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泡沫

 日曜日、自然と朝の七時に目が覚めた。
 昨日はなんとなく新ローマの休日をテレビで見て、みっちゃんに思いを馳せた。ローマの休日を見ようね、と言っていたのに結局それを見ることはなかったからなんとなく。新ローマの休日はモノクロではなく、カラーで、なんとなく音量を零にして見ていると、お母さんは「なんで音を出さないの?」と聞いてきたが、私はなんとなく、と答えた。本当はなんとなく、みっちゃんがそばにいるような気がしたから、みっちゃんとの約束を果たそうと思って無音で見ていたのだけど、カラーのローマの休日はとてもつまらなかった。確かにモノクロだと雰囲気は出るかもしれないが、カラーの映画の無音映画はつまらなかった。みっちゃんもきっと幻滅していたに違いない。
 起き上がると、黒いワンピースに黒のカーディガンに着替えて洗面所に向かう。とりあえず顔を洗ってさっぱりしたかった。顔を洗って歯を磨くと、リビングに行った。リビングとキッチンは一体化していて、キッチンに立つお母さんを見るとまた化粧をしていて、そのまま朝ごはんを作っていた。
「あれ、お父さんは?」
 そう聞くとお母さんはフライパンを見つめながら、仕事だって。さっき出かけたよ、と返事した。
「お母さんも出かけるの?」
「うん。今日はケーキブッフェに行って、そのあとパートに行ってくるね」
 お母さんは去年からパートを始めた。近所のスーパーのレジ打ち。それからのお母さんはよく出かけている。友達が増えたようで、それはそれは楽しそうだった。洋服もお洒落になって、いきいきとしている。
「華子、今日のお昼はまたチャーハンでも作ってね。ご飯多めに炊いておいたから」
 テーブルの椅子に座ってしばらくすると目の前に目玉焼きとベーコンが出てくる。ご飯を盛るとそれらを食す。
「華子、もう大学生なんだから化粧したりお洒落したら? バイトとかもすればいいのに」
 テーブルで落ち着いたお母さんは、手を開いてそう言った。
最近のお母さんは説教臭い。顔を見れば化粧したらとかお洒落したらとかバイトしろとか、もう聞きあきた。化粧もお洒落も面倒。バイトするのも面倒だし、お金だってお小遣いで足りている。お母さんは毎日お弁当を作ってくれるからお昼代だってかからないし、お小遣いは飲み物代と趣味の読書代くらいで済んでしまう。そんなことする暇があったらみっちゃんに会いたい。バイトなんか始めたらみっちゃんが来てくれる回数が減ってしまうかもしれない。ところで、みっちゃんは次はいつ来てくれるのだろう。
昨日夜中にトイレに起きると、お母さんとお父さんがリビングで私の話題をしていた。みっちゃんが亡くなってから華子ったら笑わなくなって。後を追うんじゃないかって怖いわ、と言っていた。やる気をなくしたような子になって。あの子にはみっちゃんが必要なのよ。
それを聞いて私は、後を追うということがあるのか、と思った。考えたこともなかった。でも私には死ぬ勇気はない。だけど死ぬことでみっちゃんにもっと会えるのではないか。でも自殺した人は天国を地獄の間で永遠に苦しまなくてはいけないという話を聞いたことがある。そしたらみっちゃんと一緒にいられない。永遠に苦しむって、それは今より苦しいことなのか。
ご飯を食べると、テレビをつけてそれを見る。朝のニュースを見て、することがないからテーブルに放っておいた加納朋子さんのささらさやを読もうとした。
これは何年か前に、金曜のナイトドラマをやっていた、てるてるあしたの原作本。ドラマのてるてるあしたは、このささらさやという本とてるてるあしたをミックスさせたもので、幽霊が出てくる話。ささらさやを読み返そうと思ったのは、やっぱりみっちゃんが影響している。それに出てくる幽霊とみっちゃんが被ったのだ。そしてなんとなく読みたいという気持ちにさせられた。
