第1話 光と影より‐白き者‐
 番人に殺されるくらいなら自分で、という訳か。
 血溜まりを絶え間なく広げてゆく赤帽子(レッドキャップ)の骸を、セキアはクルーエルの隣で無言のままに見下ろす。半ば呆然とした様子のクルーエルとは異なる、完全な無表情で。
「――戻ろう」
 いつまでもここに立っていた所で、どうなる訳ではない。セキアは直ぐに頭を切り替え、表情のない顔を上げた。
 床に転がるもう1つの死体、床のあちこちに付着した血痕に相次いで目を遣る。そして、続けて言った。
「あとは、司令部に任せよう」
「うん……」
 複雑な顔で頷く、クルーエル。彼は間もなく、はっと思い出した様にこちらを向いて声を荒げた。
「そうだ……! 怪我、早く治さないと! セキア、確かどっか切られ――」
「痛っ!」
「え?」
 たちまち表情を歪ませて身体をくの次に折ったセキアを見て、クルーエルは一瞬間の抜けた声を出す。
 クルーエルがセキアを引っ張ろうとして両手で掴んできた場所は、よりにもよって負傷した右腕。暗闇のせいで、どこを怪我しているのかまでは見えていなかったのだろう。
 意図的に意識から追い出していた苦痛が何割かの増幅を遂げてセキアに襲い掛かり、彼の額に脂汗を滲ませた。
「ああっ! ご、ごめん!」
 何が起こったのかをようやく理解したクルーエルが、未だかつてないほどの動揺ぶりを晒す。痛覚を持たない彼でも、痛みというものが『辛くて嫌な感覚』である事は、知識として知っているのだ。
 慌てて手を離し、クルーエルは酷くおどおどとした調子で恐る恐るセキアに尋ねてくる。
「ごめんね、セキア……えっと……だ、大丈夫?」
「……結構痛いけど、大丈夫だよ」
 セキアは肩で息をしながらなけなしの気力を使って作り出した自分の笑顔が、幾らか引きつっているのを自覚する。
「セキア、怒ってない……?」
「怒ってないから、それ持って来て」
 始終足元を照らしていた懐中電灯を指差して淡々と指示を出し、セキアはクルーエルよりひと足早く入口を目指して足を踏み出した。
 上司への報告は、もう少し後で良いか。そういえば、クルーエルに携帯電話を貸したままだ。今頃、姉は怒っているだろうか。
 セキアは苦痛を誤魔化す目的を兼ねて、そんな幾つかの事柄に黙々と想いを巡らせ続けた。
 * *

