第5話 嘘と真より‐不信と確信‐
※このページの文中には過度の暴力シーンや流血シーン、及びグロテスクな描写が含まれています。
【前編】
生気のない虚ろな目をした亡霊達が、半透明の身体を引きずりながら次々と八方から襲い来る状況。打破するまでにそう時間は掛からないだろうと甘く見ていたヨハネスの胸にも、流石に少々の焦りが生じる結果となった。
葬儀屋に操られているとはいえ一般市民が多くを占める亡霊達の戦闘力は総合的に低く、番人の脅威にはなり辛い。だが数の力というものはヨハネスの想像を超えるものがあり、加えてヨハネス達には亡霊達にはない弱みがある。
相手を必要以上に傷付けてはならない制約と、やむを得ない状況下を除き街の建築物その他に被害を与えてはならない制約。これらがヨハネス達の戦いにおいて、意外なほど大きな足枷となったのだ。
ヨハネスが最後の1体を手刀で沈める事で、ようやく終了を迎えた攻防戦。体力には割と自信のあるヨハネスだが、それでもそこそこ疲れてしまった。
「くそっ、想像以上のやり辛さだな」
誰にでもなく、悪態を吐くヨハネス。
隣ではやや荒い呼吸を繰り返しつつも携帯電話を取り出して司令部に連絡を入れるセキアと、なんとも言えない面持ちで倒れた霊達を見下ろすクルーエルの姿がある。
対処すべき敵はまだまだ残っているというのに、こんな事でもう疲れている自分達。我ながら、先が思い遣られる。
「――え? 今、ですか?」
通話中のセキアが突然発した困惑気味の声に、ヨハネスとクルーエルがほぼ同時に彼の方を見遣る。
セキアの携帯電話からは聞き慣れた司令官の声が微かに漏れてはいるものの、何を喋っているのかまでは聞き取れない。思わず顔を見合わせる、ヨハネスとクルーエル。
程なくして通話を終えたセキアが、微妙な顔をして携帯電話を仕舞う。そこへクルーエルが、間髪容れずにヨハネスの抱いたものと寸分違わぬ質問を投げ掛けた。
「どうしたの?」
「それが……今直ぐ、移動して欲しいって」
「え?」
「は?」
セキアが複雑な表情で伝えた唐突な内容に理解が及ばず、クルーエルに続きヨハネスまでもが疑問の声を上げる。
「ここには鎮魂役を向かわせるから、おれ達には直ぐに来て手伝って欲しいって言ってたよ」
「手伝うって?」
「『子供2人』の討伐」
ヨハネスは、息を呑んだ。
セキアが言う子供2人が何を指すのかは、考えるまでもない。葬儀屋の共犯者3名の内2名、つまりハーフエルフだ。
「相手の戦闘力が高くて、そこで戦ってる番人もかなり手こずってるみたいだよ。だから――」
「待てよ。んなもん、その辺に散ってる番人を取っ捕まえてやらせりゃ良い話だろうが。なんでわざわざ、今どこにいるかも知れねえ俺らに言うんだよ」
「それは、分からないけど……」
司令官の意図が分からず、困っているセキアも同じなのだろう。不信がるヨハネスにも、言葉を濁す。
「ったく……仕方ねえな。行くぞ」
訳が分からなくても、司令部からの指示だ。気に食わないが、行くしかない。
悩んでもどうにもならないので、ヨハネスは腹立たしくも決断してセキアとクルーエルを急き立てた。そして――。
「セキア」
「何?」
「余計な事、考えんなよ」
「……分かってる」
セキアとの遣り取り。短いながらも、彼には伝わった様だ。
唯一この遣り取りを理解出来ないクルーエルだけが、取り残された様に何か言いたげな様子でヨハネス達を見詰めていた。
* *
今や気味が悪いほどに静まり返り、深く考えず目にすれば日頃の数倍の広さはあるのではという有り得ない錯覚すら引き起こし兼ねない大通り。
普段ならライトレールが走っている筈の線路沿いに立ち、ヨハネス達を待つ司令官の姿がそこにはあった。
司令官はヨハネス達の姿を認めるなり、自身の目の前にある有名なショッピングセンターを至って落ち着いた素振りで指し示した。
「裏にいる」
事務的にその一言だけを告げて、以降は黙る。さっさと行け、とでもいう様に。
ヨハネスは自分の中の反発心を極力抑えながら、それでもわざわざ返事をしてやる気にもなれず無言のまま言われた場所へと足を踏み出す。
良く見ると、今ヨハネス達が踏んでいる地には複数の真新しい傷が刻まれていた。あちこちに深い亀裂が入っている上、時折抉られている箇所さえ見受けられる。
街の破壊には充分な注意を払う事が義務付けられていても、これか。やはり相手は、子供の姿をしていながらも相当な実力者であるらしい。
「お前ら、覚悟は良いか?」
「大丈夫」
「う、うん。ぼくも」
先程の戦いでは体術のみで戦い抜く事に成功したヨハネスだが、流石に今回はそこまでやって退けるだけの度胸はない。そもそも、必要がない。
相手が討伐対象である以上、一切の手加減は要らない。そんな事をすれば、多大な被害を被るのはこちら側なのだから。
早足に件の建物へ近付き、慎重に裏側へと回り込むヨハネス達。
