第1話 光と影より‐変動‐
「流石は番人。嗅ぎ付けるのが早い」
凄まじい負の感情の数々によってうずくまるフォルスターには構わず、事態は刻々と進んでゆく。
下劣な笑い声と共に聞こえた、老人こと赤帽子(レッドキャップ)の台詞。フォルスターが力ない動作で顔を上げると、声と寸分違わない下劣な笑みがあった。
あいつが、シャルロッテを殺した。シャルロッテの血を帽子の着色に使用し、シャルロッテの身体を解体した張本人。
憎い。許せない。けれど、飛び掛かって金属バットを振るうだけの気力はとうに失われていた。
激しい絶望感と、改めて対峙した事によって植え付けられた無力感。
あの赤帽子は、フォルスター如きにどうにか出来る相手ではない。きっと、傷1つ付ける事すら叶わないだろう。
死ぬつもりで、セキア達に反発してまで乗り込んで来たのに。最早、立ち上がる気力すらなくなってしまっている。
「フォルスターさん。もう、充分でしょう」
どこまでも淡々とした声で、セキアが赤帽子の方を向いたまま話し掛けてくる。
フォルスターは何か言葉を返そうとして、ふと気付いた。いつの間にか、セキアの左手に先程までは存在しなかった『ある物』が握られている事に。
懐中電灯の光を反射する鋭利な刃に、黒い柄。それは、ナイフに見えた。
「クロ」
「何?」
セキアに呼ばれて、青年が神妙な面持ちで応じる。
「フォルスターさんを、外へ」
セキアはポケットから白い物体を取り出し、青年に投げて寄越した。携帯電話だ。
「それから、姉さん達に連絡を入れて」
「……分かった。気を付けてね」
若干陰った表情で青年が答えた所で、赤帽子が速やかに動き出す。
異常な速さで振り上げられ異常な速さで振り下ろされた大鎌はしかし、再び宙を切って切っ先を深紅の床にめり込ませる結果に終わった。
攻撃を紙一重で回避したセキアはナイフの先を赤帽子に定めた状態でゆっくりと後ろ歩きをし、フォルスター達の前方に立った。まるで、自らが壁となってフォルスターを守るかの様に。
否、この『様に』という表現は、正確とは言えない。事実、セキアは『そう』だった。
「――ここで見聞きしたものは、どうか内密にお願いします。でないと、おれが上司に怒られるので」
「!」
背中越しに掛けられたセキアの淡々とした言葉に、はっと双眸を見開くフォルスター。ある1つの可能性が彼の頭をよぎり、思考を一時停止させたのだ。
「あんた、まさか最初から……!」
「急いで下さい」
フォルスターの台詞は、セキアによってぴしゃりと遮られた。
「早く立って!」
緊迫した様子で、青年がフォルスターの右腕を引っ張ってくる。
第一印象の無邪気さや気弱なイメージから遠ざかった青年の挙動に少なからず度肝を抜かれたフォルスターは、その勢いに気圧されて弱々しくも腰を浮かしていた。
鈍い動作で立ち上がったフォルスターは青年に手を引かれるがままに血塗られた大広間から脱出し、懐中電灯の光を頼りに廊下を駆けて行く。
こちらに背を向けたセキアを、混乱する頭のどこかで気に掛けながら。
* *
携帯電話の着信音に設定されたとある有名な賛美歌が、ハクトのスカートのポケット内から漏れ聞こえてくる。
音を聞いてたちまち表情を引き締めたソフィアの隣で、相変わらず仏頂面のハクトが乱雑な手付きで携帯電話を取り出す。彼女は画面に表示された文字に目を通した後に一言、素っ気なく告げた。
「セキアね」
「!」
ソフィアの危惧は、瞬く間に現実のものとなった。
今このタイミングでの、セキアからの連絡。悪い予感がする。
セキアが仕事が片付いた報告を行う為に、ハクトの携帯電話へ連絡してくる事は度々ある。だが今は、仕事が片付いたにしては早過ぎる。
もしかしたら、あちらで何か良くない事が起こったのかも知れない。余り思い浮かべたくはない嫌な想像が、ソフィアの心中にじわじわと広がってゆく。
ソフィアの内心とは対照的な落ち着き払った動作で通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てるハクト。彼女は同じく落ち着き払った口調で、電話の向こうにいる筈のセキアへと問い掛ける。
「どうしたの? 何か――クロ?」
ずっと変化のなかったハクトの表情に、幾らかの訝しげな色が混じる。
電話の相手はどうやらクルーエルの様だが、これは一体どういう事だろう。
「なんで、あんたが? セキアは?」
僅かに眉を寄せたハクトが、クルーエルに聞く。
ハクトはそれから一言二言の遣り取りをクルーエルと交わした後、溜息混じりに「直ぐ行くわ」とだけ返答して通話を締め括り、電話を切った。
「あの……ハクトさん」
「取り敢えず、あんたが心配してる様な事態にはなってないそうよ。今の所はね」
携帯電話をポケットへと仕舞いつつ、ハクトはソフィアの不安げな声に応じる。
当然こんな応答で状況の把握に至れる筈もなく、ソフィアは間もなく聞き返す事となる。
「どういう意味ですか?」
「歩きながら話すわ」
ハクトはそう告げるなり、ソフィアの反応も待たず早々に歩き始めてしまう。セキア達が戦っていると思われる、件の城跡を目指して。
不安も疑問も何も解決しないままに、ソフィアはつかつかと前進するハクトの背中を追い掛けた。
‐終‐
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