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泡沫

 中三になってしばらくした五月のある日、いくら悪いことをしても職員室でのお説教と大量の反省文で済んでいたみっちゃんが、とうとう校長室に呼ばれた。
 帰りのホームルームの時間に担任にそう告げられたみっちゃんが嬉しそうに笑ったのを私は見逃さなかった。
 担任がそう言った瞬間教室は急にざわめきだし、「やっぱりー」とか「あのことだよね」とか好き勝手に言い出して、私も内心で心当たりのある事柄を思い出し、はぁとため息をついた。
「静かに。とにかくこの後里中は先生についてくるように」
 担任のその言葉にも教室は全然静かにならない。あちらこちらでひそひそ声で喋っていたり、アイコンタクトをとっていたりとクラスメイトはあからさまに好奇心を剥き出しにしていた。
「はぁい」
 みっちゃんは楽しそうに弾んだ声でそう返事し、私を見るとVサインを向けた。私は愛想笑いを浮かべる。楽しそうにするみっちゃんは良いのか悪いのか、私にはみっちゃんの心理を到底理解できそうもない。
 きりーつ、きょうつけー、れーい。と間延びした挨拶を終えると、みっちゃんは軽い足取りで先生の後につき、教室を出て行った。
 その瞬間爆発したように教室がざわめき始める。私は机につくと、大きくため息をついた。なんだか嫌な予感がする。
「ね、ハナちゃん」
 隣の席に座っていた中鉢さんが目を爛々と輝かせて私を呼んだ。やっぱり、嫌な予感は的中だ。私は嫌だなぁと思いながら、ゆっくりと横を向く。聞かれる内容は大体想像がついていた。
「あの噂って本当なの?」
 あぁ、やっぱり。私はそれを顔に出さないように、知らないんですと答えると首を傾げた。
「えー、ハナちゃん、里中さんとあんなに仲良いのに知らないの?本当は知ってるんでしょ?あ、実は里中さんに口止めされてるとか?」
「でもみっちゃんから何も聞いてないから」
 私がそう言うと中鉢さんの周りにいた女子が、えーと大きな声を出した。本当に知らないのにな、私は。
「ごめんなさい」
 と言うと、席を立って教室から早歩きで出て行く。教室からざわめきが追って出てきて、私はみっちゃんの馬鹿、と再度大きなため息をついた。私にくらいは本当のことを喋ってくれてもいいのに。
 みっちゃんはきっかり一時間後に教室に戻ってきた。クラスメイトは部活やら帰ってしまったらしく、教室には私一人だった。開け放たれた窓からはいつも通りのサッカー部の掛け声が聞こえてくる。にぎやかな夕方。
「いや〜こってり絞られちゃったよ」
 そう笑うと、中鉢さんの机の上に座り足を組む。ミニスカートで足を組むなんていつの間にそんな仕草を覚えたのか、でもみっちゃんのか細い足が露わになる。みっちゃんの太ももは片手で一周できてしまうんではないかというくらい細い。ちゃんと食べているのか気になるが、一緒にご飯食べるときはよく食べる。なのにこんな細いとは不思議だ。
 しかしみっちゃんの足に注目しているわけではない。真実を聞かなくては。親友として、いち友人として、いつまでもはぐらかされてるのは気分が悪い。
「あの噂は本当なの?」
「え? あのって?」
 ニヤニヤとしている。みっちゃんはいつものみっちゃんじゃない。今までは大事なことは話してくれてると思っていたのに。これは重要な話ではないのか? そう思っているのは私やクラスメイトや先生たちや、その類だけ? もしくは噂は本当ではないの? みっちゃんの表情からは何も悟れない。
「不倫してるって」
 吐き出しそうになったため息を飲み込むと、怖い口調で聞く。するとみっちゃんは、大声で笑いゴリラのおもちゃみたいに手を叩く。
「なに? ハナちゃんも真に受けてたの? 不倫は嘘に決まってるじゃん」
「不倫は?」
「そうそう、不倫は」
 睨みつけると、みっちゃんは委縮して、すみませんわかりましたと足をほどくと、足をくっつけて肩を小さくした。
「で、私くらいには本当のこと話してくれてもいいんじゃない?」
「ハナちゃんが怒ってる」
 また笑うから、真剣な話をしているの、と強い口調にする。
「怒るもの当然でしょ。みっちゃんったら何も話してくれないんだから。話してくれてたらこんなに怒らないよ」
 自分でもびっくりする。人に対してこんなに怒ったことはないと思う。それくらいみっちゃんが重要なことをはぐらかしているからだ。
