特別読切 1日1度の反省会
 ウィズ=ハーヴェイは、焦っていた。
 とてもとても、焦っていた。それはもう、とんでもなく焦っていた。いつもの何倍も、何十倍も焦っていた。異常なほど盛大に、絶大に焦っていた。そして――。
「うぎゃああああっ!」
 全力で、走っていた。
「ちくしょおおおおっ!」
 全力で、叫んでいた。
「ぬぅおおおおっ!」
 全力で、逃げていた。
「ちょっ、無理無理無理無理! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! こっち来んな! マジで来んな! いや、頼むから来ないで下さーい!」
 ウィズは、全身全霊で逃げていた。凄まじい速さで、自分を追い掛けて来る魔物から。鼠に良く似た姿形をしていながらも、実に子牛ほどの大きさを誇る獰猛な魔物から。
 ウィズの背後から一直線に突進して来るこの獰猛な魔物は、近頃この周辺を騒がせている山荒らしである。この魔物が山で暴れ始めた事により、多くの探検家や狩人が被害を被っているのだという。
 そういう訳で今回この魔物退治の依頼を請け負う事となったウィズではあるのだが、この魔物は危惧していた以上に俊敏で頑丈に出来ていた為か何かと苦戦を強いられる羽目になった。そして、なんやかんやで今この状況に至る訳だ。
 ウィズは、走る。ひたすらに、走り続ける。魔物から逃げ、難を逃れる為に。それから、もう1つ――少しでも、時間を稼ぐ為に。
「ク、クラウス! 早くしやがれーっ!」
 とはいえ、流石のウィズの体力にも限界というものが存在する。ウィズは激しく息を切らしながら、それでも声の限りに叫んだ。
 山中であるにも関わらず、辺りに無闇やたらと騒々しく響き渡ったウィズの叫び声。丁度その叫びが終わるや否や、ウィズは自分の直ぐ後方に極めて強力な熱が発生したのを肌で感じた。
 高熱の正体を突き止めるべく衝動的に首だけを動かして背後を振り返ったウィズの目に飛び込んで来たのは、視界いっぱいに広がる灼熱の炎。加えて、その炎の中で奇声を発しながらもがき苦しむ魔物の姿だった。
 ウィズは足を止め、今度は身体ごと後ろを振り返った。
 魔物はその場に崩れ落ち、断末魔の叫びを上げながら炎の中で呆気なく絶命していく。炎はそれを見計らったかの様に少しずつ火力を落とし始め、やがて消えた。あとに残されたのは、炭色の塊と化した魔物の焼死体のみ。
「よし、終了ー」
 やけに間延びした声と共に物陰から姿を現したのは、ウィズの旅仲間の1人である魔導士クラウス=ギースベルトである。
 クラウスは魔法水晶(ウィザードリークリスタル)を嵌め込んだ小剣を右手に、ウィズが武器として使用している長柄斧を左手に握ったまま緩慢な足取りで歩み寄って来る。
「はい、落とし物」
「落としたんじゃねーよ! 置いたんだよ! んなもん持ってたら、上手く走れねーだろうがっ」
 相も変わらず気楽な調子のクラウスが差し出して来た斧を、ウィズは悪態を吐きながら半ば引ったくる様な荒い手付きで受け取る。
「つーかよ……なんでお前、よりにもよって炎魔法チョイスしてんだよ。意味分かんねーよ。ここ、山中だぞ? 山火事にでもなったら、どう責任取るんだよ!」
「大丈夫、大丈夫。ぼく、腕良いから」
「阿呆かああああ!」
 声を荒げる、ウィズ。対してクラウスは、まるで悪びれた様子も見せず飄々と身を翻す。
「さて、ウィズが囮になってくれたお陰で魔物退治は片付いた訳だし……早いとこ、依頼人(クライアント)の所に戻るとしますかー」
「って、置いてくなよっ!」
 言うだけ言ってそそくさと立ち去って行くクラウスの後を、ウィズは苦情も兼ね備えた突っ込みの声を上げながら追い掛けた。

