第3話 逃亡者編より‐決行‐
【前編】


「ここを進んで行けば、隣町に行けるわ」
 早朝の木陰は仄暗く、枝葉の隙間から吹き抜ける微風は冬の様な冷たさを伴って素肌を撫でてくる。
 薄手の上着を羽織って佇むアンジェラがキャロ達3人に指し示したのは、高級住宅地の外れにひっそりと存在する小さな山道だった。
 人の手が加えられていないこの山道は非常に足場が悪く、更には横並びで歩く事すら困難を強いられる窮屈なものだった。先述の仄暗さも相まって、気を緩めれば負傷どころか生死を左右する恐れさえある。
「見ての通りだ。足元には、充分注意して欲しい」
 トランクを片手に、ワイズが3人に警告する。
「近くに、こんな道があったんですね」
「ああ」
 キャロが言い、ワイズが頷く。
「時間が時間だし……元々人通りなんて殆どない道だけれど、絶対にないとは断言出来ないわ」
 アンジェラの表情は、硬い。
「では、当所の予定通りに頼むよ」
「ボクとシエルがお2人を護衛して、キャロさんが見張りをするんですよね」
 長柄槍を握ったソラが、確認を取る。
「そうだ。少々、険しい道のりにはなるが……」
「いえ、ボクらなら平気ですよ。ね、シエル?」
「……」
 ソラの言葉に、応答はない。
 キャロが最後尾にいるシエルを振り返ると、彼はいつも見せているものとは比較にもならない何割にも増した仏頂面を余す事なく晒していた。
 シエルの凄まじい不機嫌の原因は、考えるまでもない。日出早々、ソラに叩き起こされた為だ。
 ソラいわくシエルの寝起きの悪さは他に類を見ないほどで、通常の起こし方はほぼ通用しない。故に、今朝は些か荒っぽい手段で起こしたとの事だった。
「……あんまり、話し掛けないでくれる? 僕、寝不足で昨日の疲れが取れてないんだよね」
 酷い仏頂面をしたまま、シエルは言った。
「10時間も寝ておいて、何言ってるんですか」
「足りない」
 シエルの調子に、変化は窺えない。
「皆さん、シエルは放っておいて行きましょう」
 台詞と違わずシエルを放置してきびきびと先頭を歩き始めたソラに、戸惑いを垣間見せつつもワイズが続く。次にキャロ、アンジェラが。
 足を踏み入れた山道には案の定、無数の枝葉を含むありとあらゆる障害物が密集していた。
 枝葉を避け、あちこちに点々と転がった大小の石に注意を払いながら上へ上へと進む。
 キャロは自分に与えられた仕事を全うする為に、時折背後を振り返っては無人を確かめる。また万が一に備え、側面の監視も忘れない。
 両親の形見の魔法水晶(ウィザードリークリスタル)を手に、キャロはひたむきに警戒を巡らせた。

 * *

「少し、休憩しようか」
 山道を上がり切ると、開けた場所に出た。
 仄暗さや足場の悪さは相変わらずではあるものの、5人が輪を作って休息を取る程度なら申し分ない。こう判断したワイズが、キャロ達に提案した。
 提案を真っ先に受け入れたのは、やはりシエルだった。彼は誰の返答を待つ事すらせず、そそくさと近場の木の根元に座り込んでしまった。
 呆れ顔のソラにもお構いなしに、シエルは木の幹を背もたれ代わりに双眸を閉ざす。
「シエル、寝たらぶっ飛ばしますよ」
「んー」
 聞いているのかいないのか、シエルの返事は曖昧極まりない。ソラが、あからさまに溜息を吐く。
「……本当に、済みません。こんな怠け者でも、魔法の腕だけは確かなんです」
 ソラの弁解にも、ワイズは笑って応じた。
「構わないよ。長い山道を登って来たのだから、疲れるのも無理はない」
「この先は下りの道だし、多少は楽になると思うわ。あと半分……頼んだわよ」
 アンジェラも言う。
「はい、任せて下さい!」
「わたしも、頑張ります」
 そこまで喋った所で、キャロはふと考える。
 自分は、見張りを担当している身だ。気を抜いている暇はない。呑気に休むなど、もっての他だ。
「わたし、ちょっと周りを見て来ます」
 キャロは4人にそんな断りを入れると、元来た方角へと速やかに踵を返した。
「でも、貴方も疲れてるんじゃ……?」
「大丈夫です。仕事ですから」
 アンジェラの気遣いにキャロは微笑み、魔法水晶と先日購入した護身銃を華奢な手に取った。そうして足早に歩き出した彼女の背に、ソラの声が掛かる。
「何かあったら、直ぐ呼んで下さいねー!」
「うん! 分かってる!」
 キャロは疲労をひた隠しながら1度だけソラ達を振り返ると、早速仕事を再開した。
 確か来る途中に、立ち並ぶ木々の隙間から広範囲を見渡せる監視に相応しい地点があった筈だ。記憶を便りに、キャロは足を進めて行く。
 キャロが着目した地点は、現在シエル達やワイズ達が休んでいる場所の程近くに存在した。
 つい先程5人で通過したばかりの、急なカーブの中間地点。その向かって右手にそびえる2本の古木の間には大人1人分程度の距離があり、そこからカーブの両側をしっかりと目で捉える事が出来るのだ。
 落ちてしまわない様に一方の古木に手を宛てがって慎重に身を乗り出したキャロは、誰もいない事を願いつつ可能な範囲で周辺を見回し――。
「え?」
 思わず、声を漏らした。
 キャロは瞳を大きく見開き、凝視した。自身の視界の中に、映り込んだ『異物』を。
 キャロ達5人が共に通過して来た道を歩いて来る、複数の人影があった。明確な数までは、まだ分からない。しかし、決して少なくはない。
 縦1列になって前進する人影の最前列にいる人物を目にした瞬間、キャロの鼓動は爆発的に高鳴った。
 商人だった。
 近付くに連れて1人、また1人と露わになる商人の身なりをした人間達。キャロは、慌てふためいた。
「早く、皆に知らせないと……!」
 あれがワイズを狙う闇商人だという決定打はないが、知らせる必要があるのは明白だ。
 ところが、キャロは更に気付いてしまう。商人とおぼしき人間達の後方で、全くの異質な集団が彼らに付き従うかの様に歩を進めているのを。
 キャロは集団の正体を、やや遅れて把握する。彼女の頭の中はもう、真っ白だった。
「……なんで?」
 集団はぞろぞろと商人達の後に続き、見る見る内にこちらへと登って来る。
 キャロは呆然と、この場に立ち尽くした。
「なんで……どうして?」
 キャロの呟きは、震えていた。
「どうして……オトヌ帝国の、騎士団が?」


‐前編 終‐


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あきゅろす。
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