回り込んだ瞬間、視界を埋め尽くさんばかりに広がった『深紅』に、誰もが驚きを隠せなかった。
辺りは血の海という表現がこの上なく相応しく、見渡す限りの全てが凄まじい血の色と鉄の臭いに支配されていた。
どう見ても1人分の出血量では足りないだけの鮮血が流れている事は、ここにいる誰もが想像に困らなかっただろう。案の定、血の海に沈んでいたのは2人分の亡骸だった。
亡骸の内の1つを目にするなり、クルーエルがあっと声を上げる。彼の言わんとする事は、わざわざ考えずとも分かった。
ヨハネス達から見て手前の位置に仰向けに倒れている、人間の姿をした女性。ヨハネス達は、おびただしい量の血の海に沈むこの女性を知っている。
つい先程、目にしたばかりの女性。司令官に代わって、ヨハネス達を含む番人達に説明と指示を与えたあの女性。
「ハーウェル補佐官……」
ヨハネスの後方で凄惨な現場を見詰めるセキアが、苦々しい口振りで呟く。
補佐官の顔は左半分がドリルか何かで削られた様にぐちゃぐちゃに破壊されていて、周辺には彼女の肉片と思わしき物体が幾つも飛び散っていた。
なんとか損傷を免れた右目は大きく見開かれ、濁った補佐官の眼球はただ静かに灰色の空を仰いでいる。
顔面と共に破壊され最早原型を留めていない眼鏡が、そんな彼女の脇にぽつんと落ちていた。
「酷えもんだな……」
厳しく眉を寄せて、ヨハネスは呻く。
司令部の連中は気に入らないが、流石にこれは酷過ぎて目が当てられない。女性相手にここまでやれる神経が、ヨハネスには心底理解出来なかった。
「そっちは、番人だね」
セキアの声に直ぐさま反応し、ヨハネスはもう一方の遺体へと目を向ける。比較的大柄な身体を縦真っ二つに切断された、男の遺体に。
「酷過ぎるよ……」
クルーエルが小刻みに震える声で発した言葉にも、共感は出来ても応じるだけの余裕はない。ヨハネスにも、セキアにも。
「お前らの、知り合いか?」
セキアが半ば睨む様な目付きでその亡骸を見下ろし続けていたので尋ねてみた所、彼は小さく頷いて肯定した。
「管轄が近いから、何度か顔を合わせた事はあるよ」
セキアは無表情を取り繕おうとしている様だが、お世辞にも成功しているとは言い難い。犯人に対する彼の内に秘めた怒りは、計り知れない。
やり切れない感情を押し殺しつつ2つの遺体から視線を外し、ヨハネスは辺りを見回して犯人の姿を探す。が、犯人らしき者の姿は現時点では見当たらない。
子供の姿をしているという2人のハーフエルフは、まだ近くに潜んでいるのだろうか。それとも、もうどこかへと逃走してしまったのだろうか。
この分では、なかなかの長期戦になりそうだ。ヨハネスが溜息を吐き出した時、静まり返っていた周辺に聞き覚えのある男性の悲鳴が響き渡った。
一様に吃驚して顔を上げた3人の前方から、1人の男性が激しく息を切らしながら駆けて来るのが分かる。どうやら負傷しているらしく、絶え間なく血を流し続ける自らの左腕を押さえている。
ヨハネスは声だけに留まらず、走って来るあの男性の姿にも覚えがあった。
少し考えて、直ぐに思い出す。彼はヨハネス達が集合場所に到着した時、真っ先に声を掛けてきた男性だ。
男性はヨハネス達が立つほんの数メートル離れた場所で、足を縺れさせて転倒する。反射的にセキアとクルーエルが、遺体を上手く避けてそちらへと掛け寄った。
「大丈夫――」
恐らく大丈夫ですかと問おうとしたセキアの声に、全く異なる別人の声が重なった。聞いた事のない、ヨハネスの知らない声が。
「死に損ない、みーっけ。駄目だろ? 試合中に、逃げたりなんかしたら」
高い声。少年の声。
走って来た男性と同じ方角から悠々と姿を現した2人の子供が、双眸を細めてこちらを楽しげに眺めながら恐れを知らない悠長な足取りで近付いて来るのが見える。
「って、なんか番人増えてるしー。どうすんの、これー?」
少年と共に現れた少女が、台詞の割に緊張感の欠片もない口調で笑う。
ヨハネスは、愕然とした。
少年と少女、2人の子供、ハーフエルフ、葬儀屋の共犯者。
だがヨハネスが愕然としたのは、目の前に共犯者が現れたからではない。ヨハネスを愕然とさせた要因は、少年と少女の持ち物にあった。
2人の右手に、それぞれ握られた短剣(ダガー)。それらは今まさにヨハネスの目の前にいる、セキアが持つ物と完全に一致していた。
クルーエルと共にヨハネスに背を向けている状態である為、ヨハネスにはセキアの顔が見えない。けれど彼が今どんな表情をしているのかは、想像に難しくない。
ヨハネスと同じか、あるいはそれ以上に――。
氷の様に凍て付いた空気の中で、ハーフエルフの少年少女だけが無邪気に笑っていた。
‐前編 終‐
【前*】【次#】
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!