第5話 嘘と真より‐平穏の終わり‐
【後編】


「ソフィー、ちょっと良いかな……?」
 ソフィアの元へクルーエルが顔を出したのは、溜まっていた洗濯物の処理も終盤に差し掛かった頃だった。
 クルーエルは神妙とも困惑とも付かない複雑な顔をして、いつもの様に控え目な態度で尋ねてくる。ソフィアは顔を上げて、小首を傾けつつクルーエルを見返した。
「はい。構いませんよ」
 ソフィアが屈託のない笑みを向けて応じると、クルーエルはややあっておずおずといった様子でその口を開いた。
「あ、あのね。今、お客さんが来てるんだけど」
「お客様、ですか?」
「うん。なんか、人探ししてるって言ってたよ」
「……人探し?」
 微塵も想定していなかった用途での来客に、ソフィアは少なからず戸惑った。
 戸惑っているという点では、きっとクルーエルも同様なのだろう。彼は助け舟を求めるが如く、ソフィアを見詰める瞳は随分と上目遣いだ。
「分かりました。直ぐ行きますね」
 セキアとハクトが買い物に出掛けている今、自分が行くしかない。
 途中で中断を余儀なくされた畳み掛けのタオルをやむなく脇に寄せて、ソフィアは件の客が待つ我が家の玄関へ急いだ。

 * *

 要請を受けたソフィアがクルーエルと共に玄関へやって来ると、そこに立っていた1人の男性と目が合った。
 小柄な、初老の男性。面識はない。少なくとも、ソフィアやクルーエルとは。
 所々に白の混じった黒髪と落ち着いた物腰は一見地味な印象を与えるが、ソフィアに気付くなり浮かべた柔らかな微笑と会釈が真面目で誠実な彼の人柄を想像させる。
 季節故の野外の気温を考慮し、中へ入る様にと勧めたソフィアの好意を『直ぐに済むから』と丁重に断った男性は、その探し人の名前を含む覚えている限りの情報を2人に簡潔に説明した。
 生き別れた息子を探しているというこの男性の説明にソフィア達は熱心に耳を傾けはしたものの、やはり思い当たる節はない。申し訳ないが、この男性の力にはなれそうになかった。
「生き別れて、20年余り。この街に住んでいるらしいという、不確かな情報だけは得られたのですが……どう足掻いても手掛かりが少ないのが現状でして、手当たり次第に周辺の民家を尋ね歩いているのですよ。相変わらず、成果はありませんがね」
 苦笑し、肩を落とす男性。
「写真とかは、ないの?」
「あるにはあるのですが、如何せん子供時代に撮影した物しかない訳ですからね……。今ご覧になった所で、大して参考にはならないかと」
 クルーエルの問い掛けにそう答えつつも、男性は上着のポケットから色褪せた小さな写真を1枚取り出す。彼は見え易い位置に写真を翳して、ソフィア達に見せてくれた。
 2人の前に翳された写真に写っているのは、小学生と思わしき少年。どこにでもいそうな、ごく普通の少年――だと思われたが、良く良く見ると何かが可笑しい。
 ソフィアは数秒の後に、自らが抱いた違和感の正体に気付いた。
 少年はカメラに向かって笑顔を向ける訳でもポーズを取る訳でもなく、ただただ無表情にカメラを見詰めているだけ。まるで、なんの感情も持っていないかの様に。
 それだけではない。顔そのものにはまだ子供ならではのあどけなさが残っているというのに、カメラを見詰める少年の双眸は恐ろしいほど冷め切っていた。
 目の前にいる温厚な男性と彼の息子であるこの少年の印象が結び付かず、ソフィアは知らぬ間に眉を寄せていた。
 そして、気のせいだろうか。ソフィアにはこの少年が、自分の知る誰かに似ている気がしてならなかった。
 しかしながら、誰に似ているのかは幾ら考えてみても結論が出ない。やはり、ソフィアの気のせいでしかないのだろうか。
「やっぱり、知らない人だね……。ごめんなさい、役に立てなくて」
「いえいえ。望みが薄い事は、こちらも重々承知しておりますので。また、他を当たってみますよ」
 ソフィアの内心を余所に交わされる、クルーエルと男性の遣り取り。ソフィアは、何も言えない。
「お忙しい中、お時間を頂き感謝します。……ところで」
 写真を仕舞う傍ら、男性が言った。
「この家には、お2人だけで?」
「え? いや、あと2人いるけど……今は2人共、出掛けてて」
「そうでしたか。いえね、なかなか広いお宅だと思いましてね」
 男性は例の柔らかな笑みを浮かべて先と同様に会釈をすると、緩やかに背を向けてドアノブに手を掛ける。
 少しずつ開かれていった扉の隙間から入り込む冷えた風がソフィア達の素肌を撫で回したのは、ほんの僅かな間。
 男性の身がドアの向こうへと消え、控え目な音と共にドアが後ろ手に閉じられる。冷気は瞬く間に遮断されて、微かに屋内に生き残った分も間もなく薄れて霧散した。
「……」
 何も言わず、男性が消えて行った扉を眺めるソフィア。胸に沸き上がったもやもや感は、まだ消えない。
 そうしていると短い沈黙の末、ソフィアの異変に気付いたらしいクルーエルが心配そうにソフィアの顔を覗き込んできた。
「ソフィー、大丈夫? どうかした?」
「あ、いえ……」
 具合が悪いとでも、思われたのだろうか。ソフィアは慌てて取り繕った笑顔で、クルーエルに自分の健全を伝える。
 ソフィアは内心迷っていたが、最終的に自分が抱いたこの感情をクルーエルに伝える事はしなかった。
 クルーエルを信用していない訳では、決してない。ただ、分からなかった。
 この違和感をどう言葉にすれば良いのか、自分でも分からなかったのだ。

 * *

 冬に彩られた街を、1人歩く。
 ふと振り返れば、先程後にしたばかりのアンティークショップが彼の視界に収まる。だいぶ小さくはなっているものの、元々が広い建物なので完全に見えなくなるまでにはまだ時間が掛かりそうだ。
 数多の人間や乗用車と擦れ違いながら、彼は歩く。――なんの感情も窺えない、無の表情で。
 あのアンティークショップの若者2人に見せた温厚な笑顔は今や跡形もなく消え失せ、前方を見据える彼の双眸はどこまでも冷め切っている。
「……折角はるばる足を運んだのに、留守とはね」
 溜息混じりに、呟く。
 とはいえ、彼の口振りは『ちょっとだけ残念』という程度のもので、そこまで深く気にしている素振りは見られない。
「まあ、良いよ。どうせ、近い内に会える訳だし――ん? ああ、そうだね」
 彼は、笑った。
「確かに、君の言う通りだよ。向こうもきっと、ぼくに会いたがってる」
 彼の、笑みの種類が変わる。
「心配しなくても、その辺りはちゃんと考えてるよ。……まさか、忘れた訳じゃないよね? 『嘘』と『善人の振り』が、ぼくの十八番だって事」
 彼が浮かべた、静かなる笑み。冷たく凍り付いた、冷酷かつ狡猾な笑み。
 それは冷め切った双眸も手伝って、まともな人間が浮かべるものとは思えないありったけの邪悪と狂気が凝縮されたおぞましい笑みを完成させていた。
「さて……あと少し。あと少しで『祭』を始められる。その為にも、早く準備を整えないとね」
 訪れるのは、終わりの始まり。
 長き平穏が今、終焉を迎えた。


‐後編 終‐


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あきゅろす。
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