第2話 罪と罰より‐ダンピール‐
 ダンピール。それは、吸血鬼と人間の間に生まれた存在を言い表す言葉。戦闘力に優れ、あの吸血鬼を悠々と死に追い遣る事が出来る恐るべき能力を秘めた生き物。
 少女は、ダンピールだった。少女は人間である母親と吸血鬼である父親の手によって育てられた、特殊な存在だ。
 だが――否、だからこそそんな彼女の生きてきた環境は、お世辞にも幸せとは言い難いものだった。
 短命である人間は皆現世に少女を残したまま旅立ち、寿命を持たない吸血鬼は皆死を恐れて少女から離れて行く。
 これは、少女の両親とて例外ではなかった。現に少女は母親には先立たれ、父親には恐れられ捨てられたのだから。
 人間には置いて行かれ、吸血鬼には拒絶され続けてきた少女は孤独だった。いつどこにいても、少女はずっと独りぼっちだった。
 いつからか少女は、吸血鬼を憎む様になっていた。自分を見捨て、拒絶し、独りにし続けた吸血鬼を心の底から憎悪する様になっていた。
 孤独への深い悲しみと吸血鬼への激しい怒りを小さな身体に抱えて、たった独りで生きて抜いてきた少女は今――。

 * *

 闇の中から現れた少女の姿に、ロザリンドが身を震わせている。彼女の後方に立っている、セキアの目からも判別が出来るほどに。
 邪気に覆い尽くされ狂った笑顔でロザリンドを見遣るレムと呼ばれた少女は、身構えるセキア達にも動じず軽やかな足取りで歩み寄って来る。
 ショートブーツが奏でる硬い靴音が、緊迫の静寂の空間にいやに大きく響く。
「ヨハン、あの子が?」
 質問と言うよりも確認の意図で、セキアはヨハネスに問う。
「ああ。間違いねえよ。正真正銘、ダンピールだ」
「そう。分かった」
 予め事情を聞かされていたセキアやクルーエルが、今の状況を受け入れるのは容易な事。セキアは短く応答し、クルーエルも緊張気味に頷いた。
「ロージィ、下がってろ」
「あ……」
 レムを見据えたまま、ヨハネスが言葉と左手を使ってロザリンドに指示を送る。
 小さくて頼りない震え声を発しながらも、ロザリンドは覚束ない動作でヨハネスの指示に従った。
 クルーエルは引き続き彼女のやや後方に立つ事で、左右や背後からの奇襲に備えているのが横目に窺える。
 セキアの方もロザリンドより幾らか前方に進み出て、ヨハネスの隣に並ぶ。上着の内ポケットに隠し持っていた短剣(ダガー)を慣れた手付きで取り出し、いつでも攻撃出来る様に精神を集中させる。
 今の所、室内に共犯者の姿は見受けられない。人質となっている、アウストの姿も。
「ブルーノ=アウストは、どうした?」
「生きてるよ。ちゃんと」
 厳しい口調で問い詰めるヨハネスに対し、レムは場の空気を完全に無視した気楽な口調で応じる。
 4人の注目を一心に受けて尚も怯む素振りを見せず、レムは4人との距離を半ばほどまでに縮めた後に立ち止まった。
 狂気に満ちた笑顔で4人を見渡したレムはやがて、平然と後ろを振り返る。
「良かったね。来てくれたよ?」
 陽の当たらぬ闇へと、楽しげに呼び掛けるレム。まるで、世間話でもしているかの様な気軽さだ。
 間もなく、濃い闇の中から新たに1つの人影が姿を現す。全貌が露わになるまでに、さして時間は掛からなかった。
「アウストさん……!」
 ロザリンドが、掠れた声を上げる。
 人影の主は、紛れもなくアウストだった。凄まじい恐怖に引きつった顔で、彼は助けを求める様にこちらを凝視している。
「ほら、行って良いよ」
「っ!」
 強烈な邪気を纏うレムによって発せられたその台詞に、アウストは弾かれた様に駆け出した。
