特別読切 第2.5話 交点+
 司令官ことウォーレン=アームストロングに命じられて赴いた廃ビル内部で、若い少年が呼吸を乱している。
 ヨハネス=マンシュタインが月明かりを利用して盗み見た少年の顔は仄かな青みを帯び、歪んでいた。
「怪我したのか。ざまあねえな、糞餓鬼」
「……」
 ヨハネスの皮肉は案の定、少年の気に障った様だ。彼は反論こそして来ないが、ヨハネスを見返すその瞳には明確な苛立ちが色濃く浮かび上がっている。
 少年の胸中の不快感を決定付けるこれに生じた呆れを隠しもせず、ヨハネスは鼻を鳴らした。
「ったく。ろくに人の注意も聞かず、勝手に動くからこうなんだよ。……手、貸してやろうか?」
 酷く不本意ではあるものの、状況と立場上やむを得ない。ヨハネスは目の前の少年の反応を予測しながらも、空いている左手を差し出した。
「結構です」
 低く押し殺した声音で早々と発せられた想定内の返答は、ヨハネスを改めて呆れさせた。
「ああ、そうかい。なら、好きにしろ。もしぶっ倒れても、俺は何もしてやらねえからな」
 ヨハネスは身を翻し、つかつかと歩き出す。少年のやや頼りない足音が、その後に続く。
 人間界の平和を脅かし、今し方までこの廃ビルを占拠していた悪しき妖精達は殲滅させた。ヨハネス達に残された仕事はもう、司令部への電話連絡のみだ。
 出口が近い。月明かりが、強くなる。
「……う……」
 出口を、目前に控えた頃だった。少年の微かな呻きを聞いて、ヨハネスは振り向いた。
 少年はくたびれた壁に片手を突いて、苦しげに堪えていた。己の身体を蝕む痛みと、戦っていた。
 意図せず、溜息が漏れる。ヨハネスは再度、少年に左手を差し出した。否、差し出そうとした。
「ほら。やっぱり、手――」

 ぱしん!

 何をされたのかは、直ぐに分かった。
 少年に、手を弾かれたのだ。冷たく、拒絶されたのだ。分かるなりヨハネスは、険しく双眸を細めると同時に少年の胸倉を掴んでいた。
「てめえ、いい加減にしろよ」
「……!」
 両の目を見開く、少年。彼はヨハネスの変化に少なからず驚き、怯えている様だった。
「勘違いすんなよ。今回みたいな仕事は、てめえ1人の仕事じゃねえ。相手との共同の仕事だ。まともに助け合う意思がねえんなら、はなから来んな。お荷物になるだけな奴なんざ、いても迷惑なだけなんだよ」
 ヨハネスは、言い切った。
 別に、自分が嫌われるのは構わない。ただ、許せなかったのだ。この少年の仕事への態度と、認識の甘さが。長らく『番人』を続けている身として、どうしても看過する事が出来なかったのだ。
「もたもたすんな。さっさと戻るぞ」
 少年を解放し、ヨハネスは歩みを再開する。
 本当に、最悪の誕生日だ。ヨハネスはうんざりとそう思考する傍らで、廃ビルを出た。
 立ち止まり、携帯電話を手に取り操作する。これで司令部への連絡さえ済ませれば、後方にいる生意気で不愉快な少年ともお別れだ。
「あの……」
「あ?」
 ヨハネスの携帯電話の操作を一時的に止めたのは、同じく廃ビルを出て来た少年だった。
「なんだよ、今度は?」
「済みませんでした」
 少年が伏せ目がちに放ったのは憎まれ口でもなんでもなく、純粋な謝罪の言葉だった。ヨハネスにはそれが、少し意外に感じられた。あんなにもヨハネスを毛嫌いし、拒絶していたというのに。
「おれが、間違っていました」
 少年はどういう訳か、大人を嫌っている。けれど、自らの過ちを詫びる誠実な心も持ち合わせている。
「……まあ、分かりゃ良いんだよ。分かりゃ」
 不覚にも調子を狂わされたが、ヨハネスの中に渦巻いていた負の感情は若干の和らぎを見せていた。
 しかしながら、そんな時だった。
「セキア!」
 聞き慣れない声に無意識に視線を遣れば、夜闇からこちらへ向かって駆けて来る少女の姿が見えた。長い金髪をなびかせながら走っていた彼女は、間もなくヨハネス達の目前に立つに至った。
「姉さん……」
 少年のこの呟きにより、ヨハネスは現れた少女が少年の姉である事実を知った。
「! あんた、怪我してるじゃない。……それに」
 少女はここまで発言すると、少年の顔を暫し観察する様にじっと見据えて――速やかに、ヨハネスに双眸を移した。そして、問うた。
「あんた、この子になんかしたの?」
「は?」
「もしくは、なんか言った?」
「いや、待てよ! いきなり、何を……!」
「どうも、様子が可笑しいわ。だから、あんたになんかされたのかと思って」
 ヨハネスに定められた少女の瞳は、剣呑だ。
「姉さん、その人は……」
「黙ってなさい」
 少女のとんだ誤解を解き、とんだ言い掛かりを諫めようとしてくれたらしい少年の声さえ、少女はぴしゃりと遮断してしまった。
「で、どうなの? 答えなさいよ」
「……っ、なんなんだよ! お前らは!」
 ヨハネスの多大な嘆きを孕んだ叫びが、静寂に覆われた夜闇に虚しく響き渡った。
 セキア=ブランケンハイム。ハクト=ブランケンハイム。ヨハネス=マンシュタイン。彼らの腐れ縁はここで始まり、時が流れた現在も引き続いている。


‐終‐


【次#】

あきゅろす。
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