第0話 鴉と兎‐苦労人達‐
「客足も落ち着いたし、そろそろ閉めましょうか」
 今日もハクト=ブランケンハイムのこの台詞よって、閉店時刻が決定された。
 17時56分。大まかに言うなら、18時前。
 セキア、ソフィア、クルーエル。各々がハクトの言葉に短く了承の意を示し、彼女と共に閉店作業に取り掛かる。
 アンティークショップ『カルテット』は骨董品屋という少々マニアックなジャンルである事に加え、元々が個人経営の小さな店舗。それがこの時間帯ともなると、望まずとも客足は勝手に途絶える。
 閉店時刻は一応18時という事になってはいるものの、実際の所その決まりはあってない様なものだ。
 『カルテット』の閉店時刻は、ハクトのその日の気分によって変動する。
 彼女の機嫌が良ければ18時を過ぎても開けている場合があるし、悪ければ17時そこそこで閉めてしまう場合もある。一部の客からはやや迷惑がられているが、その程度ではハクトの意思は変えられない。
 今日はぴったりとはいわずも、規定とさして違いのない時刻に閉じる事が出来た。ハクトの今の機嫌は、ほぼ普段通りといった所か。
「今日は、お客さん多かったね」
「そうね」
 リビング兼ダイニングに戻って来るなりどこか嬉しそうな口振りで話すクルーエルに反し、ハクトの返答は至って淡泊である。嬉しくないというよりは、どうでも良いというのが彼女の本心なのだろう。
「お茶、入れて来ます」
 人懐っこい笑みを浮かべて、キッチンへと引っ込んで行くソフィア。表裏問わず、仕事が終わればその都度温かい紅茶を入れて来てくれるのが彼女である。
 そんな彼女と入れ違う様に、突如インターフォンが鳴る。まるで、閉店後を狙ったかの様なタイミングだ。
 クルーエルが怪訝そうに窓の外を見、静かにイタリア語で書かれた書物に目を通していたセキアが顔を上げる。
「おれ、出ようか?」
「ん。任せるわ」
 ハクトだけが変わらず飄々として、セキアの言葉に素っ気なく応じた。

 * *

 セキアの手によって半開きにされた扉の向こうで待っていたのは、見知った長身の男だった。
「よう」
 大きな身体と使い古された眼鏡が特徴的な彼はセキアと目が合うなり軽く右手をあげて、その動作と同じくらい軽快な口調で彼なりの挨拶を口にした。
 辺りに、不自然な沈黙が降りる。
「……」
「……」
「いや、待て待て待て! 閉めんなって!」
 男はセキアが無表情かつ無言で閉じようとした扉を、素早く右足を挟み込む事によって停止させてしまう。セキアの眉が、ほんの少しだけ寄せられた。
「番人の仕事なら、今は受けられないよ」
「違う違う。今日は、仕事を頼みに来たんじゃねえよ!」
 男の必死の弁解に、セキアの手が一瞬止まる。その微かな隙を衝き、男は持ち前の腕力を駆使して強引に扉を開け放った。
 いつもの事だが、この男の傍若無人ぶりにはほとほと呆れさせられる。
 と、ここでセキアは気付いた。男の後ろに控える様にして立つ、小さな人影の存在に。
 扉が開け放たれた事により広い範囲がこちら側から見渡せる様になり、先程までは見えていなかった屋外の光景がセキアの視界へと飛び込んで来る。小さな人影は、その内の1つだった。
 この小さな人の姿をした存在に、セキアは覚えがあった。
「君は……」
「お久し振りです、セキアさん」
 畳まれた日傘を片手に男の背後からひょっこりと顔を出してこちらを見上げる、帽子を被った少女。彼女はやや口篭る様な控え目な口調で言いながら、はにかむ様に笑う。
 男とは全くの正反対とも言える体格をした彼女が、少し前に番人関連の事件で知り合った吸血鬼の少女である事をセキアが思い出すまでに、さして時間は掛からなかった。
「まあ、そういうこった」
「そういう事って、言われても……おれには、良く分からないんだけど」
「やる」
 セキアの話を極めて適当に聞き流した男は、持っていた紙袋を半ば押し付ける様な形で彼へ手渡す。そしてそのまま当たり前の様にセキアの横を通り過ぎ、ずかずかと屋内へ上がり込んでしまった。
 本当にあっという間の出来事でセキアは言葉を失い、男が消えて行った我が家の廊下の向こうを数秒間見詰め続ける羽目になった。
 一体どういう神経をしていれば、ここまで傍若無人に振る舞えるのだろうか。もう、怒る気にもなれない。
 脱力感を覚えて深い溜息を吐き出しながらも、セキアは後ろで目尻を下げて申し訳なさそうにこちらを見詰めている少女の方を振り返った。
「取り敢えず、上がって」
「あ、はい。あの……」
「うん?」
「ヨハンが、ごめんなさい」
「……」
 少女に非は全くないのだが、謝りたくなる気持ちは分かる。
 セキアはそんな少女に、同情を覚えずにはいられなかった。