テレビを消して本を読むのに夢中になっていると、お母さんは十時ごろに、行ってきますと家を出た。もう四十歳になると言うのに、小さな花柄のワンピースにレザージャケットを羽織っていた。きっとそれにブーツを履くに違いない。ブーツとレザージャケットはこの前買ってきたと私に着て見せてくれた。でもすごく似合っている。最近のお母さんは本当にいきいきとしてる。そんなお母さんを見て、少しだけ羨ましくなる。私もみっちゃんが生きていたら、あんなふうな毎日を迎えられたのだろうか。でもみっちゃんは私の前に現れてくれている。それは生きていると一緒じゃないのか。このままみっちゃんが私の前に来てくれるのならば私も真剣に生きていけるのではないか。
お母さんもいなくなってしまったので、自分の部屋に戻る。すると冷たい風が吹きこんでいた。いつの間にか窓が開いていた。お母さん開けたのかな。窓を閉めると、さむっと呟きながら布団の中に入る。最初布団は冷たかったがすぐに温かくなる。
ふと誰かに呼ばれたようで部屋を見渡す。みっちゃんが来たのかと思った。だが誰もいない。
布団を抜け出すと、また窓を開ける。すると確かに誰かが私を呼んだ。それは確かにみっちゃんの声だ。
「みっちゃん?」
 そう呼んでみるが数分待ってもみっちゃんは現れない。
 しばらくすると、河原に行って、と声が聞こえた。
「河原?」
 それ以降みっちゃんの声はしなくなった。
 最初、声がしてから一時間が経過していた。時計は十一時前をさしている。みっちゃんの声の通り、河原へ行ってみようと思った。何かがあるのかもしれない。
 お財布と小説をカバンに入れて玄関に行くと、お母さんの買ったブーツが立てかけてあった。お母さんはブーツを履いて行かなかったのか。お母さんと私は足のサイズが一緒だから靴は共用なのだ。私はそのブーツを履くと、外へ出る。空気が冷たい。
 家から河原までは歩いて十分弱。すぐに着いてしまう。でもなんとなく心が躍った。何が起こるのか。みっちゃんは私の部屋だけで会える。だからみっちゃんに会えるというわけではないが、しかしみっちゃんは今でもそばにいるような感じがする。だから何があっても大丈夫。
 河原について、うろうろしてみるが何も起こらない。
 みっちゃん? 河原に来たよ。何があるの?
 そっと呟いてみる。しかし返答はない。
 河原を下ってみよう。すると前から見覚えのある男の子が向かってきた。しかしそれは似ているだけで、本人かはわからない。
「ハナ?」
 その人は私を見ると私の名前を呼ぶ。ぶっちょ?
「ほら、俺、大原孝(おおはらたかし)だよ」
「ぶっちょ!」
 すると大原孝は、笑顔になってあぁ良かったと言った。
「ハナ、全然変わらないな」
「ぶっちょは変わったね」
 ぶっちょは中学生の同級生。三年間同じクラスで、サッカー部に入っていた。中学のころ見た目はぽっちゃりといういか、まんまるしていて、サッカー部ではゴールキーパーを任されていた。しかし今は細身で中学のころより背も伸びていた。
「痩せただろ?」
「うん」
「高校のころ部活厳しくて痩せちゃったんだ。でも久しぶりだね」
 ぶっちょは中学のころから優しくて、私の憧れの人だった。クラスから浮いている私とみっちゃんによく声を掛けていてくれていて、私たちと笑い話もしていてくれた。
「ちょっと時間ある?」
 時間があるもなにも、私は何もすることがない。
 私は考えずもせずに頷く。
「あそこ座ろう」
 指をさしたところにベンチがあった。私たちは何も言わずにそこに移動する。そしてよっこらせ、とお互いに声を漏らす。するとぶっちょは大きな声で笑い出し、お腹を抱えた。
「よっこらせだって。ハナも言うんだ」
 思わず私も笑顔がこぼれる。みっちゃん以外の人といて笑ったのは久しぶりだった。ぶっちょの笑顔は中学のころから変わらない。今までぶっちょのことを忘れていた。こんな人がいつもそばにいたのに、みっちゃんのいなくなった世界に絶望して、この人を忘れていた。
 ふふふ、と笑うと、ぶっちょは私を見て、さっきとは違う優しい笑みを浮かべる。
「ハナ、元気そうでよかった。里中亡くなってから笑顔なくしてたから、心配だったんだ。今まで会いにこれなくてごめんな」