みっちゃんはここ数カ月で変わってしまった。私との用事もすっぽかしたり、化粧をするようになったり、学校終わったら私を置いてまっすぐに帰ってしまったり、香水をつけたり色っぽくなったり、とにかく以前のみっちゃんとは違う。私はきっとそれが気に食わないのだ。私を置いて大人になってしまってるみたいで。なんとなく彼氏が出来たのだなとは思っていた。でもこれは私から聞くことじゃなくて、みっちゃんの口から聞きたかったからずっと黙っていた。でもそれが不倫なら違う。そういうしてはいけないことは、みっちゃんの唯一ともいえる私という友人が指摘しなければならないことだから。
「ちゃんと話して?」
 そう小さい子を諭すように優しい口調で言う。
 するとみっちゃんは肩をすくめて、真剣な顔でわかったよ、と言う。
「校長室でも言ったけど、不倫はしてないよ、それはちゃんと否定した。でも年上、サラリーマンと付き合ってる。それもちゃんと言った。先生たちはなかなか信じてもらえたかったけど、なんとかわかってもらった。別れるように言われたけど、真剣なお付き合いをしてるの。他人にわかってもらおうなんて思ってない」
 他人には、という言葉で私の心にぐさっときた。私も他人なのか。そりゃ関係上は他人だけども、少なくとも私は他人より近い付き合いをしてきたから、そう思われてるのかなと思うとショックだった。私の気持ちを知らずにみっちゃんは話を続ける。
「別れるか付き合うかは私が決める。きっと長くは続かない付き合いだもの、私が満足するまで、ハナちゃんには見守っていて欲しい」
 みっちゃんはそう言うと、わかった? と首を傾げる。私は首を縦に振る。
 まだ話は続くのかと思って黙っていたけれど、それ以上はないようだった。
「ホ、ホテルから出てきたのは、本当?」
 私は言っていて顔が熱くなるのが自分でもわかった。そういう会話に乏しいから恥ずかしさが出てきた。
「ラブホのこと?」
「みみみ、みっちゃん、そういういことは大きな声で」
「いいの、本当のことだもの」
 立場が逆転している。さっきは私が強気でみっちゃんが委縮する立場だったのに、今は逆でみっちゃんが強気で私が委縮している。
「ハナちゃんは真実を聞く権利がある。セックスはしているよ、会うたびにね。ラブホに行ったのは本当だけど、先生たちには否定したよ。いろいろあると面倒だもの。それにほら、私問題児だけど、停学や退学とかは嫌だからさ」
 私はというと教室の外を誰か通らないかなとひやひやしていて、みっちゃんの口を今すぐに封じてしまいたかった。でも中三にもなるとみんなそういう話をするものなのかな。クラスのギャル的存在の子たちもそういう話をしている。私の発育が遅いのだろうか。
 みっちゃんの言い分はわかった。私は反対しない。けども寂しさが募った。きっと今のみっちゃんにとっての一番は私ではない、その付き合っている人なのだろう。私よりも一緒にいたい、今はその人が一番なのだ。私は誰かにとっての一番になりたかった。私にとって今までずっとみっちゃんが一番だったし、みっちゃんにとっての一番も私だと思っていた。だけど違うんだ。そう思うと寂しくてしょうがなかった。
 そんな私の気持ちに気付いたのだろうか。みっちゃんは優しい笑顔を浮かべると、私の隣にしゃがみこむと、私の手の上に温かい手を重ねる。
「大丈夫、私の一番の理解者はハナちゃんなの。彼はきっと離れていく。でもハナちゃんは離れない。でしょう?」
 みっちゃんは成長したな、と思うと、私も優しい顔をして頷いた。
 いつの間にこんなに成長したのだろう。人の心を理解して、優しい声をかける。きっとみっちゃんも私に話すことを戸惑っていたに違いない。だから私が真剣に向き合っているのに、みっちゃんにしては珍しくはぐらかしたに違いない。恥ずかしい。みっちゃんは変わっていくのに私は変わらない。人とのコミュニケーションに戸惑って、みっちゃんの気持ちも察することが出来ず怒ったりして。みっちゃんが幼いとか思っていたのは私だけで、幼いのは私だ。
 目を強く瞑ると、たまっていた涙がこぼれた。
「私を置いていかないで」
 そう肩を震わす。
 みっちゃんは強く私の手を握る。それはまるで大丈夫だよ、と言っているようだった。
 それからしばらくして、みっちゃんはサラリーマンの恋人と別れた。

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