 * *

 アシュタル=ウォーロックは、隠れていた。
 別に隠れていたい訳でもそういう趣味がある訳でもないが、隠れていた。とても面倒臭いが、仕方なく隠れていた。不本意ながらも、やむを得ずに隠れていた。そして――。
「ウォーロック、遊ぶんじゃないっ」
 怒られていた。
「遊ぶ事自体には何も言わんが、状況というものを考えろ!」
 ついでに、頭をはたかれていた。
「……」
 自分の聴覚と痛覚が僅かながら刺激された事を認識したアシュタルは、暇潰しに何気なくやっていた知恵の輪を進める手を止め、至ってのんびりとした動作でその無表情な顔を上げた。そのまま更に首を上方へと傾け、隣に立つ身長190センチを超える大男を見上げる。
「全く……毎度毎度、緊張感のない奴だな」
 喋ったのはアシュタルではなく、大男の方だ。
 アシュタルを叱り付けて来たこの大柄な剣士カイン=ベルナールは、逞しく引き締まった両の腕を組んだ状態で静かにアシュタルの無表情な顔を見下ろしていた。
 カインの表情は堅く、眉間には幾らかの皺が刻まれている。どうやら、それなりに機嫌が悪いらしい。
 憮然とした面持ちでカインを見返しつつも、アシュタルは言われた通り知恵の輪をポケットの中へと仕舞う。それから再び前方へと向き直りながら、一言呟く。
「暇だ」
「知るか。やる気がないなら、帰れ」
 にべもなく、アシュタルの呟きを切り捨てるカイン。相変わらず、堅い男だ。
「ちょっと、請負人(コントラクター)さん……本当に、大丈夫なの?」
 アシュタルやカインが立っている位置よりもやや斜め後ろの方から飛んで来た、中年女性の声。その声を受けたアシュタル達が振り向いた先に悠然と佇むのは、今回の依頼人であるハワード婦人だ。
 ハワードは癖だらけの黒髪を風に棚引かせながら、あからさまに疑う様な訝しむ様な幾らか棘の含まれた視線と声色をアシュタル達へと投げ付けてくる。
「ちゃんと前金も払ってあるのだから、しっかりやって貰えないと困るわね」
「……ご心配なく。雇われた以上、役目は全うする。この連れの事は、どうか気にしないで頂きたい」
 親指でアシュタルを指しつつ、敬意をもって誠実に受け答えるカイン。
 アシュタルはそんなカインの姿を暫し何も言わずただ静かに眺めた後に、面倒ながらも形だけでも仕事を再開するべく緩慢な動きで前方に目へ向けた。面倒で退屈な作業には変わりがないが、またカインから小煩い説教を喰らうよりはましだ。
 自らが今身を潜めている木々の隙間から、アシュタルはベンチやゴミ箱しか設置されていない見事なまでに殺風景でだだっ広い公園の中を覗き込む。ターゲットは、まだ現れない。
 幸運にも今日1日の間に舞い込んだ、2つの依頼。今日この日に同時に請け負う事となった依頼2件の内の1件が、この見張りの仕事である。
 多量のゴミをばらまかれたり壁に落書きをされたりといった様々な被害をここ暫く連日で被っているらしいこの公園を見張り、その犯人を見付けて確保するのが今回のアシュタル達の仕事だ。
「住人からの目撃情報によれば、高い確率でこの時間帯に現れる筈なんだけど……」
「今の所、特にそれらしい人間は見えませんな」
「ええ、そうね」
 ハワードとカインの会話を聞き流しながら、アシュタルは前方を見据え続ける。というより、それ以外に出来る事がないというのが現状だ。口には出さないが、実に退屈極まりない仕事である。
 余りにも物がないこの公園は今現在無人の状態にあり、悪戯をするには持って来いの環境と言える。
 しかし、だからといって見張りを始めた直後に犯人が現れるなどといったご都合の良い事はそうそう起こりはしない。それについては、やはり今回も例に漏れずであるらしい。面倒ではあるが、まだ暫くはここでこうしている必要がありそうだ。
 密かに、軽く溜息を吐き出すアシュタル。だが、そこで気付く。この公園へと近付いて来る、3つの人影の存在に。
「ベルナール」
「ん?……あれは!」
 アシュタルに名を呼ばれたカインが、こちらを振り返る。そしてすぐさまアシュタルの意図に気付いたのか、小さく声を上げながら身を乗り出した。
「茶髪の男性剣士3人組……っ、間違いないわ!」
 依頼人であるハワードも、アシュタル達の背後で鋭い叫びを上げる。
 いかにも浅はかで軽薄そうな風体をした男性――世間では、それをチャラ男と呼ぶ――3人組は公共の場である事すらも意に介さず、やかましい上に品のない笑い声を辺りに響かせつつ歩いて来る。
 3人が向かう先は、やはりこの公園らしい。身体や視線の向きからして、3人はほぼ確実に一直線にこちらを目指して歩いている。
「剣士だと聞いて少しは警戒していたが……どうやら、余り強そうには見えんな」
 カインが言う。アシュタルも、同意見だ。
「時間も惜しい。早々に、片を付けるぞ」
 異論はない。アシュタルが静かに頷いて見せた、丁度その時だった。
「ま、待って! 何か、聞こえない?」
 アシュタル達を呼び止めたのは、ハワードだ。その慌てた様な困惑した様な不可解な声に、アシュタル達は怪訝に思いつつも耳を澄ませてみる。そして、聞いてしまった。

