第2話 探求者編より‐休息と旅立ち‐
程よい温もりを伴った陽の光が窓から差し込み、宿の客室を照らす。また、いつもの朝が始まろうとしていた。
依頼達成から、一夜が明けた今日。アシュタルは1人、静かに思索していた。
窓際のベッドの上で大の字になり、呑気にいびきを掻き続けるウィズ。アシュタルがそんな彼を無表情に見下ろしつつ考える事柄は、ただの1つしか存在しない。
アシュタルは限られた時間を使ってマイペースに思考を巡らせた末に、内心で自分なりの意向と決意を固めた。そして、常日頃の様に速やかに実行に移った。
ウィズが爆睡するベッドの脇に立ち、アシュタルは自らの華奢な両手を伸ばす。
別に、なんという事はない。右手でウィズの鼻孔を塞ぎ、左手で口を塞ぐ。ただそれだけの、手軽な作業だ。
「……」
「……」
ウィズのいびきが完全に停止し、静寂と共にゆっくりと時が流れる。
しかし、所詮は束の間のものでしかないのは分かり切った静寂だ。張り裂けるまでの待機に、根気など必要なかった。
「うがああああ!」
奇声と共にアシュタルの手をはねのけて豪快に飛び起きたウィズは何度も咳込みながら涙目でアシュタルを睨め上げると、無駄に盛大な叫びを部屋中に響かせた。
「殺す気かっ!」
「違う」
アシュタルは取り敢えず淡々と否定はしたが、ウィズによる苦情の収束の目処はまだ立たない。呼吸を落ち着かせた後、ウィズは尚も不満をぶちまける。
「起こし方、他にねーのかよ! あるだろ! 何かしら、あるだろ!」
「ない」
あるなら、とうにやっている。
声を掛ける。頬をつねる。顔を叩く。氷水を浴びせる。食べ物の匂いで釣る。ベッドから転落させる。魔法で吹き飛ばす。ウィズと旅を始めて以来アシュタルは様々な方法を試みたが、いずれも決定打には至らなかったのだ。仕方がない。
「くそっ……飯、食って来る」
「ウィズ」
不服を剥き出しにした態度はそのままに気怠げにベッドから降り立ち、気怠げに踵を返すウィズ。そうしてこちらに背を向けた彼を、アシュタルは呼び止めた。
アシュタルはまさに渋々といった様子で振り返ったウィズに、やはりどこまでも淡々とした口調で短くこう伝えた。
「面倒な事になった」
* *
「ああ、ここ通れないよ。悪いけど」
一切のやる気が窺えない不真面目な声色でアシュタル達に酷な現実を突き付けたのは、町の南門に佇む門番の男である。
「最近、この先の雑木林に魔物が出る様になったらしくてさ。暫く未成年は通すなって、上からお達しが来たんだよ」
「って、おい待てよ! ここ通らねーと、ブラウの町に行けねーじゃねーか!」
アシュタルと共に南門までやって来たウィズは、男の台詞に表情を硬くした。
「うん。行けないね。でも、もう決まっちゃった事だから。ごめんね」
だらしなく欠伸を噛み殺しつつ、男は酷く軽い調子でウィズをあしらう。どうやらアシュタル達とまともに対話するつもりはないらしく、取り付く島もない。
アシュタルがウィズを起こす、ほんの少し前。アシュタルは先の男の言葉と寸分違わぬ情報を、同じ宿に泊まっていた熟年の夫婦の会話で知る事となった。
その情報を早い内に告げておくべき内容と認識したアシュタルは、ああして爆睡していたウィズを強引に起こしたのだ。
身支度とマリエッタ達への礼を済ませたアシュタル達は、早急にここまで足を運んだ訳だが――残念ながら、先述の夫婦の会話は単なる噂話などではなかった。
「た、確かに未成年だけどよ……あ、ほら! オレら『金』だぞ! 大丈夫、魔物ぐらいどうって事ねーよ!」
「だとしても、決まりだから」
ウィズがチョーカーを指差して必死に主張するも、男の言い分は変わらない。
「成人済みのご家族やお仲間さんが一緒なら通せるんだけど、流石に君達だけじゃ無理だよ。通したりなんかしたら俺が上に怒られちゃうし、下手すりゃ減給だ」
「ぐ……」
全くもって、話にならない。万事休すか。そう思われた時だった。
「せんぱーい! 別に、そんなに急がなくったって良いじゃないですかー!」
「急いでいるんじゃない。お前が遅いだけだ。もっと、しっかり歩け」
「だから、ぼくは先輩と違ってか弱いんですってば。なんでもかんでも、先輩基準に考えるのやめて欲しいんですけどー!」
どこかで聞いた気がしなくもない、2つの男性の声。アシュタル達は背後から近付いて来る推定2人組の正体を確かめる為、何気なくそちらを振り返った。
大剣を腰から下げた大柄な男性と、魔導服を着た小柄な男性。
アシュタル達と同じ金のチョーカーを装着した2人は、間違いない。昨日の仕事で一時的に協力し合ったばかりの、剣士と魔導士。ルシオに雇われたという、あの請負人(コントラクター)達だった。
「……ん?」
大柄な男性ことカインがまずアシュタル達の存在に気付いて立ち止まると、程なくして彼の視線を辿った小柄な男性ことクラウスもきょとんとその目を丸くした。
「あれ? 君達って、昨日の……」
クラウスが言い終えるより先に、ウィズの表情に再度の変化が生じたのをアシュタルは見た。そして、長い付き合いである彼の内心を一瞬にして汲み取った。
「――おう、お前ら! 待ってたぞ!」
ウィズの瞳は、とても輝いていた。
ウィズは凄まじい速さでカイン達の後方まで回り込むと、持ち前の馬鹿力を駆使して彼らの背中をぐいぐいと押し遣った。
体格差や相手の人数など、ウィズに掛かれば殆ど意味を成さない。カイン達は彼の馬鹿力に瞬時に抗う事も叶わず、されるがままにアシュタルと男の立つ門前へと追い込まれる結果となった。
「お、おい! なんの真似だっ!」
「え? え? 話が見えないんだけど」
「さあ、目指すはブラウの町! 皆! 早いとこ、出発すんぞ!」
カイン達の真っ当な台詞を例外なく無視して、ウィズはひたすら南門の外へと当たり前の様に堂々と突き進んで行く。
「なんだ、大人のお仲間さんがいるのか。なら、通って良いよ。気を付けてね」
あっさりと誤解した男が、ひらひらと手を振る傍らで相変わらずやる気のない不真面目な風体でアシュタル達を見送った。
ウィズとカイン達のまるで噛み合わない対話に耳を傾けながら、アシュタルは無言で彼らの後に続いた。
‐探求者編 終‐
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