第2話 罪と罰より‐始動‐
【後編】


「今までの事件の特徴の1つとして、まずは犯行時刻が挙げられる訳だが――」
 最後の被害者候補である、ブルーノ=アウスト宅の一室。勧められたソファーに腰を落ち着けたクルーエル達は、昨日までに司令部が行ったという捜査の報告をヨハネスの口から聞かされていた。
 ハクトからの連絡待ちが現状なのだが、何もしないでいるのは落ち着かないという意見が一部から出た事によってこういう流れになった。
「つい先日殺された、クラリス=シュトルムもそうだ。夕陽が完全に沈んだ頃、帰宅した旦那が彼女の悲鳴を聞いてる。悲鳴を聞いて慌てて家に入ったら、既に殺害された後だったらしい」
 ロザリンドやアウストの精神面を考慮したヨハネスにより詳細は省かれたものの、クルーエルが聞いた所によるとこれまでに発見された遺体はいずれも酷い有様だったいう。
 鋭利な凶器で全身の至る箇所を抉られ、臓器を含むあらゆる物が身体からはみ出していたとの事。クラリス=シュトルムの遺体も、大方同じ状態だったと思われる。
 クルーエルはふと、先程からずっと俯き気味に沈黙を貫いているロザリンドの方へと目を遣る。
 俯き気味のロザリンドの表情は良く見えないが、彼女がどんな表情をしているのかはなんとなく想像が付く。出された珈琲も、全くの手付かずである。
 アウストの様子も、時折落ち着きなく部屋のあちこちに視線を這わせている点を除けばロザリンドと大差ない。そして、クルーエルも。
 そこそこの場数を踏んでいるとはいえ、この状況で涼しい顔をすのはクルーエルにはまだ些か難しかった。見るからに平然としているのはヨハネスと、隣にいるセキアぐらいだ。
「……殺されて発見されるまでに殆ど時間は空いてないのに、誰も犯人の姿を見てないんだね」
「よっぽど身軽なのか、その手のエキスパートなんだろうな。いや、両方か」
 セキアの呟きに、ヨハネスは心底どうでも良さそうな調子で返す。実際彼の中では犯人がほぼ確定しているというのだから、真っ当な反応なのだろうが。
「アウストさん」
「っ!」
 ロザリンド以上にそわそわとした素振りを見せていたアウストが、セキアから不意に名を呼ばれた事によって両肩を盛大に跳ね上がらせた。見ていただけのクルーエルの方が、吃驚してしまったほどに。
 セキアはそんなクルーエルとは対照的に、依然として平静な物腰でアウストに淡々と注意を促す。
「夜までは危険はないと思いますが、連絡が来るまでは我々の傍を離れない様にして下さい」
「はい……。あ、あの……」
「何か?」
「手洗いに行きたいのですが、その……直ぐ、向かいなので……」
「どうぞ」
「失礼します……」
 ぼそぼそと断りを入れてから立ち上がり、俯き気味に一礼して部屋を出て行くアウスト。クルーエルがそれを深い意味もなく見送っていると、視界の端でヨハネスが動いた。
「ロージィ、大丈夫か?」
 押し黙ったまま大人しく座っているロザリンドの元へと歩み寄り、ヨハネスは身長差をカバーするべく彼女の前に膝を突く。
「私なら、平気です」
 ロザリンドは、顔色が悪いながらも毅然とした態度で返事をする。
「やっぱり不安はありますけど、皆さんがいるので……」
「なら良いが、無理だけはすんなよ?」
「はい」
 顔色の悪いロザリンドではあるものの、意思はしっかりしている様で何よりだ。クルーエルは、内心で安堵した。
「……連絡、来ないね」
「落ち着かない?」
「うん、ちょっと」
 気を紛らわせる目的も兼ねてセキアに話し掛けてみた所、セキアはクルーエルの心情を直ぐに察して会話に応じてくれた。彼の自然な気遣いが、身に染みる。
「相変わらず、てこずってるのかも知れないね。相手が、あの情報屋だから」
「ああ……そっか」
「情報屋のあの性格は、姉さんが1番嫌がるタイプだからね」
 嫌味を言えば反発してくるヨハネスよりも、何を言っても動じない情報屋の方が毒舌家のハクトとしてはやり難いのだ。
 と、過去に誰かが言っていた気がする。当時のクルーエルには難解で理解には及ばなかったが、今なら少しだけ分かる。
「――なあ、遅くねえか?」
 各々が珈琲を飲んだり些細な遣り取りを交わす最中、やがてヨハネスがふとそんな事を口にした。
 クルーエル達の動きが、一斉に止まる。壁掛け時計に目を向け、顔を見合わせる4人。
 室内に、これまでにはなかった異様な空気が滲み出る。どこか不気味な静寂に覆われた部屋で、セキアがヨハネスの問いに答える形で口を開いた。
「近距離の割には、遅いね」
 胸騒ぎ。感じたのは、クルーエルだけではないのだろう。セキアも、ヨハネスも、ロザリンドも。程度の差はあれど、ここにいる全員が顔色を変えている。
 普段ならさして気に留めない事柄でも、状況によっては勝手が違ってくる。現状が、まさに『それ』だ。
「ぼく、見て来る……!」
 居ても立ってもいられずに、クルーエルは急かされる思いでソファーから腰を浮かした。反対する者は、いなかった。
 小走りに退室する間際にいたクルーエルの後方で、ヨハネスが1人呟く。
「流石に、有り得ねえよな……?」
 ヨハネスのこの言葉はクルーエルに向けられたものではなく、ひいてはヨハネスと共に部屋に残ったセキアやロザリンドに向けられたものでもない。
 自分自身に言い聞かせる様に低く発せられた、ヨハネスの独白。冷静に振る舞う彼の、秘めた動揺と困惑が垣間見える。
 今の今までいた部屋を飛び出したクルーエルは、廊下を挟んだ先にアウストがいる筈のトイレを見付けた。
 そそくさとドアまで歩み寄り、数回ノックしてみる。が、返答はない。
「アウストさん?」
 ドアの向こうで、ひたすらに継続する沈黙。無音。アウストから返答も、なんの物音も聞こえてはこない。
 時間が経つに連れて、目前の不気味な無反応に堪えるのが苦しくなってきた。
 クルーエルは収まらない胸騒ぎに震える手で、そっとドアノブを握った。――鍵は、空いていた。
 勇気を振り絞ったクルーエルが恐る恐る開いたドアの向こうに、人の姿はなかった。


‐後編 終‐


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あきゅろす。
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