今日も変わらず地球は回る 勘忍袋 《堪忍袋》 備品の整理を手早く終え、私はレギュラーのみんなと共に精市くんのいる病院へ向かった。 私たちが幼馴染だということは誰も知らないから、改めて紹介されるというのも何だか変な気分だ。 真田君が病室をノックすると、聞き慣れた彼の声がした。 「精市、具合はどうだ?」 「とてもいいよ。皆来てくれたんだね」 「ああ。それで、彼女だが」 そう言われて、私は少し前へ出た。 「彼女がマネージャーになった蓬莱だ」 「こんにちは、幸村くん。全国大会が終わるまでですけど、よろしくお願いします」 「こんにちは。蓬莱さんがマネージャーならとても助かるよ。よろしくね」 そして、病室は和やかな雰囲気になった。 丸井君がお見舞いに置いてあったケーキをせがみ、それを柳生君が咎め、皆が笑って、精市くんに会うのが嬉しくてたまらないようだった。 それは私も同じで、元気そうな彼を見て嬉しかった。目が合って、皆に気付かれないように小さくクスリとお互いに笑い合った。 「それじゃあ、明日は頑張ってね」 「県大会なんて楽勝っすよ!」 「フフ、赤也は頼もしいね」 「大事にしろよ、精市」 「うん、ありがとう」 そうして、私たちは病院を後にした。 直後に、私の携帯にメールが届いた。 『彩音、ありがとう』 一言だけだったけれど、嬉しい言葉だった。 翌日、県大会。心配などどこ吹く風。たくさんのギャラリーに囲まれながら、彼らはあっという間に優勝を決めてしまった。 試合時間大会最短という記録を作って。 スコアを付けるのもバカバカしいくらいのストレート勝ちだった。 週明けの月曜、学校はその優勝祝いムード一色だった。 彼らの試合を見た生徒は皆、彼らの周りに集まって賞賛した。 男子も女子も先生も。 圧倒的な試合展開だったし、確かにそうだと思う。 そうして今日も放課後、部活が始まった。いつも以上のギャラリーの数に、少し頭が痛い。 私がマネージャーであることに異を唱える人は少なくなったとはいえ、まだそう言う女子がいるのも事実だった。 これまで嫌がらせは思ったよりなくて、どうしてだろう、という疑問のほうが大きいくらいだったけれど、この日は違った。 午後中、私は制服ではなく、ジャージでした。 というのも、とってもいい天気のはずなのに、しかも校内で雨、もとい、水が降ってきたのだ。 正確に言えば、昼休みに手洗い場で隣から水をかけられたのだけど。さすがにこれは避けられなかった。 柳生君は少し心配な様子で私を見ていた。 その後の『足引っ掛け攻撃』は簡単に避けたけど。まさか避けられるとは思わなかったらしく、驚いた相手の顔は忘れられなくて、思い出す度に笑えてくる。 「…私も随分といい性格になった気がするわ」 今年になってから、という言葉が付くが。あの、何もできずにここへ逃げてきた、おとなしかった自分って一体なんだったんだろう、と思わずにはいられない。周りのアクの強い人たちに感化されたかな、と思いながら、ボールの入った籠を置いた。 「蓬莱、大丈夫か?」 「何がですか?」 「午後、ジャージじゃったろ」 「ああ…まさか校内で雨が降るとは思いませんでしけど」 「上手いこと言うのう」 言って仁王君が笑う。その瞬間、私の後ろでピリっと空気が凍った気がした。 何か、良くない事が起きそうな。 その予感はすぐに的中した。 レギュラー同士の試合が始まり、ギャラリーの大半はそちらに夢中。私は転がっているボールを片付けていた。 「なんであんな地味な子がマネージャーなのかしら」 「ホントよね。みんな絶対騙されてるわ!」 「ちょっと成績がいいからって…どうせそのうち仁王くんたちに色目使ったりするのよ!」 私の近くであからさまに悪口を言う女子数名。彼女たちは私がマネージャーになった時からこの調子だった。彼女たちは、特に仁王君のことが好きらしい。 ハァ、と小さくため息をついて、あとひとつだったボールを籠へ入れた。 「仁王君たちも、人を見る目がないわね」 「ホント。仁王君たちのこと疑っちゃうわ」 「……」 プッツン、と。堪忍袋の緒が切れるというのはこういうことを言うのだろうか。 