第1話 光と影より‐戦と思索‐
※このページの文中には過度の暴力シーンや流血シーン、及びグロテスクな描写が含まれています。


【後編】


 異常なスピードで振り回される鋭利な大鎌の刃が、不気味な静寂に包まれた大広間の空を裂く。何度も何度も繰り返される猛攻撃は、こちらの体力を少しずつ着実に奪ってゆく。
 大技を使うには、相手の動きが速過ぎる。
 赤帽子(レッドキャップ)からの猛攻撃の合間に、セキアは隙を見て小技を撃ち込む事で地道にダメージを与える。その分体力の消耗も早まるが、他に有効な手段がない以上は致し方ない。
 セキアは赤帽子の攻撃の手がほんの僅かに弱まった時を見計らい、相手の胴体目掛けて衝撃波を放った。しかしながら、寸前の所で避けられてしまう。
「危ない、危ない」
「……」
 身体の数ヶ所に打撲傷や切り傷を作りつつも、赤帽子はまだまだ余裕とでも言いたいのか下劣な笑みを絶やさない。
 セキアの方も、何も無傷で済んでいる訳ではない。
 右腕の外側。手首裏から肘近くにまで及ぶ、細く長い切り傷。余りの速さに避け切れなかった相手の攻撃を、咄嗟に防御した際に付いたものだ。
 深手に至らなかったとはいえ、決して軽視も出来ない怪我。痛みを伴いながら続く流血が、大広間の床を更に汚していく。
 浅く裂けた自身の腕を伝い、指先から雨垂れの様に落ちて行く深紅。セキアはそれには目もくれず、右腕が発する不快な熱にも無視を決め込む。
 目の前の敵を油断なく見据えながら、乱れた呼吸を整える。攻撃を再開する為、セキアは左手に握った短剣(ダガー)を速やかに持ち上げた。――否、持ち上げようとした。
「!」
 セキアが短剣を振り上げるより先に、赤帽子の疾走は始まっていた。こちらの技を、発動前に潰しておく目論みか。
 驚異的な速さで打たれた先手にセキアの思考は一瞬停止するも、瞬く間に目前まで迫った大鎌の刃は辛うじて避ける事に成功した。
 セキアの首目掛けて横一文字に振るわれた、赤帽子の大鎌。あと少し反応が遅れていたらと思うと、ぞっとする。
 敵に先手を打たせてしまった代償は、まだ終わらない。
 セキアがまともに腕を動かす時間すら発生させない、赤帽子の猛攻撃。どこにそんな体力があるのかと疑問さえ浮かぶ、果てしなく長い攻撃の連鎖。
「く……」
 苦い顔をしつつ回避に徹底せざるを得ないセキアの背後に、分厚いコンクリートの壁が迫る。
 背が触れる寸前にして、セキアは動く。
 後方への回避から一転し、左へ。赤帽子によって凄まじい力で振るわれた大鎌の切っ先は間もなく、今し方までセキアが背を向けていたコンクリートの壁に深々と突き刺さる結果となった。
 赤帽子の大鎌の動きが止まった所で、セキアは直ちに短剣を振り上げて反撃を試みる。が、出来なかった。
 顔色ひとつ変わらない赤帽子は突き刺さった大鎌の柄にぶら下がる様な形でバランスを取り、そのままセキアの腹に両足を駆使した蹴りを叩き込んだ。
「う……っ!」
 予想だにしていなかった蹴りに防御が間に合わず、腹部と共に強く圧迫された気管に一瞬セキアの息が止まる。
 セキアは数度むせながらもなんとか踏み止まり、転倒だけは免れた。
 ただこの隙に赤帽子は軽々と壁から大鎌を抜いてしまい、反撃の機会はまたもや失われた。
 内心の焦りをひた隠す様に舌打ちし、セキアは短剣を相手に突き付けたまま距離を取る。
「私とて、幾度となく『お前達』と対峙してきた身。見くびって貰っては――」
 赤帽子の台詞が不自然に途切れたのは、大広間の入口がある方角でまばゆいほどの強い光が発生した為だ。
 直後、純白に輝くレーザー状に放たれた魔法弾が音もなく大広間に乱入し、赤帽子に牙を剥いた。
「ぐっ……が!」
 その間、僅か1秒弱。
 完全な不意打ち故、セキア同様に反射神経が追い付かなかったらしい。赤帽子は真っ赤な双眸を見開き、そんな短い悲鳴を上げながらこの場にがくりと膝を突いた。
 突然の攻撃は赤帽子の脇腹から脇腹までを掠める様にして横切り、彼の肉体を幾らか削った様だ。
 削られた肉から、多量の鮮血を溢れさせる赤帽子。苦痛に表情を歪めつつも、彼は睨み付ける様な形相で大広間の入口に目を遣る。
「クロ」
 赤帽子とほぼ同時にそちらを見たセキアは、程なくして入口からこちらを目指して文字通り『飛んで来る』クルーエルの姿を、自らの視界に捉えた。
 クルーエルの足音がセキアや赤帽子の耳に全く入って来なかったのは、彼が飛行能力を使った為だ。
「セキア、大丈夫っ?」
 緊張や不安を孕んだクルーエルの声に、無表情に戻ったセキアは淡々と応じる。
「切られたり蹴られたりしたけど、大丈夫だよ」
「……それ、大丈夫なの?」
 微妙な顔をして、セキアの隣に降り立つクルーエル。会話を交わしてはいるものの、彼の視線は赤帽子ただ1人に定められている。
 セキアは落ち着きを取り戻した静かな瞳で前方を見据え、大きく息を吸い込んだ。
 セキアの意志に応える様に巻き起こった風が、彼の身体を軸にして周辺の空間へと拡大してゆく。凛として強く、周辺の空間を満たしてゆく。
 うずくまって激痛に堪えていた赤帽子の挙動に、明確な焦りの色が浮かんだのがわかった。即座に痛みを無視して立ち上がり、赤帽子は大鎌を振り上げセキアを睨む。
 潰すつもりなのだ。セキアの技を。けれど、クルーエルがそれを許さなかった。
 通常通りの球体をした幾つもの魔法弾を瞬時に生み出し、赤帽子の動きを牽制すべくクルーエルはこれを一斉に放った。
 こちらへの侵入防止は勿論、左右から頭上に至るまであらゆる逃げ道を魔法弾によって牽制する。
 赤帽子を直接狙った魔法弾はいずれも身体を捻って擦れ擦れの所で避けられてしまったが、構わない。今のクルーエルの目的は、飽くまで時間稼ぎだ。
「クロ、離れて」
「! うん」
 セキアからの『合図』を聞いて、クルーエルは神妙に頷きながら上方へと飛んだ。
 セキアはクルーエルが射程範囲から外れたのを確認するや否や集めた風を左手の短剣に託し、解き放った。――目の前の赤帽子の俊足を持ってしても回避が間に合わないほどの、広い空間をその射程範囲に収めて。
 膨大な風が奏でる轟音の中に、しわがれた老人の断末魔を聞いた気がした。