「うわああああ!」
「助けてーっ!」

 2人分の悲鳴。
 アシュタルは聞き慣れて久しいこれらの声の主の正体を悟るのと同時に、これから何か面倒臭い事が起こりそうな嫌な予感が自分の胸中に沸き上がって来るのを感じた。
 それは恐らく、カインも同じなのだろう。カインはその場に固まったまま、猛烈に嫌そうな顔をしている。
 残酷な事に、アシュタル達の予感は的中した。
 この公園に向かって、凄まじい速さで走って来る2人――ウィズとクラウスの背後にはもう1人……否、もう1体と表現すべきか。子牛サイズの鼠、つまりは魔物の姿が見えた。
「くっそおおおお! もう1体いるなんて、聞いてねーぞおおおお!」
「せんぱーい! ヘルプミー!」
 こちらを目掛けて全力疾走して来るウィズ達と、ウィズ達を目掛けて全力疾走して来る魔物。
 この恐るべき2人と1体は瞬く間に公園の中へと身を滑り込ませ、辺りに設置されたベンチやゴミ箱、更には3人の男性剣士すらをも容赦なく吹き飛ばした。哀れにも悲鳴を上げて宙を舞った3人組の存在も完全に無視して、2人と1体はひたすらにアシュタル達の元へと突っ込んで来る。
「お、おい! お前ら、何やって……! こっ、こっちに来るな!」
 必死なカインの真っ当な叫びさえも、完全に無視された。
 僅か数秒の後、轟音と共に新たに5人の男女が宙を舞った。

 * *

「さて。おれが何を言おうとしているか、分かるな?」
 カインの不機嫌振りがありありと窺える地を這う様な低い声が、アシュタル達4人のいる安宿の客室内に響き渡る。
 いつになく、静かな室内。そこには木椅子に腰掛けたカインと、床に並んで正座するウィズとクラウス。そして、ベッドの上に腰掛け無表情に窓の外を見下ろすアシュタルの姿があった。
「いや、まあ……大体は」
「油断して追っ掛けられて、突っ込んでぶっ飛んで……それから、その」
 口籠もりつつも、おずおずとカインの問いに答えるクラウスとウィズ。この2人の頼りなく要領を得ない言葉を、カインは自ら引き継ぐ。
「その結果こちらの仕事を妨害した上、おれ達だけでなく依頼人であるハワード殿にまで軽傷を負わせた。お陰で、報酬も減額された」
「仰る通りで御座います」
 ウィズとクラウスによる、普段の2人からは想像に難しい馬鹿丁寧な台詞が見事に重なる。
「全く。お前らはいつもいつも、危機感というものが足りんな」
「で、でもよっ。なんやかんやで魔物も倒したし、チャラ男3人組も捕獲したんだから良いじゃねーか。なあ?」
「右に同じくー」
「……お前らは、1度死んだ方が良いな」
 そんな事を呟きながらもカインはこれ以上は特に何も言うつもりはないらしく、木椅子に深々と腰掛けたまま静かに両の目を閉じた。
 カインの説教が終わりを告げると共にほんの今まで静かだった室内は、ものの一瞬にして明るく賑やかないつもと何も変わらない馴染みの空間へと切り替わった。
 大きな声で喋りまくるウィズと、それを迷惑そうに眺めるカイン。ジグソーパズルを始めるアシュタルと、それを自発的に手伝うクラウス。
 4人の旅人達の、束の間の休息。


‐終‐


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あきゅろす。
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