特別読切 1日1度の朝寝坊
「号外でーす」
 なんの変哲もない朝を迎えたのどかな村に、一切のやる気が感じられない棒読みの台詞が虚しく響き渡る。
「オトヌ帝国の皇帝、モールズワース4世の側近が何者かによって殺害されましたー」
 ぎらぎらとした陽光を浴びながら手にした紙の束に視線を落とし、読み上げるシエル=ウォーロックは不満と苛立ちを抑え切れないでいた。
 そんなシエルが手渡す新聞を、快く受け取ってくれる人間などごく僅か。この現状がまた、シエルの苛立ちを増幅させるという悪循環が続いている。
「はあ……。僕、何やってんだろ……」
 自業自得とはいえ、隙あらば逃げ出したい衝動を残り少ない精神力を振り絞って制御する。
 一刻も早く、宿に帰りたい。出来る事なら、今直ぐに。
「幾ら寝坊したからって、こんな仕打ち――がっ!」
 1人ぶつぶつと愚痴っていると、頭上から本日3度目の拳骨が降って来た。
 空いた手で痛む頭をさすりつつ、シエルは自分の真後ろに立つ人物を恐る恐る振り返った。
「馬鹿者! 真面目にやらんか!」
 強面の初老男性が、両手を腰に当てて傲然とこちらを見下ろしている。彼こそが、今回の依頼人のエドガーだ。
「ちゃ、ちゃんとやってるよ!」
「嘘を吐け! お前さんからは、やる気が微塵も感じられんわ! 全く、最近の若いもんは」
 以下略。使い古された説教が、延々と続く。シエルの抗議など、エドガーの前ではなんの意味も成さない。
「とにかく、真面目にやらんと金は払わんからな!」
「はいはい……」
「『はい』は1回!」
「……はい」
 項垂れる、シエル。彼はエドガーの気配と足音が遠ざかって行くのを確認した後、依然として不機嫌丸出しの顔を上げた。
 シエルの後方には、エドガーが経営する新聞社が佇んでいる。が、今のシエルの目が向いているのはそこではない。
 新聞社の右隣に存在する、エドガー所有の倉庫。あの中でせっせと仕事に勤しんでいるであろう、旅仲間2名が恨めしい。

 * *

「シエル君に、悪い事しちゃったね」
「良いんですよ。自業自得ですから」
 新聞社に隣接する倉庫内の整理整頓をのんびりと進めながら、ソラ=ハーヴェイはキャロ=エマーソンの言葉に対し緩やかに首を振った。
「だって、何度起こそうとしても起きないんですよ? 残り物の嫌な仕事を押し付けられたって、文句なんか言えません。っていうか、ボクが言わせません」
 頬を膨らませたソラは、きっぱりと断言する。
 今回、エドガーという男性から受けた依頼は2つ。新聞配りと、倉庫の整理整頓だ。
 立ちっ放しの新聞配りよりも身体を動かしている方が退屈しなくて済むだろうという思考の結果、ソラはキャロと共にこちらの仕事を選んだ。
 起きる気配のないシエルの枕元に新聞配りの仕事を指示する書き置きを残し、さっさとこの仕事にありついた訳だ。
 残念ながら、罪悪感は欠片もない。寝坊する方が悪いというのが、ソラの出した結論である。
「そんな事より、意外に早く終わりそうですね」
「うん。早朝から、頑張ったもんね」
 整理整頓も、残す所あと僅か。2人の、努力の賜物だ。
「あれ……?」
 終わりが見えた事による達成感に浸っていた矢先、キャロが何かに気付く。
「どうかしましたか?」
「あそこに、黒い物が見えない?」
「ああ、ほんとだ。結構、大きいですね」
 薄暗い倉庫の片隅に、ぽつんと存在する黒い物体。なんの荷物だろう。
 2人は何気なく、本当に何気なく謎の物体の元へと近付き――そっと覗き込んで、凍り付いた。

