第2話 罪と罰より‐触発‐
【中編】


 重苦しい静寂が、室内を覆い尽くす。
 激情に震える手で握り締めた携帯電話が軋みを上げるが、気に掛ける余裕など今のヨハネスには存在しない。
 相手側から一方的に要求を突き付けられ、一方的に切られた電話。即座に掛け直すも、相手が応じる事はなく徒労に終わった。
「くそっ!」
 低く怒りの声を吐き出し、奥歯を噛み締めるヨハネス。
 セキアもクルーエルもロザリンドも、何も言わない。皆が皆、それぞれの心情で言葉を失くしている。
「どうしたら、良いのかな……」
 おずおずと口を開いたのは、クルーエルだ。目を伏せて、彼は悩ましげに呟く。
「あの餓鬼、ふざけやがって……! 罠だって分かり切った場所に、ロージィを連れて行ける訳ねえだろっ」
 ヨハネスの苛立ちは、収まる所を知らない。
「だけど……そうしないと、アウストさんが……」
 殺されてしまう。口には出さずとも、クルーエルの言いたい事はここにいる全員が理解している。だからこそ誰もが押し黙り、この場に立ち尽くしていた。
「――姉さんに、連絡して来る」
 やがて4人の中でただ1人表情に乏しいセキアが淡々と一同に告げた後、自身の携帯電話を手に部屋を去った。それを最後に、室内に再度の沈黙が下りる。
 気掛かりが多過ぎる現状でも、ヨハネスの最大の気掛かりはやはりロザリンドにあった。
 ロザリンドは、先程から俯いたまま顔が見えない状態が続いている。
 自分の命が狙われているであろう事に加え、犯人の正体が自分の恐れていた通りの人物であった事。更には、その犯人によってアウストが人質になっている事。ロザリンドの精神的ダメージは、計り知れない。
「……ヨハン」
「!」
 そんなロザリンドが、ぽつりとヨハネスの名を呼んだ。俯き続けていた彼女の顔が、ゆっくりと持ち上げられる。
 反射的に、クルーエルと共にそちらを凝視するヨハネス。凝視して、気付く。
 暫く振りに上げられたロザリンドの顔には、悲観の色も恐怖の色も見受けられなかった。先程までと比較すれば、変化は歴然と言えるだろう。
「ロージィ?」
 何か重大な決意をした様な、真剣な表情。揺るぎない、真っ直ぐな瞳。
 ヨハネスとクルーエルの注目を浴びながら、ロザリンドは凛とした振る舞いで宣言した。
「私、行きます」

 * *

「いなくなったですって?」
『ごめん。少し、目を離した隙に……』
 微かな苦々しさを孕んだセキアの声が、電話を通してハクトの耳に届く。
 ハクトが座るソファーの隣で、緊迫した空気を敏感に察したらしい。ソフィアが、心配そうな様子でこちらを見ているのが横目に窺えた。
「それで?」
 想定外の報告に顔を顰めつつも、ハクトは飽くまで平淡な口調でセキアに話の先を促す。
『さっき、犯人から電話があった』
「犯人?」
『大方、ヨハンの言ってた通りだったよ』
「そう」
 別段、驚きはない。今更だ。
 ただ、解せない点もある。
 ブルーノ=アウストが本当に攫われたのだとしたら、相手は単独犯ではないかも知れない。
 事前にヨハネスから受けた説明によると、今回の犯人――ダンピールの少女は一匹狼との事だったが、こうなった以上は複数犯の可能性も視野に入れなければなるまい。
 無論、この程度の考察ならセキア達もとうにやっている事だろう。わざわざ、ハクトが指摘するまでもない。
 故にハクトは、敢えてこれには触れずに別の問いを投げ掛ける事にした。
「犯人は、なんて?」
『アウストさんを助けたいなら、ロージィを連れて来る様にって。アウストさんも多分、そこにいると思う。場所は――』
「工場?」
 一瞬、電話の向こうのセキアが黙った。
『どうして、それを?』
「あたしも今、ヨハンに連絡しようとしてた所よ」
 引き続き淡々と、ハクトは話す。
「情報屋がね、掴んでたの。ある廃工場に、最近小学生くらいの女の子が頻繁に出入りしてるって」
『……』
「その女の子、吸血鬼が殺された日の深夜にはいつも両手を真っ赤に染めた状態で帰って来るそうよ」
 目撃者皆無の俊敏な犯行も、あの不愉快な情報屋には筒抜けなのだ。
「簡易だけど、メールで地図を送るわ」
『分かった。有難う』
 こう言って、電話は切られた。
 ハクトは直ぐさま情報屋から受け取った簡易地図を撮影した画像を添付し、セキアのアドレスへと本文のないメールを送信した。そして、軽い溜息を吐く。
「ハクトさん……?」
 ハクトの一連の動作を見守っていたソフィアが、控え目に話し掛けてくる。
 短い空白を挟んだ後、ハクトは入れ直して貰った紅茶を口に運びながらソフィアの不安げな声に応じた。
「ちょっと、面倒な事になってるみたい」
「面倒な事?」
「ブルーノ=アウストが、いなくなったそうよ」
「! そんな、どうして……っ」
「現時点では、なんとも言えないわね」
 いつもの仏頂面で素っ気なく答えたハクトは、元よりきつい印象を与えがちな双眸を更に細めた。


‐中編 終‐


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