第1話 光と影より‐黒き者‐
※このページの文中には過度の暴力シーンや流血シーン、及びグロテスクな描写が含まれています。
クルーエルとセキアが惨劇の現場である城跡へと並んで歩を進める後方で、フォルスターが諸々の内心から張り詰めた表情をしながらもしっかりと付いて来ているのが横目に見える。
帰ってくれる素振りは一向に窺えないし、セキアが彼を無理に追い出そうと動く気配も全くない。今の状況と空気に、クルーエルは困っていた。
「ねえ、セキア……あの人、本当に良いの?」
クルーエルが声を潜めた上で念には念を入れて英語で話し掛けた所、程なくして同じ様に英語化された台詞がセキアから返って来た。
「良い訳じゃないよ。けど、ああいう人は言い出すと聞かないから。それこそ、力ずくでもない限りは」
無表情に淡々と、セキアは言う。
「大抵の人間は命を惜しんで逃げるものだけど、たまにこうやって自分の命よりも『情報』を優先する人間がいるんだ。正直、1番厄介なタイプだよ」
「……どうするの?」
「少し、危険はあるけど――」
セキアはここで、言葉を切る。丁度、城跡の出入口を目前に控えた頃だった。
半開きになった、傷だらけの古扉。隙間から覗き見た城内に明かりはなく、漆黒で埋め尽くされた内部は輪郭すら把握出来ない。
「クロ」
「あ、うん」
セキアに促され、クルーエルは懐中電灯の光でゆっくりと内部を照らしてゆく。
出入口から直線上に伸びる広々とした廊下の先、突き当たりに見える両開きの錆びた扉が大広間なのだろうか。フォルスターの言っていた、あの大広間。
出入口の扉を慎重に開け放ち、左右に伸びる通路を照らしてみる。
右側には、別の扉が。左側には2階へと続く古びた階段が、それぞれ突き当たりに存在しているのが分かった。
セキアが1歩、足を踏み入れる。彼が最初に目指したのは、やはり大広間だった。
周囲を警戒しながら悠然とした足取りで進むセキアと、前方を照らしつつ彼に続くクルーエル。そして、依然として黙々と付いて来るフォルスター。3人の硬い足音が、不気味な静寂に満ちた空間に木霊する。
ふと、セキアの足が止まった。
あとほんの数歩で大広間の扉に手が届くという、そんな中途半端な地点。不自然に立ち止まった彼は、無表情でありながらもこの錆びた扉をじっと睨み付けている様だった。
「セキア?」
「……」
直ぐには答えず、無言のまま緩やかにこちらを振り返るセキア。彼は、クルーエルに向けて――否、クルーエルとフォルスターに向けて抑揚のない声で簡潔な警告を施す。
「気を付けて」
「え?」
「な……」
2人がセキアに対し、まともに聞き返せるだけの時間は与えられなかった。
びちゃっ!
気味の悪い静寂を呆気なく破るに至った、多量の水を床にぶち撒けた様な音。次いで『ごろん』という、ある程度の重みを持った何かが床に転がる音。
緊張の最中唐突に発生した2つの音に、クルーエルの両肩は驚き故にびくりと跳ね上がった。同時に、背後に立つフォルスターが大きく息を呑む気配がした。
物凄く、嫌な予感がする。
戦場に身を置き続ける内にクルーエルが自然と覚えるに至った、とある不吉な音。今し方聞こえて来た音達は、それと良く似ている様に思えたのだ。
音の発生源は、数歩先にある扉の向こう。すなわち、大広間。
靴音を響かせ、セキアは右手を使って速やかに扉の取っ手を握る。間もなく、扉が彼の手によって押し開けられた。
錆びた扉が、重い音を立てて開く。徐々に拡大していく隙間から、大広間の様子が露わになる。
「あ……!」
懐中電灯に照らし出された、大広間内部。気付いた時にはもう、クルーエルは声を上げてしまっていた。そしてそれは、クルーエルだけではなかった。
「――ひっ!」
凄まじい恐怖を宿した、引きつった短い悲鳴がクルーエルの背後で上がる。フォルスターだ。
2本の懐中電灯が照らす、深紅の床。そこに横たわる、成人男性のものと思わしき亡骸。
