第1話 光と影より‐blankenheim‐
「これ、何読んでるの?」
 いつもの様にリビングのテーブル上に広げた分厚い書物を読んで過ごしていたセキア=ブランケンハイムに、同居人の1人であるクルーエルが声を掛けてきた。
 20歳ほどの外見年齢からは、やや違和感を禁じ得ない無邪気な表情。漆黒の髪と、珍しい深紅の瞳を持つ青年だ。
 彼はセキアの座る木椅子の脇に立って身を乗り出し、セキアの読むフランス語で書かれた本に視線を落としていた。
 クルーエルはつい今し方までダイニングで熱心にDVDを観ていた筈だが、セキアが活字を読むのに集中している間に観終えてこちらにやって来たらしい。
「小説だよ」
 常時の無表情を和らげ、努めて微笑らしきものを浮かべながらセキアは簡潔に答えた。
 微笑らしきものというのは、笑顔作りを非常に苦手とするセキアの精一杯の社交辞令である。笑顔が、笑顔になり切れていないのだ。
「どんな話?」
「SF、になるのかな。設定が複雑で、上手くは説明出来ないけど……」
 クルーエルとそんな他愛のない会話をしていると、キッチンで作業中だった1人の少女がセキア達の元へと戻って来た。
 焦げ茶色の髪は後ろで束ねられ、全てを包み込む様な慈愛に満ちた灰色の瞳がセキア達を見詰める。
 おおよそ15歳ほどの若い外見をした彼女も、クルーエルと同じく同居人の1人。名を、ソフィアという。
「お茶が入りましたよ」
 柔らかな笑顔で告げるソフィアが手にしたトレイには2人分のソーサーとティーカップが載せられており、各々のカップに注がれた紅茶からは程よい湯気が上がっている。こうしてお茶を用意するのも、彼女の役割の1つなのだ。
 同居人は、もう1人いる。
 現在接客により一時的に室外に出ている、ハクトという名の少女。彼女は、セキアの実姉に当たる。
 この場にいるセキア達にハクトを含めた計4名が、ここブランケンハイム家で暮らす住人の全てである。
 4人はいずれも同姓を名乗っているが、実際に血縁関係にあるのはセキアとハクトのみ。ソフィアとクルーエルは、後から加わったメンバーだ。
「どうぞ、セキアさん」
「有難う」
 読書の妨げにならない程度に取り易い位置に紅茶を置いてくれたソフィアに、セキアは先程と寸分違わぬ下手な笑顔で応じる。情けないが、これが自分の限界だ。
 珈琲派が多数を占めるこの国ではあるが、ブランケンハイム家の面々はいずれもその多数には含まれない。
 肉親の影響を受け、紅茶派となったセキアとハクト。そんな2人の影響を受け、同じく紅茶派となったソフィア。
 ブランケンハイム家に置いてある少量の珈琲の内、実に9割近くは来客様として使われているのだ。
「――あ、そろそろ交代しなきゃ」
 ふと室内の時計を見上げたクルーエルが、少々慌てた様子で言った。
 ここブランケンハイムの家の屋内に店舗を構え、セキア達4人が共同で開いているアンティークショップ『カルテット』では、一定の時間ごとに店番を交代する決まりになっている。
 クルーエルに釣られる様にして時計に目を遣った所、ハクトの店番が間もなく終わろうとしているのが分かった。次の店番は、クルーエルだ。
「ぼく、行って来るね」
「うん」
「お願いします」
 クルーエルの台詞に、セキアとソフィアがそれぞれ応答する。
 ハクトとの店番交代の為にクルーエルが速やかに踏み出した足はしかし、彼がリビングのドアに手を伸ばすより先に停止する事となった。彼が触れる暇もなく、何者かの手によってドアが外側から開かれたのだ。
「ハクト」
 呟く、クルーエル。
 リビングの3人の視線がドアの向こう側、すなわち廊下の一点へと注がれる。
 長くウェーブの掛かった美しい黄金色の髪を揺らしながら、傲然とそこに立つ少女の姿があった。
 セキアのものと同じヘイゼルの瞳は研ぎ澄まされた刃の様に細められ、まるで見る者全てを拒絶する様な冷淡な光を放つ。
 外見年齢はほぼ同じでありながら、セキアとは全く異なる種の無表情をした少女。彼女こそがセキアの姉ハクトであり、ブランケンハイム家のリーダーだ。
「電話があったわ」
 少女ことハクトは愛用の携帯電話を手に、おもむろにそう告げた。
 各々の表情で静まり返る一同の顔を無言で見回した後、彼女は更に一言。
「仕事よ」
 素っ気なく発せられたハクトのこの言葉は、室内の空気を一瞬にして変質させた。
 セキアも、ソフィアも、クルーエルも。皆、知っているのだ。今ハクトが口にした『仕事』という単語の意味する所が、先述のアンティークショップではない事を。
 ブランケンハイム家には、もう1つの稼業がある。――人知れずひっそりと続いている、裏の稼業が。


‐終‐


【前*】【次#】

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!