 * *

「どうぞ、珈琲です」
「ああ。悪いな、嬢ちゃん」
 ソフィアが入れて来た珈琲を受け取りながら、男ことヨハネス=マンシュタインが短く礼の意を述べる。
「あんた、本当は悪いなんて思ってないんでしょ?」
 早速突っ掛かるのは、ハクトだ。
 黙っていれば面倒な事にはならないだろうにとセキアなどは思うが、気に入らない事柄には黙っておけないのがハクトの性分だ。致し方ない。
 もっとも、彼女が言っている内容そのものにはセキアも同意見な訳だが。
「失礼な。少しは、思ってるっつーの」
「少し、ねえ……」
「なんだよ」
「別に。で、今日はなんの用?」
 珍しく早々にいがみ合いを切り上げたハクトに、隣で困惑気味に2人の会話を聞いていたクルーエルがあからさまに胸を撫で下ろしたのがセキアには分かった。
「用があんのは、俺じゃねえよ。ロージィだ」
「え?」
 セキア達4人の視線が、ヨハネスの向かいに大人しく座る少女ことロザリンド=グレーシェルへと集まる。
 4人に一斉に見詰められたロザリンドは、緊張した様子で何故か申し訳なさそうにおずおずと口を開いた。
「用というほどでは……。私はただ、改めてお礼が言いたくて」
「お礼って、あのオーストリアの事件の事? あれは仕事でやったんだから、気にしなくて良いわよ」
「それは、そうですけど……」
 口篭るその声さえも、徐々に小さく弱々しくなっていくロザリンド。他者から見れば冷徹にも見えるほどの素っ気なさを発揮するハクトに、完全に畏縮している様だ。
 ロザリンドは喋り方こそソフィアのそれに近いものの、口調や表情については大きく異なる。
 明るく人当たりの良いソフィアに対しロザリンドは良く言えば控え目、悪く言えば人見知りが激しく作り出す笑顔もどこかぎこちない。もっとも、笑顔云々に関してはセキアも他人の事は言えないが。
 ヨハネスと話す時などは比較的落ち着いているロザリンドだが、慣れていない者と話す時はいつもこんな調子らしい。
「おい、ハクト。少しぐらい、愛想良く出来ねえのかよ。ロージィが、怖がってるじゃねえか」
「ヨ、ヨハン。私の事は、良いですから……っ」
 ヨハネスからの苦情を受けたハクトの眉が、露骨に寄せられた事に気付いたのだろう。見るからに慌てて、止めに入るロザリンド。
「皆さん、紅茶がお好きだと聞いていたので……お口に合えば、嬉しいのですが」
「紅茶?」
「あれです」
 セキアの疑問符に応え、ロザリンドはリビング側のテーブルに置かれた物を指し示す。
 それは、セキアが先程玄関でヨハネスから受け取った紙袋だった。
「幾つかの国の紅茶を集めた、紅茶の詰め合わせです」
 ロザリンドが、短い説明を加える。
 セキアは特に深く考える事なくごく自然にあれがヨハネスからの手土産だと考えていた為、内心ほんの少しだけ驚いていた。
「あれは、ロージィさんからだったんですね。わたしはてっきり、ヨハンさんからの物だとばかり……」
「うん。ぼくも、ヨハンさんからだと思ってた」
 まるでセキアの内心を読み取ったかの様に、続けざまに同意見を述べるソフィアとクルーエル。だが――。
「あんた達、考えてもみなさいよ。ヨハンがこんな気の利いた物、持って来ると思う?」
「ハクト、てめえ……」
「何よ、事実でしょ」
 ハクトがまた余計に突っ掛かってしまったばかりに、場の空気は三度悪くなる。
 本日3度目となる険悪で居心地の悪い空気が室内に漂い、いい加減セキアはここから本気で逃げ出したくなった。
 といっても、おろおろはらはらしながら2人を見守っているソフィアやクルーエルやロザリンドの見捨てる訳にもいかないので、やむを得ず口を開く事にした。
「2人共、その辺にしなよ……。これじゃ、話が進ま」
「煩いわね!」
「お前は、黙ってろ」
 しかしながら最後まで言い切る事すら許されず、セキアは問答無用で2人から一斉に憤怒の声を浴びせられてしまう。
 自分は何か、悪い事をしただろうか。ハクトやヨハネスと一緒にいると、時々それが冗談抜きで分からなくなる。
 脱力感から静かに項垂れるセキアに、ロザリンドが控え目に声を掛ける。
「……大変ですね」
「君もね……」
 セキアは、くたびれた声でそれだけ答えるのが精一杯だった。
 せめて早く終わってくれという彼ら達の切実な願いも虚しく、ハクトとヨハネスの不毛な言い争いが無事終わりを迎えたのは、なんだかんだでそれから15分ほどが経過した後だったという。


‐終‐


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