音がしたように私の怒りが瞬時に沸点に達した。 「…いい加減にしなさいよ…」 「え?」 「いい加減にしろっつってんだよ!!」 ガシャリとフェンスを叩く。 突然口調を変え怒鳴りだした私に、彼女たちは一瞬ビクリと体を強張らせた。 練習試合はちょうど選手の交代の時で、私の声に誰もがこちらを見ているのが分かった。 ああ、練習を止めてしまった。こんな事のために…でも動き出した口は止まることを知らない。 「いつまでもぐだぐだ人の悪口ばかり言ってんじゃねぇよ!大体、私は確かにマネージャーを引き受けたけど、元々自ら望んでここに来たわけじゃない!お前ら事情も知らずに文句ばっかり言うな!!この部にマネージャーが入らないのはお前らみたいな媚売るような奴らが入ってくるからじゃねーのか、アーン!?だから関係ないのに私がマネージャーなんてものをやらなきゃならねーわけ!!わかるか!?」 「……わ、わかるわけないでしょ、そんなの…」 「それに何だ?あいつらに人を見る目がないとか、あんた達が決めることか?じゃああんた達は人を見る目があるっていうのか?それにな、あいつらのことカッコいいとか言ってるけど、私は美形とかもう見慣れ過ぎてるから今更どうってことねーし、色目使うとかぜっっったいあり得ないっつーの!!」 「な、なんなのよ、もう…」 「……で、これでもまだ私に文句つける?」 これまで溜まっていたものを吐き出すと、ほんの少し軽くなった。あーあ…景吾くんの口調出しちゃったよー…。 でも、彼女の中の一人の子は納得できていないみたいで。 「でも、あたしはやっぱり、テニス部にマネージャーがいるのは許せない」 「……そんなの、彼らに直接言いなさいよ。大体、どうしたらいいわけ?あなたの思うようにできるならしてもいいんだけど」 「じゃあ、テニスで勝負したらどうっすか?」 「はぁ!?」 後ろからの声にギロリと振り返ると、少しギクリとした切原君が立っていた。 切原君だけではなく、他のみんなも。 「…あ…」 「…練習止めてしまってすみません」 バツが悪そうに視線を逸らす相手の女子、練習を止めてしまった非礼を詫びる私。 でも私の怒りはまだ収まったわけではない! 「……ですが、真田君!あなた達にも責任はあるのよ?私がマネージャーを受けた時言いましたよね?不満を持つ生徒を納得させるというのはどうなったのですか!!あなた達がちゃんと対処していれば、あなた達のことまで悪く言われることもなかったんです!!」 「…はぁ…いや、すまん」 「ぶっ…あはははっ!」 真田君が勢いに押されて思わず謝る。柳君は冷静に分析でもしているみたいに見ていて、仁王君が爆笑していた。 他のレギュラーのみんなは真田君が謝ったのを見て驚いていた。 どうしてそういう反応になるのか不思議なのだけど、まぁそれはいいとして。 「…で、テニスで勝負って何?」 私の話し方はもう前とは全く違っていた。今はそんな場合ではないから。 「だからー、テニス部のことなんすから、テニスで勝負しちゃえばいいじゃないっすか」 「マネージャーの仕事にテニスの腕なんて関係ないんじゃないの?」 「いや、多少でも出来るほうがやはりいいと思う」 切原君の案に柳君がそう加えた。 「…そうかしら…まぁ、彼女がいいのなら私は構わないけど」 多少でいいのなら私じゃなくてもいいのだろうけれど、この場合、私がマネージャーを続けることを納得させる手段としてはいいのかもしれない。 私たちの会話を呆然と見ていた彼女に視線を送ると、キュッと唇を引き締め言う。 「あたしも、いいわよ。あたしが勝ったら辞めてくれるのよね?」 「ええ、もちろん。…真田君、少し時間貰ってもいいかしら?」 「うむ…いいいだろう」 「じゃあ、あたし着替えてくるから」 あっさり受け入れるところを見ると、テニスはそれなりに出来るほうなんだろう。 ただ、ここで私がわざと負けてもいいことはなさそうだし、彼らにはバレるだろうからやらない方がいい。それに、私はもうマネージャーを辞める気はなくなっている。 着替えてきた彼女がコートに入った。ラケットは2人とも備品を借りた。 試合はタイブレーク方式。