第2話 罪と罰より‐贖罪‐
※このページの文中には過度の暴力シーンや流血シーン、及びグロテスクな描写が含まれています。


「痛い! 痛いっ!」
 半分になった自らの5本の指から多量の血をとめどなく流し、レムが激痛に泣き喚きながら床上にうずくまっている。
 彼女の姿を、ヨハネス達はなんとも言えない面持ちで見下ろしていた。
 レムに付けられた傷はまだ完全には塞がっておらず、血液の再生もまだ終わってはいない。未だ残る鈍痛と貧血で、頭がくらくらする。
 そんなヨハネスのものと同じ色の血を、目の前にいる化け物が流している。
 レムが吸血鬼達にした事は、最早どんな償いをした所で帳消しになど出来ない大罪である。同情など到底出来はしないし、罰を受けて然るべきだ。
 だが実際にこうして彼女が血を流して泣き叫ぶ光景を目にしてみると、それは決して気分の良いものではなかった。
 レムの抹殺。これが今回、ヨハネスが司令部から受けた指示だ。
 司令官からこの指示を出された当初、ヨハネスは特になんの感情も抱きはしなかった。指示されるまでもない、当たり前の事だと認識したからだ。
 自分と同じ色の血を持つ者が傷付き苦しみながら死んでいく姿を、ヨハネスは100年以上にも及ぶ番人の活動の中で飽きるほど見てきた。
 しかし、今日までに関与してきたいずれの事件でも見ていて良い気分になれた事例はない。どうやら、今回の事件も例外ではないらしい。
「なんで……なんでレムばっかり、こんな目に遭わなくちゃいけないの……」
 大粒の涙を流しながら、嗚咽混じりに嘆き苦しむレム。彼女に、ヨハネスは個人的な感情を全て押し殺して言った。
「お前は他人の痛みは見ようともしない癖に、自分の痛みには敏感なんだな」
 意識的に声を低くし、吐き捨てる。
「自分が独りなのは、全部吸血鬼のせいだ。……お前は、どうせそう思ってんだろ? けど、間違ってるぜ」
 レムが濡れた眼球を微かに動かし、ヨハネスを見る。
「ダンピールだからってだけでお前を虐げた吸血鬼達にも非はあるだろうが、原因はそれだけじゃねえよ」
 ヨハネスは言う。ただ、淡々と。
「他人の痛みを知ろうともしない奴には、誰も寄って来ねえ。簡単な話だろ」
 ゆっくりと、鈍い動作で立ち上がる。握り締めたままの大型拳銃をレムの頭部へ向けて、狙いを定める。
「お前は、しちゃあいけない事をした。絶対に許されない事を、平気で繰り返した。だから、お前にはここで死んで貰う」
 このヨハネスの言動を境に、緊迫していた空気が更なる緊張を帯びた。いつ破裂しても不思議はない、極限まで張り詰めた空気は重苦しく息苦しい。
 ロザリンドは、大丈夫だろうか? 気にはなっても、確かめる余裕はない。少しでも隙を見せれば、またろくでもない事になるからだ。
 そんな中、徐々にとはいえレムの嗚咽が弱まっていくのが分かった。
 切断された5本の指からの出血は止まる所を知らないが、彼女は構う事なくヨハネスを目一杯に睨み付けた。
「知らない……! 他の奴の事なんて、知らない!」
 怒りと憎しみと絶望を原動力とした、レムの叫び。
 怒りと憎しみと絶望を宿した瞳でヨハネスを見据え、彼女は超人的な力で瞬時に身を起こした。間髪容れず、クルーエルが「あっ!」と声を上げる。
「嫌い! 皆、大嫌い! 皆、死んじゃえば良いんだ!」
 瞬く間に立ち上がったレムが、無傷の左腕を思い切り宙に振り上げる。そして、その伸ばされた鋭利な爪で再びヨハネスの肉体を切り裂こうとした。
 刹那、ヨハネスの視界の片隅で無表情のセキアが動いた。

 ぶちっ!