 * *

 風の魔術に巻き込まれない様に天井近くまで待避していたクルーエルは、暴風が収拾するのを見計らい再びセキアの元に降り立った。
 無表情のセキアが、無言で見詰める先。何メートルも離れた場所まで容赦なく吹き飛ばされ、力なく横倒れになった赤帽子の姿がある。
 赤帽子は血塗られた硬質な床に自らの血を混合させながら、いつ消えるかも知れない微弱な呼吸を繰り返している。
 何も言葉を発する事なくそちらへ足を踏み出したセキアに、クルーエルは続く。
 足元を照らす懐中電灯の明かりを頼りに少しずつ、念には念を入れて慎重に距離を詰める。
 セキアの技に全身を強打された事に加え床に叩き付けられた衝撃によって赤帽子の身体は所々が潰れ、手足は本来ならば有り得ない方向に曲がっている。
 虫の息であるにも関わらず、損傷の少ない右手は未だ大鎌を離そうとはしない。近付いて来たクルーエルとセキアを、赤帽子の充血した双眸が見返す。
「解せんな……。人間のどこに、そうまでして守る価値がある……」
 血の滴る唇を微かに動かし、冷笑する赤帽子。こちらを嘲笑う一方で、本当に理解出来ないといった内情も汲み取れる。
「解せん……そんなに、人間が好きか……」
 セキアの足が止まる。表情らしい表情は、彼の顔からは依然として見受けられない。
 クルーエルは不意に、ある事を思い出した。
 先述の赤帽子の台詞は、セキアやハクトが長く番人をやってきた中で散々掛けられ続けてきた台詞だと。前に、セキアから聞かされた事があった。
 そして、セキアはその質問を投げ掛けられる度にこう答えてきたと言う。
「『君達』の事が、嫌いなだけだよ」
 抑揚に乏しい声色で放たれた言葉には、底知れぬ冷たさと蔑視があった。
 セキアの言葉を聞いた赤帽子はほんの一瞬だけ表情を失くし、もう1度だけ冷笑を浮かべた。
 最後の力を振り絞るかの様に、赤帽子の右手が握った大鎌を持ち上げる。
 まだ戦うつもりか。クルーエルの胸に緊張が走り、セキアの身に力が入った。
 だが結果として、2人の危惧は不要のものとなった。――クルーエル達が警戒する最中、赤帽子は大鎌の先端で自らの心臓を躊躇いもなく貫いたのだ。
「あ……」
 クルーエルは、思わず呟く。
 瞬く間もなく動かなくなった赤帽子を、クルーエル達は静かに見下ろしていた。


‐後編 終‐


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あきゅろす。
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