 私は首を横に振る。
「ううん。大丈夫。みっちゃんがいるから」
「里中が? 死んだんじゃなかった?」
 私は再度首を振る。
「ううん、違う。みっちゃんはね」
 と言いかけ、言葉を飲み込んだ。みっちゃんが幽霊として現れたことは誰にもいいたくない。おかしくなったんじゃないかと思われるのが嫌だとかじゃなくて、みっちゃんが現れたのは私とみっちゃんだけの秘密にしたかった。
「いつもそばにいてくれてるの」
 自分でうんと頷いた。これなら嘘もついていないし、本当のこと。だって今でもみっちゃんはここにいてくれてる。
「なんかね、みっちゃんがここに来てって言ってる気がしたの」
「あ!」
 ぶっちょは声を上げる。私はびっくりして体を硬直させる。
「俺も俺も。なんかここに行けって言われてる気がしてここに来たんだ。もしかして里中の仕業?」
 あぁ、みっちゃんの河原に来てはこれだったのか。ぶっちょを呼びだして、私に会わせるつもりで。
 みっちゃんは中学のころから、私に仕切りに「ぶっちょが好きんでしょ?」と言っていた。私は恋愛には疎くて、ぶっちょのことが好きだとは思わなかったけど、ぶっちょのことをいつも目で追っていた。小説を読んでいると、それは好きということらしいが、それは違うと思う。ぶっちょは私の憧れで、みんなに囲まれている彼が、とても羨ましかった。でも私はあんな人に囲まれて生活するとかは無理だったし、それは憧れで終わった。みっちゃんは今でも私がぶっちょのことを好きだったと誤解しているんだ。
 それからぶっちょとふたりで小一時間会話をした。中学生のころの思い出話で、私はたくさん笑った。みっちゃんと居たときよりも笑った。悲しいこともなくて、みっちゃんの思い出も、笑って話せた。
 お腹がすいて家に帰る。そしてまたチャーハンを作った。今回はなんとなくごま油を隠し味にいれてみたが、これがまたおいしかった。
 ぶっちょと話した余韻か、少しうっとりとしていた。楽しい時間。ぶっちょは格好よくなっていたし、だけど痩せたというのに、彼からは温かくて優しい雰囲気も変わらずにあって、あぁ、ぶっちょは変わっていないなと少し安心した。
 ぶっちょは別れ際、メアド教えてよ、と携帯を取り出した。
「ごめんなさい、私持ってない」
 するとぶっちょは苦笑して、紙切れを取り出し何かをメモしていた。その紙切れを私に渡して、優しい笑顔を浮かべる。
「大学生なんだから携帯持てばいいのに。これ俺の番号。何かあったら電話でもしてよ。ハナは住所変わってない?」
「うん、変わってない」
 ぶっちょのアドレスはぶっちょらしい。英字でぶっちょと書かれていた。
「まだぶっちょって呼ばれてるの?」
「そうそう。痩せたのに」
 そう言って、じゃぁな、とぶっちょは私とは反対方向に歩いて行った。その後ろ姿を見ていると、ぶっちょは何度も振り返り、そのたびに笑顔で手を振ってくれた。
 そして大きな声でぶっちょが叫んだ。
「里中の後追ったりするなよ」
 私は聞かないふりをして、家に向かった。
 後追ったり? なんでみんな同じことを言うんだ。
 ゆっくりとチャーハンを食べ終わると、自分の部屋に戻ろうとした。
 部屋の前で立ち止まると、心がウキウキしていた。居る。みっちゃんが部屋にいる。
「みっちゃん!」
 声を出してドアを開けると、みっちゃんがベッドの上で足を組んで座っていた。
「はろ〜」
 そう手を振ると、みっちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「どうだった? 恋するハナちゃん」
 やっぱりみっちゃんの仕業だ。だけど私はなぜか笑みを浮かべていた。
「ありがとう。みっちゃん」
 仕事をやりきった感のみっちゃん。今日も元気そうで良かったよ。

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あきゅろす。
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