 不吉な音と共に噴水の如く天井へ向かって飛び出た赤い液体は、やがて赤い雨と化してヨハネス達の元に降り注いだ。
 何が起こったのか理解が及んだのは、赤い液体が新たに切断されたレムの頸動脈から吹き出している事実に気付いた時。おぞましい光景に、ロザリンドとアウストが一瞬の悲鳴を上げた。
 ゆっくりと、その場に崩れ落ちるレム。彼女の小さな身体は、5本の指の残骸と共に血の海に沈んだ。
 半開きの双眸からは、一筋の涙が伝う。
「……セキア」
 そこに立って無言のまま短剣(ダガー)の切っ先をレムの方へと向けているセキアに視線を移しながら、ヨハネスは呟く。
 風の刃を放ってレムを討伐したセキアは、何も言わずに短剣を下ろした。やはり、表情らしい表情はない。
 誰もが言葉を失い言動のない中で、ふと血に塗れたヨハネスの衣服の袖を掴む手があった。
 考えるまでもない。ロザリンドだ。
 振り向いたヨハネスの顔を上目遣いに見上げる彼女の瞳は様々な感情により濡れたままで、曇りが晴れる気配は依然として見受けられなかった。

 * *

 ヨハネスの手によってがっちりと腕を掴まれたアウストを含むセキア達一行が廃墟内を後にした時、屋外では既に2人の少女が待機していた。
「お帰り」
「お帰りなさい」
 日頃と違わぬ仏頂面で腕を組み、素っ気なく声を掛けてくるハクト。彼女とは正反対とも言える柔和な笑顔で、優しげに声を掛けてくるソフィア。セキアやクルーエルには、見慣れた光景だ。
「皆さん、お怪我は?」
「ねえよ。俺以外はな」
 ソフィアの問いにはヨハネスが応じ、治療魔術不要の旨を簡潔に告げた。不老不死の力で完治した彼も流石に疲労感までは拭い切れず、表情は芳しくない。
 日傘に隠れて表情が窺い辛いロザリンドも、極端に口数が減っている事からしてヨハネスと大差ない状態と思われる。
「司令部へ連絡は?」
「ごめん、まだ連絡してない」
「そう」
 セキアの返答を聞くや否や、ハクトは特に気にした様子もなくスカートのポケットから自身の携帯電話を取り出した。早々と操作を始めた彼女に、セキアは言う。
「ところで、姉さん」
「何」
「さっきは、有難う。助かったよ」
 ほんの一瞬だけ、ハクトの指の動きが止まった。
「……詰めが甘いのよ。あんた達は」
 あたかもどうでも良さそうに鼻を鳴らしたハクトは、仏頂面を維持したままそっぽを向く。素直でない彼女なりの照れ隠しとも受け取れるが、実際の所は不明である。
 ハクトが間もなく司令部との無愛想な通話を開始すると、入れ代わる様にクルーエルが口を開いた。
「ねえ、セキア」
「うん?」
 ヨハネスに拘束されたアウストの方をちらりと見遣りながら、クルーエルは何気ない口振りで尋ねる。
「その人、どうなるの?」
「!」
 瞬間、アウストの顔があからさまに引きつったのは必然と言えよう。この疑問の答えを最も気にしているのが、他ならぬ彼本人なのだから。
「まあ、番人が定める処罰対象には当て嵌まらないからね」
 アウストが実行したレムへの協力は脅されて仕方なくやった行為である為、事情聴取を受ける程度に留まるだろう。
「んな事より、さっさと戻ろうぜ。……ロージィが、心配だ」
 ヨハネスが言う。
 疲労を抜きにしても、ロザリンドの顔色が悪いのは一目瞭然である。気に掛けたソフィアが彼女に何度か話し掛けたりはしているものの、いずれも反応は鈍い。
「そうだね。早く帰ろう」
 セキアは静かに頷き、何の気なしに空を仰いだ。
 陽光が眩しい。不思議と、ちりちりとした地味な痛みを感じる。
 それは血に汚れた心と身体へ、直に染み込んで来る様だった。


‐終‐


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あきゅろす。
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