「なあ、あんた――」
「ハクトよ」
 ほんの少しだけ落ち着きを取り戻したフォルスターが声を掛けようとした所、ハクトと名乗った彼女はあからさまに不快げな様子でぶっきらぼうに言い放った。
 あんた呼ばわりが必要以上に気に障ったらしいが、こちらを見るハクトの視線は刺々しいを通り越して刺そのものだ。
 正直、女に対してここまで怯んだのは始めてかも知れない。思いながらも、フォルスターは大人しく従っておく事にした。
「ハクト……さん達は、いつもあんな化け物と戦ってるのか?」
「当たり前でしょ。相手が普通の人間なら、それはあたし達じゃなくて警察の仕事だわ」
 詰まらなさそうに鼻を鳴らし、腕を組むハクト。
 元々がきつい性格なのか、単にフォルスターが嫌われているのか。いや、恐らく両方だろう。
「あ、ハクトさんっ」
 そんなハクトとは真逆に等しい印象を与えるもう1人の少女が、不意に何かに気が付く。
 少女が見詰める先に目を向けると、城跡の出入口から何やら懐中電灯の明かりらしきものが漏れて来ているのが分かった。
 徐々に拡大し、濃度を増してゆく明かり。程なくして明かりと共に現れたのは、2つの人影。
「終わったみたいね」
 ハクトが、誰にともなく呟く。
 懐中電灯を片手に城跡から出て来た青年が、ハクト達に気付いて手を振った。彼の直ぐ後ろに、セキアが続く。
 2人が近付いて来る姿をぼんやりと眺めていたフォルスターはやがて、セキアの異変に気付く事となった。
 どうやら、腕を負傷しているらしい。裂けた衣服の袖から垣間見えた細い右腕にはっきりと分かる縦長の傷が刻まれており、未だ止まり切らない血液が雨垂れの様に滴り続けている。
 セキアの怪我を見て即座に顔を強張らせた少女が、持っていたバッグを地面に置いておもむろに中をあさり始めた。
 1本のミネラルウォーターと、布で丁寧に包まれた謎の物体が間もなく少女の手によって相次いで取り出される。
 少女が速やかに取り払った、布の下から現れた物。フォルスターには、それがアンティーク調の杯の様に見えた。
 少女は杯の中に適量のミネラルウォーターを注いだ後、お祈りでもするかの様に静かに瞼を閉ざした。彼女が何をしているのか、フォルスターに分かる道理はない。
「お帰り。他に、怪我は?」
 セキアと青年は、フォルスターの目が少女に向いていた間にこちらへ到達していた様だ。目の前に立ったセキアに、顔色ひとつ変えないハクトが問う。
「ないよ。あとは、返り血だから」
「そう」
 素っ気なく返して、ハクトは黙る。
「セキアさん、お怪我を」
「うん。お願い」
 傷口を広げない様に注意を払いながら袖を捲り、セキアは少女に向かい合う形でその場に腰を下ろした。
 セキアを呼んだ少女はそっと彼の手を取り、先の杯を傾けて傷口に満遍なくミネラルウォーターを掛ける。
 傷に染みたのか、痛みに僅かに顔を顰めるセキア。けれども、それはほんの一瞬の事。
 少女がミネラルウォーター越しにセキアの傷口に手を添えると、程なくして流血が止まり――更には、決して浅くはなかった筈の傷口が徐々にではあるが確実に塞がっていくのが分かった。
 何をどうやったらこんな事が起こり得るのかと、フォルスターは驚きを隠せない。まるで魔法だ。
 少女は一体、どの様なからくりを使ったというのか。ミネラルウォーターのボトルに入っていたあれは、本当にただの水だったのだろうか。いずれも、フォルスターの理解力を凌駕する。
「ところで、セキア。あたしに、何か言う事は?」
「……」
 フォルスターの出口の見えない思考を中断させたのは、ハクトが不意に発したそんな言葉だった。
 ハクトの剣幕と声色がより刺を纏った様に思えたのは、どうやらフォルスターだけではないらしい。
 セキアの表情が珍しくも固まり、まさに恐る恐るといった様子で上目遣いにハクトを見返す。
 見れば青年も似たり寄ったりな表情になっていて、彼はセキアをフォローする為に酷く控え目に言った。
「あ、あのねハクト。それは――」
「クロ、あんたは黙ってなさい」
 ばっさりと台詞を遮られ、青年はしゅんと肩を落とした。
 ハクトによる痛いほどの視線に晒され続けている当のセキアは、さりげなく彼女から目を逸らしつつばつが悪そうに呟く。
「……ごめん」
「あんたね、何度言わせるのよ。聞き分けのない命知らずの馬鹿な人間は、多少手荒な真似をしてでも追い出しなさいって。司令部にばれた時、怒られるのはあんたじゃなくて代表のあたしなのよ?」
 その馬鹿な人間に当たるフォルスターの前でも、ハクトの説教は容赦がない。流石に少しムッとするも、彼女からの反撃が恐ろしいフォルスターとしては水に流す以外に選択肢はない。
「――俺を追い出す事くらい、やろうと思えば簡単に出来ただろ」
 代わりにという訳ではないが、フォルスターはハクトの説教が途切れた瞬間を見計らい思い切って口を開いた。
 上記はセキアのみに向けた言葉ではあったものの、案の定ここにいる番人4名の視線の全てがフォルスターに集まった。
 彼らが各々の面持ちで注視する中、フォルスターは俯き気味に言葉を続ける。
「なんで、俺なんかの為に……そんな、怪我までして」
 セキアには、最初からフォルスターを見捨てるつもりなどなかった。フォルスターの同行を黙認したあの時、既に彼はフォルスターを守るつもりでいたのだ。
 もしもセキアがフォルスターを無理矢理にでも追い出していれば、彼は始めから青年と2人で戦いに挑む事が出来た。一時的とはいえ、たった1人で持ち堪える必要などなかった。もしかしたら、怪我などせずに済んでいたかも知れない。
 セキアは人間に重大な情報を流さないという番人の掟を破り、怪我をしてまでフォルスターに真実を見聞きさせたのだ。
「ソフィー、有難う」
 治療が、無事に終わったのだろう。セキアは下手な笑顔を作って少女に礼を言った後、使用した道具をバッグに仕舞う彼女よりもひと足先に立ち上がった。
 無表情へと戻った彼はフォルスターに向き直ると、先程の質問の答えを淡々と口にした。
「単純に、おれが甘いだけですよ」
 冷酷に振る舞いながらも、冷酷になり切れない。番人達にも、そんな人間らしい一面があるのか。フォルスターは思うが、口に出すのはやめた。
「悪かったな」
 そして、ぶっきらぼうに謝罪の言葉を述べる。
 惨殺された恋人の為とはいえ、セキア達の仕事を妨害してしまった事実は変えられない。だから、邪魔をした件に関してだけは謝る。それだけだ。
 フォルスターからの謝罪は、思い掛けない事だったのか。セキアと青年が、微かに驚く素振りを見せる。
「……いえ」
 セキアは緩く首を振って、短く静かに答えた。
 その後、ハクトが代表者として上司――司令部という名称らしい――に報告の電話を入れた事で番人としての4人の仕事は完了し、この場は解散となった。
 別れ際にハクトを除く3人が見せた微笑みは酷く優しげなものとしてフォルスターの目に映り、一変した番人の印象を彼の脳裏に焼き付けた。


‐終‐


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あきゅろす。
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