第2話 罪と罰より‐弱音と余韻‐
 ブランケンハイムの4人が去った、ロザリンド宅のリビングルーム。
 残されたヨハネスとロザリンドは、先程までの賑わいが嘘であった様な静かな時間を過ごしていた。
 隣の席で茶を啜るロザリンドの気配を感じながら、ヨハネスは今回関わった吸血鬼事件の全貌を思い起こす。
 本当に、色々な事があった。今までに幾度となくこなしてきた番人の仕事の中でも、ここまで振り回されたケースは決して多くない。
 守るべき対象が密かに敵と手を組んでいた事により、完全に敵側に主導権を握られてしまったヨハネス達。
 正直な所、レムの思考力を甘く見ていた。重傷を負って意識が飛んだのも、随分と久しい気がする。
 ちなみに――敵と手を組んでいたアウストの処遇は、ほぼヨハネス達の予想通りといった所だった。司令部から事情聴取を受けた後、解放されたと聞く。
「ヨハン?」
「!」
 物思いに耽っていたヨハネスの意識は、怪訝そうにこちらの顔を覗き込んできたロザリンドによって呼び戻された。
「……悪い。どうした?」
「まだ、帰らなくて良いんですか?」
「あー、もう少ししたらな」
 立て続けに起きた冷や汗ものの展開に、肉体的にも精神的にも疲労が溜まっている。早く帰って休みたいのは山々だが、乗って来た車の運転すら億劫に感じてしまうのが現状である。
 ヨハネスは曖昧に笑い、曖昧に返答をする。同時に、安心した。
 レムが死んで放心状態に陥っていたロザリンドが、幾らか元気を取り戻してくれている。今にでも倒れそうな顔をしていたあの時と比較すれば、差は歴然だ。
 ロザリンドがレムに自分の姿を重ね見ていた事実を、ヨハネスは知っている。
 別に、ロザリンド本人に聞いた訳ではない。ただ、彼女を見ていている内に気付いてしまっただけの事。
 そして、相手に自分の姿を重ねていたのはレムも同じだったのだろうとヨハネスは推測していた。
 レムがあそこまでロザリンドを目の敵にしていたのは、恐らく怪我をさせられた事だけが原因ではない。寧ろ彼女の無意識に潜むロザリンドに対する同族嫌悪こそが、原因の大半を占めていたのではないか。
 無論これもヨハネスの推測でしかなく、確証はない。
「ヨハン」
「ん?」
「優しい人達、でしたね」
 唐突といえば、唐突な台詞。
 けれども、ロザリンドのこの言葉が誰を指しているのかは聞くまでもない。
「まあ、優しいっちゃ優しいな」
 ヨハネスは、あっさりと認める。だが――。
「他人にはな」
「え?」
 ヨハネスがぼそりと付け足した一言に、ロザリンドは聞き返す。
 ヨハネスは、答えない。

 * *

「で? 結局、何があった訳?」
 午前0時を少し回った、ブランケンハイム家。
 ソフィアがとうに床に就き、睡眠を必要としないクルーエルが暇潰しにDVD鑑賞をしている。そんな時間帯。
 寝付けないのか読書をしていたらしいセキアの部屋に、ハクトは半ば以上押し掛ける形でやって来ていた。
 突如として訪ねて来たハクトにセキアは驚いた様子ではあったものの、ハクトは構う事なくつかつかと室内へ足を踏み入れた。そして、開口一番に投げ掛けた問いが上記である。
「あんた、あれから変よ。自然に振る舞ってたつもりかも知れないけど、あたしの目は誤魔化せないから」
「えっと……」
 明らかに、反応に困った素振り。
 両手を腰に当てて立ち、ハクトは視線を泳がせるセキアを傲然とした態度で見下ろす。引くつもりは、ない。
 セキアの事だ。苦労や迷惑を掛けたくないとか、大方こういった所なのだろう。
 過保護なのは、自覚の上だ。その上で、放置する訳にはいかなかった。
「セキア」
「……っ」
 有無を言わせぬ、ハクトの催促。これが何より、セキアに逃げ場がない事を示していた。
 セキアはハクトから目を逸らし、顔を伏せて黙り込んだ。まるで、自身の中に沸き上がった激情を押し殺すかの様に。
 いや、事実そうなのだろう。彼は感情と共に押し殺した低い声で、ぽつりと言った。
「ちょっと……嫌な事、思い出した」
「嫌な事?」
「他人の事なんて知らない、って」
「……」
「でも、それだけだから」
 ハクトは、何も言わない。不快感に、眉を顰めて。
 暫しの沈黙。気まずさからか、セキアは依然として視線を落としたままだ。
「本当に?」
 沈黙の末の、ハクトの一言。セキアの華奢な両肩が、微かに震えたのが分かった。
 まさに恐る恐るといったぎこちない動作で、緊張に強張った顔を上げるセキア。こちらを見詰め返す彼の目に、暗い影が差し込む。
「本当に、それだけなの?」
「……それだけだよ」
「そう。なら、良いわ。お休み」
 素っ気なく無愛想に言う事だけを言うと、ハクトはあっさりと身を翻した。
 ハクトは開きっ放しの出入口から廊下に出て行くと、以降はもう何も言う事なく後ろ手にドアを閉めた。
 仏頂面で廊下を歩き、自室に向かう。向かう傍ら、ハクトは思考する。
 セキアの中に未だ燻る激情を、ハクトは改めて垣間見た。
 セキアは自分がかつて受けた屈辱を極力意識から追い出し続ける事で、冷静さを保っている節があった。そして、これに関してはハクトも同じ事。
 吹き荒れる初夏の夜風が奏でる木の葉の音を、廊下の窓越しに聞く。
 ハクトは行き着いた自室のドアノブに手を掛けながらゆっくりと瞑想する様に両の瞼を閉ざすと、小さな溜息を吐き出した。


‐罪と罰 終‐


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あきゅろす。
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