 * *

「もうやだ……帰りたい……」
 ようやく、渡されていた新聞の内の半分ほどを配り終えたのだが――逆に言えばまた半分ほどが残っている訳で、道はまだまだ長い。
 体力も気力も既に限界寸前のシエルとしては、弱音を吐かずにはいられない。今にでも、倒れそうだ。
 大いに聞き覚えのある少女と少年の悲鳴が飛んで来たのは、直後だった。
「きゃああああっ!」
「だ、誰かああああっ!」
 流石に吃驚して再び後方を振り返ると、絶叫しながら凄まじい勢いで倉庫から飛び出して来た旅仲間2名と目が合う。
 訝しむシエルと目が合うや否や、ソラは魚の様に口をぱくぱくさせて必死の形相で叫んだ。
「シ、シエル……! ゴ、ゴゴ、ゴ……!」
 彼が何を伝えようとしているのかは全く分からないが、何かとんでもない事態になっている事だけは伝わって来る。そこはかとなく、嫌な予感がした。
「えっと……何?」
「だ、だだ、だからゴゴ、ゴ、ゴゴゴ……!」
 良く良く見てみると、ソラもキャロも一様に自身の背後を指差しているのが分かった。
 シエルは恐る恐る、2人の背後に目を向けた。そして、凍り付いた。
 ソラ達からやや遅れを取って倉庫の中から現れたのは、夏場に悪い意味で大活躍する黒い害虫そっくりの姿形をしていながら、大型犬ほど大きさを誇るという謎の生き物だった。
 1体や、2体では終わらない。次から次へと、どんどん出て来る。
「ああ、そうそう。あの倉庫はな――長く放置してたせいか、突然変異した小型の魔物が好んで寄生する様になったんだ。お前さんらも、気を付けるんだぞ」
「そういう事は、先に言ってよっ!」
 新聞社からひょっこりと何食わぬ顔を出したエドガーが余りに遅過ぎる警告を口にするので、シエルは久々に盛大な突っ込みを入れる羽目になった。
「シエルーっ!」
「シエルくーんっ!」
「ちょっ、こっち来ないでよ!」
 そんなシエルの訴えはあっさりと聞き流され、ソラとキャロが揃ってシエルの真後ろに避難したのは間もなくの事。理不尽だ。
「君達が受けた仕事なんだから、君達でなんとかしてよ!」
「嫌です! ボク、あんなのと戦いたくないです!」
「僕だって嫌だよっ!」
 そうこうしている内に、事態は悪化の一途を辿る。シエル達の混乱が村人達に次々と伝播し、拡大してゆく。
「なんなんだ、こいつらっ!」
「嫌ああああ! 来ないでーっ!」
「ママー! 怖いよーっ!」
「うわっ! あいつ、飛びやがったぞ!」
「に、逃げろおおおお!」
 逃げ惑う村人達。あちこちを這い回り、飛び回る黒き魔物達。
 村人達が逃げた今、黒き魔物達の矛先がシエル達に向けられるのは必然と言えよう。魔物達が、一斉にこちらを振り向く。
 ソラとキャロが、恐怖や嫌悪感からか揃って「ひっ」と息を呑む。2人が咄嗟に構えた長柄槍や護身銃も、狙いが定まらず覚束ない。
 こんな悲惨極まりない現状に反し、シエルは自分の心が寧ろ次第に落ち着いていくのを感じていた。
 いやに冷静な自分。シエルは持っていた新聞の束を投げ捨て、左手の魔法指輪(ウィッチクラフトリング)をゆっくりと右手に嵌め直した。
「あ、シエルがキレた」
 ソラの気の抜けた呟きに無視を決め込み、指輪を嵌めた右手を高く持ち上げる。
 陽光に照らされた小さな村に、花火が上がった。

 * *

「いやー、今回は散々でしたねー」
「うん。シエル君がいなかったら、どうなってたか……」
 宿のベッドに横たわってふて寝するシエルを横目に見ながら、ソラはキャロと共に今日という1日を振り返っていた。
 静かに怒り狂ったシエルの活躍により黒き魔物達は1体残らず吹っ飛ばされ、村中で沸き上がったパニックに終止符が打たれた。
 更に魔物退治をしたという事で、エドガーからは少しばかり多めの報酬を渡された。当分は、旅費に困る事はないだろう。
 疲れはしたが、良い事だ。――あの魔物達の、外見さえ思い出さなければ。
「じゃあわたし、そろそろ部屋に戻るね」
「あ、はい。お休みなさい」
「お休み。また明日ねっ」
 疲労を感じさせない明るい笑顔で、キャロが退室してゆく。
 ソラは自分のベッドに深々と腰を下ろし、横たわるシエルの後ろ姿を眺める。そして、本人に聞こえないのを承知の上で労いの言葉を投げ掛けた。
「お疲れ様です」
 今日の自分の不甲斐なさ故に芽生えた微かな罪悪感をひた隠し、ソラは就寝の為に室内のランプを消した。


‐終‐


【次#】

あきゅろす。
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