 何度も足をもつれさせて転倒し掛けても、彼は意に解さない。まさに死に物狂いといった様子でレムの脇を通り過ぎ、セキア達の元を目指す。
 アウストはこちらに到達するや否や、セキア達の最後尾に立つクルーエルの更に後方に逃げ込んだ。縋る様にやって来た彼の荒い呼吸に紛れて、奥歯ががちがちと鳴る音が聞こえて来る。
「アウストさん、怪我はない?」
「……あ、ありません……」
 クルーエルが尋ねると、アウストは弱々しく声を震わせて頷いた。精神面はともかく、肉体的損傷はない様だ。
 無表情に沈黙を続けていたセキアは、自身の中で密かに思索をしていた。レムがあっさりとアウストを解放したのが、少しばかり意外に思えたからだ。
 レムは本当に、ロザリンドにしか興味がないという事か。だが仮にそうなら、これまでに殺害された吸血鬼達は一体なんだったのか。
 セキアが思索出来たのは、ここまでだった。深い溜息と共に、ヨハネスが低く唸る様に言葉を吐き出した為だ。
「目的はなんだ? また例の如く、吸血鬼の皆殺しか?」
 ヨハネスは、普段の彼からは想像に難しい強い剣幕でレムを睨み付ける。ぞっとするほどの地を這う様な低声に加え、怒りと敵意に満ちた剣幕で。
 ヨハネスから向けられるそれらを真正面から受けても、レムは全く動じない。寧ろ心の底から楽しそうに、くすくすとヨハネスを嘲笑う。
「相変わらず、君はせっかちだねえ。もうちょっと、気楽に行こうよ。折角こうして、また会えたんだからさ」
「御託は良い。答えやがれ」
 聞く耳を持たないヨハネスに、レムはわざとらしく肩を竦めて見せる。
「吸血鬼の皆殺しが目的なら、そこのアウストって人を解放したりなんかしないって」
 口調も表情もそのままに、レムは続ける。
「レムは、吸血鬼が嫌い。吸血鬼は、皆死ねば良いって思ってるよ? でもね、今回の吸血鬼殺しの目的は他にあるの」
「何……?」
 ヨハネスが、僅かに眉を寄せる。
 訝しむ一同を余所に、やがてレムは信じられない答えを口にした。
「この街の吸血鬼を殺していけば、またロザリンドに会えると思ったから」
 ヨハネスとロザリンドが、ほぼ同時に息を呑んだ。
「ロザリンドがどこに隠れ住んでるのか、探したけど見付かんなくてさ。でもこうすれば、出て来ざるを得なくなるよね?」
 ごく自然に、悪びれる様子もなく話すレム。自分のした事が、悪い事だとは夢にも思っていない様な口振りだ。
「自分の周りで、次々と吸血鬼が死んでいくんだもん。ロザリンドもヨハネスも、必ず動き出すよね? 昔と同じ様に、ね」
 ヨハネスの目付きが、より剣呑なものとなる。
「てめえは……そんな事の為に、無関係な吸血鬼を殺しまくったのか?」
「? うん」
 何故聞かれるのかが理解出来ないとでも言いたげに、レムは怪訝そうに首を傾ける。自分の行為の非道さを、全く理解していない幼子の様に。
「昔も、そうだったよね。レムが吸血鬼を殺し回ってたら、ロザリンドとヨハネスがレムを退治しに来たよね。だから、今回も来てくれるかなって」
「もう良い。黙れや」
 押し殺した声ではあるが、ヨハネスの内心の怒りはこの一言だけで十二分に窺い知る事が出来た。
 激情。抑え切れない感情の荒波が、ヨハネスの胸中に渦巻いている。それはきっと、蒼白顔で絶句しているロザリンドも同じなのだろう。
 そして――セキア自身も自分の心に暗い影が差していくのを感知していたが、彼はその影を強引に意識の隅へと追い遣った。
 今は、必要のないもの。そう、自らの心に言い聞かせながら。


‐終‐


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