第1話 光と影より‐番人‐
 時間を戻せるなら、今直ぐにでも戻したい。
 後悔と自責ばかりが、男の胸を占める。自分は、なんて馬鹿な事をしたのだろうと。
 写真を撮るのが、男の昔からの趣味だった。
 休日になれば日頃のストレスを発散させる目的も兼ねて愛車を走らせ、行く先々で目に留まった風景にシャッターを切る。あの日もそうだった。
 しかしながら、あの日は場所の選択がまずかった。
 某都市の山奥にある、中世の城跡。
 男が選んだのは度々その手の本やテレビ番組などで取り上げられ、青少年達の肝試しの場としても頻繁に利用される有名所。所謂、心霊スポットである。
 問題点は、それだけではない。普段は1人でのんびりと楽しんでいた写真撮影の場に、あの日はよりにもよって恋人を連れて行ってしまったのだ。
 1年ほど前から交際を始めた、2つ年下の恋人。彼女は写真には全く興味を示さない一方で、大のオカルト好きだった。
 男が何気なく心霊スポットへ写真撮影に行く事を告げると、自分も連れて行って欲しいとせがんできた。
 日頃は見向きもしないこちらの趣味に形はどうあれ彼女が初めて興味を持ってくれたのだから、男としては悪い気はしなかった。故に、彼女の頼みを受け入れる事にした。
 男は、幽霊だの妖怪だのといったものを一切信じない立場の人間だった。
 城跡へ赴いたのも、飽くまで夜の心霊スポットという不吉で不気味なシチュエーションが絵になるだろうと考えたに過ぎない。彼女の同行の申し出をあっさり承諾してしまったのも、この心霊現象否定論が根本にあった為だ。
 心霊現象に遭遇する危険性を、ほんの少しでも意識していれば。少なくとも、彼女を連れて行く事はなかっただろう。
 まさか『あんなもの』に出くわす事になるとは、夢にも思っていなかった。
 あんな場所になど、行かなければ良かった。行くにしても、せめて1人で行けば良かった。そうしていれば――きっと、彼女が死ぬ事はなかったのだから。

 * *

「シャルロッテ……」
 夕暮れの某広場。時間帯や今日が平日といった事情から、職場や学校からの寄り道組が多く行き交う憩いの場の1つだ。
 そんな癒しの場には、落ち着きの欠如した今の男の挙動はさぞ不釣り合いなものに映る事だろう。
 たったの数分ごとに腕時計で現時刻を確認し、いい加減首が疲れてくるほどの頻度で広場内の至る方角へ断続的に視線を這わせる。これでは、不審者扱いを受けても文句は言えまい。
 男は、待っていた。顔も名前も知らない、会った事もなければ話した事もない『誰か』を、ここで待ち続けていた。
 オカルトやらホラーやらとは全くの無縁だと信じていた自分が、まさかあの様な怪しげで胡散臭い連中に頼み事をする羽目になるとは。世の中、分からないものだ。
 約束の時間まで、残り5分を切った。
 本当に『彼』は来るのだろうか。疑いを抱かざるを得ないのは、先日の体験が自分の中で未だ現実感を伴っていないせいだろう。
 何もかもが現実離れしている余り、自分の見たものが夢であった可能性を捨て切れないでいるのだ。恋人はもう、この世界のどこにも存在していないのに。
 男の視界に異質なものが映ったのは、恋人を思い出した事による悲壮感と絶望感に再び彼の心が沈み掛けた時だった。
 人混みに紛れる様にして、表通りから1人の少年が現れた。
 恐らく、未成年だろう。中性的な顔立ちをした彼の華奢な身は、程なくしてここ広場内へと躍り出た。歩く度、柔らかな茶の髪が微風に揺れる。
 異質というのは見た目ではなく、少年の放つ空気にあった。
 外見年齢に似合わない完全な無の表情と、余りに落ち着き払った動作。単独で悠然と進む姿は、比較的和気藹々としたこの雰囲気の中では少々浮いている。
 待ち合わせでもしているのか。少年は周辺に無感動な視線を這わせながら、こちらへ歩いて来る。
 いや、まさか。幾らなんでも、それはないだろう。あんな子供が。
 自分の中に沸き上がった可能性を、男は否定する。だが心情とは裏腹に、少年との距離は縮まるばかりだ。
 周辺を這っていた少年の視線が、不意に男の方を向く。目が合った。
 呆然と立ち竦む男に構わず、少年の足は確実にこちらを目指しているのが分かった。最早他の方角には目もくれず、一直線に近付いて来る。
 男が動けないでいる内に、少年の足が止まった。男の、直ぐ目の前で。
「エーベル=フォルスターさんですか?」
 抑揚のない中途半端に高い声で、男の前に立った少年が静かに問う。一切の感情が読み取れない平淡なヘイゼルの瞳が、上目遣いに男を見据える。
「そ、そうだが……」
「初めまして」
 戸惑いを隠せない男に淡々と言った少年は、おもむろに1枚のカードを掲げて見せた。やや唐突ではあったものの、これが何かしらの身分証明書だという事は直ぐに分かった。
 まじまじと見遣ったカードから男が得た情報は、目の前の少年の名がセキア=ブランケンハイムである事。そして、彼が紛れもない『番人』である事。
「お話を、窺いに来ました」


‐終‐


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