第3話 逃亡者編より‐狂気の目‐
 団長。こう呼ばれた長髪の男はもう、自分の仲間達や遠い古木の下にうずくまるソラには目もくれない。
 長い髪と騎士団の制服を微風に棚引かせながら、傲然と歩みを進めるこの男の視線の先には――。
「あ……」
 キャロの口から漏れた声は、恐怖に震えていた。
 迷いなく、悠々と。シエル達との距離を縮める長髪の男。彼の細められた双眸は、まるで獰猛な野獣の様に鋭利でおぞましいものだった。
「……シ、シエル君」
「良いから、下がってて」
 恐れおののき、硬直しているキャロやワイズ達にシエルは無表情に努めて淡々と指示を出した。内心に渦を巻く動揺を、ひた隠しながら。
 そう。シエルは、密かに動揺している自分に気付いていた。あのソラをあそこまで容易く退けた目前の長髪の男の存在に、動揺していたのだ。
 長髪の男は1歩、また1歩とシエル達の元へと近付いて来る。右手には大太刀を、左手には小太刀を携えて。じわじわと、近付いて来る。
 シエルは長髪の男から、決して目を離さなかった。いや、離せなかった。一瞬でも離せば、取り返しが付かない事態になると直感が告げていた為だ。
 やがて、長髪の男はシエル達の至近距離まで到達した所でぴたりと足を止めた。
「あんたは――」
「元騎士団長、ロベルト=バスティードだ」
 シエルの言葉を遮る形で、長髪の男ことロベルトはいともあっさりと自らの身分を明かした。そして。
「ワイズ=エリオットは、貴様か?」
「……!」
 戦闘体勢で佇むシエルを平然と無視し、後方のワイズに問うロベルト。ワイズやアンジェラ、それにキャロが一斉に怯んだのが見ずとも知れた。
 そんな沈黙を、肯定と受け取ったらしい。ロベルトは右手の大太刀を大きく振り上げると、獰猛な瞳をワイズただ1人に定めた。
「私怨はないが、仕事だ。……果てるが良い」
 為す術もないワイズ目掛けて振り下ろされる、大太刀の刃。瞬間、複数の金属類が交わる様な硬い音が木霊となって周辺に響き渡った。
「させるとでも、思った?」
 シエルの、静かで冷淡な声音。
「生憎、仕事なのはこっちも同じだよ」
 ロベルトが振り下ろした刃と、シエルが張り巡らせた金色の防御壁が正面からぶつかっている。
「ほう……聖光の使い手か」
 呟くロベルトの口元に、酷く歪な笑みが生じた。
「実に、忌まわしい力だ」
「!」
 開かれた獰猛な双眸に、歪んだ笑み。徐々に滲み出るロベルトの狂気に晒されたシエルの背筋に、ぞくりと冷たいものが走った――直後の事だった。

 ぎしっ。

「……え?」
 何が起きたのか、瞬時には理解が及ばなかった。ただ、防御壁を支える両の手に強い痺れを感じた。
「ぼ、防御壁が……!」
 動転したキャロの声が聞こえると同時に、シエルはようやくにわかには信じ難い現状の把握に至った。
 生み出した防御壁が、軋んでいた。
 ロベルトの刃を受け止め続けていた防御壁が軋み、ひび割れてゆく様をシエルは目の当たりにした。瞳を見開いて、絶句して、呆然と。
「所詮、この程度か」
 余裕の失せたシエルを嘲笑し、ロベルトは最後の仕上げとばかりに左手の小太刀を振りかざすと、完全に虫の息と化した防御壁に容赦なく叩き付けた。
 耳を引き裂く様な音を立て、粉々に砕け散って消滅した防御壁を前に動ける者はいなかった。結界を易々と破壊した張本人である、ロベルトを除いて。
「案ずるな。シエル=ウォーロック。貴様はまだ、当分は生かしておく」
「! な……」
 ロベルトは、シエルを知っている。
 何故。当然の疑問が、シエルの頭をよぎる。しかし、思考する猶予などある筈もなかった。
「だが、今は少し寝ていろ」
 そんな言葉を発する傍らで、ロベルトは左手の小太刀を速やかに操り――小太刀の峰で、無防備となったシエルの横腹を強く強く薙いだ。
「がっ……!」
 一瞬、息が止まった。
 燃える様な、強烈な痛み。渇き切った大地に放り出され、衝突するシエルの身体。
「……っ、う……」
 朦朧とする意識の中で、シエルは懸命に己に言い聞かせた。まだだ。まだ、眠ってはいけないと。
 横倒れになったまま、シエルは守るべきキャロ達3人の方へと必死に視線を合わせる。そこには既に、限りなく最悪に近い光景が広がっていた。
 ロベルトの大太刀が再びワイズに牙を剥き、キャロとアンジェラが制止の叫びを上げている。
 シエルの視界の片隅で長柄槍を杖代わりに辛うじて立ち上がったソラが、ふらつきを伴いながらもそちらに駆けて行くのが見えた。そして、シエルも。
 魔法指輪(ウィッチクラフトリング)を装着した右手を気力のみで動かし、ロベルトに狙いを定めた。
 けれども、全ては遅かった。
 激しく宙を舞う、おびただしい血飛沫。これは、他の誰でもないワイズのもの。
 ワイズの身が傾き、崩れ落ちる。崩れ落ちた彼を軸に、見る見る内に血溜まりが拡大して行く。
「ワイズ……?」
 真っ白な顔をしたアンジェラの呼び掛けに、答える者はいない。どこにも、いない。
 力なくへたり込んだキャロが、頭を抱えてうずくまった。彼女は大粒の涙を流し、絶叫する。
「いやああああっ!」
 絶望。


‐終‐


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あきゅろす。
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