロやアンジェラの目の前で、ロベルトの大太刀の餌食になったワイズ。自分は彼が斬られる様を、ただ見ている事しか出来なかった。
 キャロは、絶望していた。無力な自分に。腹立たしくて、敵わなかった。無力な自分が。
「さて、次は――」
 真っ赤に染まった大太刀と小太刀を手に、ロベルトがせせら笑う。彼の狂気に満ちた双眸が見据える先には、ワイズに縋り付くアンジェラがいた。
 アンジェラは完全に放心していて、ロベルトの視線にすら気付いていない。気付いたとしても、最早抵抗する精神的余力など残ってはいないだろう。
「……っ!」
 キャロの中で、何かが弾けた。
 キャロは手中にあった護身銃の銃口を、衝動的にロベルトへと向けていた。無駄な足掻きでしかない事は、分かり切っているのに。
 銃口はキャロの内情を反映した様にがたがたと震えており、上手く狙いが定まらない。けれど、それでも彼女は決して銃を手放さなかった。
「愚かな『奴ら』だ。まだ分からぬか」
 ロベルトの台詞に引っ掛かりを覚えたキャロは、ふと彼の後方に目を遣る。長柄槍の先端をロベルトに向けて佇む、ソラの姿がそこにはあった。
「許さない……」
 そう呟いたソラの顔は、歪んでいた。今にでも泣き出してしまいそうなほど、酷く歪んでいた。
 不意に、ロベルトが沈黙する。
 ロベルトの表情はいつの間にか跡形もなく消失していて、一切の思考が読み取れない。張り詰めた緊張と気味の悪い沈黙が、暫しこの場を支配した。
「――興が醒めた」
 やがてロベルトは静かに言うと、キャロとソラから狙われている最中にも関わらず2本の太刀を平然と下ろし、鞘へと収めてしまった。
「我らが受けた依頼は、ワイズ=エリオットの始末のみ。運が良かったな、女」
 ワイズに縋り付いたまま放心するアンジェラに淡々と吐き捨てたロベルトは、もうキャロにもソラにも見向きもせず早々と踵を返した。
「待っ……!」
 慌ててロベルトを追おうと動いたソラの足はしかし、間を置かず停止する結果となった。
 1度だけこちらを振り向いたロベルトの目には、あの獰猛な光が戻っていた。ソラはその目に射抜かれ、凍り付いたのだ。現状のキャロと、同じ様に。
 ロベルトは倒れ伏した部下の存在さえ無視して、元来た道を1人悠々と立ち去ってゆく。
 キャロ達は、何も言えなかった。何も出来なかった。残ったのは、果てのない無力感。
「……アンジェラ……」
 ロベルトの後ろ姿が完全に見えなくなった頃、キャロ達はこんな覚えのある声を聞いた。
 はっとそちらを見ると、ほんの微かに開いた双眸で弱々しくアンジェラを見上げるワイズがいた。彼はまだ、生きていたのだ。
「ワイズ……? ワイズ!」
 キャロ達と共にワイズの生存に気付いたアンジェラが、無我夢中で彼の名を叫ぶ。
 キャロは半ば放り投げる様に護身銃を手放すや否や、早々にワイズの脇へとしゃがみ込んだ。そして、魔法水晶(ウィザードリークリスタル)を両手に持ち――心の底から、祈った。
「お願い……!」
 キャロの祈りに応えた水晶が、七色の輝きを帯びる。キャロはこれを、ワイズの傷口にかざした。
 水晶より伸びた白い光がワイズの身を覆い、彼の痛ましい傷を修復してゆく。少しずつ。少しずつ。
 どうか、間に合って。願わずには、いられない。キャロは懸命に、治癒魔法を操り続けた。
 そんな中、覚束ない足音がキャロ達の元へ近付いて来た。足音の主は、シエルだった。
 シエルはなんの言葉も発する事なくキャロと並んでワイズの傍らにしゃがむと、魔法指輪(ウィッチクラフトリング)を装着した右手をワイズの傷口に宛てがった。白い光に金色の光が加わり、ワイズの傷の修復が僅かに速まったのが分かった。
 シエルの横顔はキャロが今までに見た事がないほど真剣であると同時に、色濃い焦りを孕んでいた。
 ワイズの手が、ゆっくりと動いた。伸ばされたこの手は、真っ直ぐにアンジェラの方へと。
「ワイズっ!」
 ワイズの手を即座に握り返したアンジェラが、涙声で必死に彼に呼び掛ける。
「アンジェラ……」
「ワイズ! しっかりして!」
 何度も何度も、アンジェラは呼び掛けを続けた。他でもない、大切なワイズの為に。だが――。
「アンジェラ……済まない……」
 ワイズの手からあらゆる力が喪失し、アンジェラの手をすり抜けて緩やかに下降を始める。
「……あ……」
 やがて、血塗れの手が血塗れの大地に沈んだのを最後にワイズの動きは止まった。うっすらと瞼を開いたまま、彼は静かに息絶えていた。
「い、嫌……嘘よ……嘘でしょ……?」
 大きく目を見張り、眼下に広がる現実の受け入れを拒否する様に頭を振るアンジェラ。水晶を取り落とし、呆然とワイズの亡骸を凝視するキャロ。力なく座り込むソラと、ただ俯くシエル。
 泣き喚くアンジェラの声が、耳を離れなかった。

 * *

「ごめんなさい」
 ワイズの亡骸を前に尚も涙を流し続けるアンジェラに、ソラが沈痛の面持ちで謝罪の意を述べる。
「ごめんなさい……アンジェラさん」
 言い表せない悲嘆と無念と罪悪感を携えて、キャロも重ねて謝罪の言葉を口にする。
 シエルは少し離れた木陰に立ち、どこかぼんやりとした顔で空を仰いでいる。彼が内心で何を思っているのかは、本人しか知り得ない。
 暫し無言でいたアンジェラは、長い長い間を置いた末にキャロ達に嗚咽混じりにこう返した。
「貴方達は……良くやってくれたわ……」
 暗い声音。暗い表情。けれど、アンジェラはキャロ達を責めはしなかった。
「それに、誰が予想出来たっていうのよ……。相手が、あんな化け物だなんて……!」
 アンジェラの暗い声音に、明確な感情が宿る。
 ワイズを殺めた、ロベルトに対する怒り。無慈悲にも、粉々に砕かれた希望。残酷が過ぎる、世界への嘆き。想像するのは、難儀ではなかった。
 昇り切った陽の光を浴びながら、キャロ達は沈黙する。各々の心を、持て余して。


‐終‐


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