7ポイント先取で勝ち。サーブは交互に行う。 サーブは彼女から。 「ほう、あの子テニスしとったんじゃのう」 「ああ、そのようだな」 彼女の打ったサーブは、きれいに私の横を抜けた。 私が一歩も動かなかったのを、動けなかったのと勘違いして喜んでいる。 悪いけど、私のテニスの先生、誰だと思ってるんだ!こんな勝負で負けたら怒られるわよ。 1−0…1−1…2−1…2−2… 一進一退のゲーム展開に、見ている人たちは呆然とする。 ただ、レギュラーのみんなには多分バレている。そういう顔してる。仁王君がニヤニヤ笑いながら見ているから。 「……わざとだな、あれは」 「本当はもっと出来るはずでしょうね」 「だってフォームめちゃめちゃ綺麗だもんなー」 ゲームカウントが5−5となったところで私はこの茶番劇を終えることにした。 いつまでも練習を止めておくわけにもいかない。 そこから連続でポイントを取り、5−7で私の勝ち。 肩で息をする彼女に、私は手を差し出した。ちなみにこれぐらいで息を乱しても怒られるから私は平気だ。 「……私は、みんながあの人たちのことを好きなのはよく分かってるつもり。だから、こんなことしてないで、一緒に応援しましょ?それに、思わずとはいえ、あの人たちを悪く言って後悔してるんでしょ?」 悔しそうに顔を歪めていた彼女は、少し俯き、小さく「ごめんなさい」と呟いて、私の手を取った。 「真田君、お手間取らせて申し訳ありませんでした。練習、再開してください」 「あ、ああ…悪かったな」 「いいえ」 そうして私はいつも通りに仕事を再開した。 この騒ぎで私の評価が上がったことは知る由もなく。 私のキレっぷりが次の日の話題になったことは自業自得で、一気に目立ってしまうことになったのは言うまでもない。 「のう蓬莱、何であんなゲーム展開にしたんじゃ?」 帰ろうとした時に、ふいに仁王君に聞かれた。 私は少しだけ考えて言葉にした。 「……ストレート勝ちだと彼女に恥をかかせてしまうでしょう?彼女はあそこにいたあなた達のファンの代表みたいなものですし、彼女たちにも立場がありますから」 「なるほど。お前さんは面白いヤツじゃのう」 「…そうでしょうか?」 「別に、あんな身勝手なやつらの立場なんぞ考えんでもええと思わんか?」 「あなたには、あの子たちの気持ちは分からないんでしょうね…」 「分かりたいとは思わん」 「……彼女たちが可哀想ですね」 侮蔑の表情を滲ませて仁王君を見るけれど、彼は気にもならない様子。 レギュラーの中で、一番何かを企んでそうな、通称『コート上の詐欺師』…。 あまり好きになれないタイプだと、この時は思った。 真田君たちは黙って私たちの会話を聞いていた。 「ああ、そうじゃ!」 「まだ何か?」 「その敬語、なんとかならんか?」 「……は?」 「お前さん、さっきは普通に話しとったじゃろ?本来はあれが蓬莱の素じゃなか?」 「……」 やっぱり、鋭いな。柳君も気付いていたようだけど。 「…嫌ですが、何か?」 「…つまらんのう」 「つまらなくて結構です!」 「あと、もうひとつ」 「まだ何かあるんですか!?」 「お前さん、何であんなに怒っとったんじゃ?」 「……あなたに話すことではありません。では」 私は足早にその場を去った。 だって、今日はスーパーの特売日なのだから!いいものは安く買う、これ鉄則! スーパーで買い物をしながらふと思う。そういえば、何で私はあの人たちの悪口なんかで怒ったんだろう…?その中に精市くんがいたとしても。 私の中で、彼らの存在が大きくなってきていることを……それを違和感なく受け入れていることを……認めざるを得ないのだろうか。 「…蓬莱とあの女子との会話から、蓬莱が怒ったのは俺たちが悪く言われたから…という可能性90%、だな」 「何それ、自分の悪口で怒ったんじゃなかったのか?」 「変な人っすねー…てか、面白い人っすね」 「そうじゃのう」 こうして、レギュラーの皆の私に対する意識が思いっきり変わったということは、私は全く知らなかった。 (キレちゃった!) (08・06・06) [*←][→#] [戻る] |