厳密に言えば、床そのものが深紅な訳ではない。元の色が判別出来ないほどの、大量の『鮮血』を浴びた結果である。
横たわる遺体に、頭部は付いていない。切断された部位から流れ続ける鮮血が、床を鮮やかな深紅に染め上げていた。
クルーエルはフォルスターの視界を塞ぐ様に自身の立ち位置を調整して、ほんの僅かでも彼の心の負担を和らげようとした。思い切り見せてしまっておいて、今更感はあるが。
懐中電灯の光を更に移動させてゆく内にどうにか見付けた遺体の頭部は、離れた場所に転がっている関係で顔までは窺えない。
状況からして、犯人がまだ近距離にいるのは明白だ。当然、ここ大広間内で息を潜めている可能性も高い。決して、油断は出来ない。
冷水を張った様な、寒々とした沈黙の中。不意にセキアが、恐ろしく静かな歩調で前方へと進み出た。
血の海となった深紅の床を平然と踏み、横たわる遺体に近付くセキア。視線を落として遺体を調べるものかと思われたが、結果を言えばそうはならなかった。
クルーエル達が注視する中、表情の見えないセキアががばりと勢い良く顔を上げて上方を仰いだのは間もなくの事。
瞬間、上方から何かが落ちて来た。
クルーエル達が、状況を理解する暇などなかった。クルーエル達の理解に関わらず、事態は目まぐるしく進む。
落ちて来た『何か』を避けるべくセキアが俊敏な動作で右手へ飛び退いた直後、今の今まで彼が立っていた場所に床同様元の色が分からないほどに血塗られた大鎌の切っ先が深々と突き刺さったのだ。
ようやく現状の把握に至ったクルーエルは、明かりが点いたままの懐中電灯をそっと足元に置いた。そして、真っ青な顔をして硬直するフォルスターを1度振り返る。
「危ないから、下がっててね」
クルーエルはたとえごく僅かでも安心して貰える様にと、フォルスターに柔らかく微笑んで見せた。
「ちっ」
振り下ろされた大鎌の先が、そんな舌打ちと共に流暢な動きで床から引き抜かれた。
大鎌を振るい、セキアに襲い掛かった張本人。前屈みの状態から身体を起こしたのは、非常に背の低い老人だった。
皺だらけの顔を不満げに顰め、狂気に満ちた真っ赤な目でセキアと向かい合う老人。血の様な深紅の帽子を頭部に載せた彼の姿を見たフォルスターが、酷く上擦った声で呟いた。
「こ、こいつだ……こいつが、シャルロッテを……!」
絞り出す様な震えを帯びたフォルスターの言葉を受け、セキアがこの場には不自然なほど平淡な口調で老人に問う。
「赤帽子(レッドキャップ)のハイドで、間違いないかな」
「だったらどうした?」
老人は邪気を凝縮した様な狂った笑みを浮かべ、あっさりと認めた。
「赤帽子……?」
フォルスターが、聞き覚えのないであろう単語に反応を示す。
「スコットランドを起源とする、妖精の一種ですよ」
凄絶な無表情で老人を見返し続けながら、セキアが答えた。
「赤帽子には廃墟などで人間を待ち伏せ、やって来た人間を惨殺し――その鮮血を使って、自分の帽子を赤く染める習性があります」
「!」
クルーエルの背後で、フォルスターが大きく息を呑んだのが分かった。老人の笑みが、深みを増す。
「ま、待てよ……じゃあ……じゃあ、あいつが今被ってる帽子には……」
「ええ」
セキアは静かに、しかしはっきりと肯定した。
そう。セキアは肯定した。あの帽子の着色に使われた鮮血の中に、シャルロッテ=マイヤーのものが含まれている可能性を。
そして、クルーエルは気付いた。あの帽子を染めた鮮血には一部真新しいものが含まれていて、着いたばかりと思わしきそれが深紅の水滴となって未だ床に滴り続けている事に。
フォルスターがとうとう口元を両手の平で覆って弱々しく深紅の床にうずくまるのを、クルーエルは視界の片端に見付けた。
‐終‐
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