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素晴らしくない世界

 お母さんに促されるまま家にお邪魔すると時田君が生きていたときと同じ匂いがした。飼っている犬の匂いと懐かしい匂い。ウェルシュ・コーギーのたまちゃんが嬉しそうに尻尾を振ってお出迎えしてくれた。たまちゃんとは、何回かお散歩に行ったこともある。たまちゃんは私のことを覚えてくれていたみたいで、私のもとに駆け寄ってくると、足に顔をすりすりとしてきた。
「たまちゃん、いい子ね」
 撫でていると、お母さんがたまちゃんも裕ちゃんのこと覚えているのね、とスリッパを出してくれた。
 スリッパをはくと、たまちゃんがリビングまで走っていき、私はお母さんとたまちゃんの後を追ってリビングに入る。部屋は綺麗しにてあって、いたってシンプル。食卓に花が飾ってあり、主婦なお母さんの温かさが感じられる。オープンキッチンでリビングのふすまを挟んだ先には確か畳の部屋があった。
 ぼうっと立ち尽くす私を見てお母さんはそこに座って、とソファに私を座らせてくれた。何も変わっていない。時田君が生きていたときと何も。
「ちょうどよかったわ、今日ね、英彦の大好きだったトップスのケーキを買ってきたのよ、裕ちゃんも食べてね」
 そう切り分けたケーキと紅茶をテーブルに置くと、ふすまを開けて、そこに飾ってあった仏間に私と同じようにケーキと紅茶と置いて手を合わせた。
「英彦、今日は裕ちゃんが来てくれたわよ」 また涙が出てきそうになってしまった。こんなお母さん私にも欲しかった。私のお母さんは、物心ついたときから仕事をしていたからあんまりお母さんやお父さんと話をした記憶がない。お母さんもお父さんも、仕事が忙しかったから私は何も言えなくて、お母さんがケーキをわざわざ買ってきてくれるなんて私にはなかった経験だから。
 私が花束を隣に置くと、あの、と言って万福屋の大福の袋を差し出した。
「時田君が好きだった、万福屋の大福買ってきたので」
「あら、わざわざありがとう」
 お母さんはリビングから戻ってくると、これもお供えしなくちゃね、と微笑んで受け取った。
「あの子、男の子のくせに甘いものに目がなかったのよね」
「そうですね、パフェも大きいのひとりで食べたりして」
 息をつく。よかった。私が来たことでお母さんは悪く思ってみなかったみたいだ。穏やかに笑っている。
 L時になったソファにお母さんも座ると、ふぅと息をついた。
「よく来てくれたわね」
 やっぱり涙が出てきてしまった。そんなふうに言ってもらえるとは思っていなかったから。お母さんはふふと笑うと、私の隣に座って私の手を握り締める。
「裕ちゃんには辛い思いをさせちゃってごめんね、うちの馬鹿息子が。でもね、あの子はあなたと居れて幸せだったと思うわ。だから泣かないでいいのよ、来てくれて嬉しいわ。ほら、ケーキ食べて」
 お母さんはそうだ、と立ち上がると、ちょっと待っててね、とリビングを出て行ってしまった。私はフォークを手に取ると、ケーキを一口食べる。甘い。甘い。また涙を流すと、もう一口食べる。
 なんて良いお母さんなのだろう。私のお母さんもあんな感じだったら、私も時田君みたいに穏やかで幸せな顔をしていられただろうに。私がいつも笑顔でいれたのは、時田君はじめ、みんなの優しい笑顔があったからだった。今、笑えることが出来たのが、それは西条さんのおかげ。
 階段をパタパタと降りてくる音がして、リビングのドアがあく。いつの間にかいなくなっていたたまちゃんも一緒にリビングに戻ってきた。
「ごめんなさいね、これこれ」
 そうして手に持っていたノート三冊をテーブルに置くと、嬉しそうに一番上にあった一冊を手に取り私に差し出す。それを受け取るとお母さんを見上げた。
「これね、英彦が書いてた日記なの。中学に入った頃から書き始めたの。これが一番最初の日記。読んでみて」
「読んで、いいのですか?」
「読んで欲しいの」
 ノートを見ると、時田君の男の子にしては綺麗な字で、題名の欄に日記と書かれてあった。時田君らしい。
 一ページ目を開くと、やっぱり綺麗な字で文字が書かれていた。

 四月一日。
 今日から日記を書くことにした。三日坊主にならないように頑張りたい。もうすぐで中学生になる。勉強も部活も、楽しみでしょうがない。あと、好きな子が出来るといいな。青春したい。中学生、新しい友達も、いっぱい作りたい。あ、一年生になったらって歌を今思い出した。友達百人できるかな、って歌詞。幼稚園や小学校よりか中学のほうがクラスが多いみたいだから、本当に友達百人できるかもしれない。楽しみすぎて今日も寝れない。制服も着たい。あー眠れないよ。
 
 私はお母さんを見上げて見て、お母さんは頷く。時田君が生きていた証。
「裕ちゃんは、日記書いていたって知ってる?」
「いえ」
「あの子、私にも黙っていたのよ。ふふ。それより四月七日を見てみて?」
 言われたとおり、ページを捲る。

 四月七日。
 忘れられないよ、あの金魚パンツ。今日から学校だった。新しいメンツで楽しそうな中学生活になりそうだ。隣の席に座ったサクラユウコという女子が強烈だった。トイレから帰ってきたらスカートのチャックを閉め忘れていたみたいで、パンツが丸見えだった。しかも金魚柄。女の子に指摘されてすごい恥ずかしがってた。今日は男子の間で噂になっていた。しかもかなり可愛い。矢津とかはそうでもないって言ってたが、俺的にはだいぶ好み。やべぇ。金魚柄が頭から離れない。俺、マジで変態だって。

 私、のこと? 確かに入学式でチャックが開いてたってことあったけど、時田君ってそんなに早くから私を見ていてくれたの? なんで…。
「ね、びっくりでしょ? 私思わず笑ってしまったよ。裕ちゃんには笑えないと思うけど、あの子、中学入ってすぐに裕ちゃんのこと発見していたのね」
「あの」
「なぁに?」
「お線香あげさせてもらってもいいですか? 私、時田君に謝りたくて」
 お母さんはあらあらと笑うと、何本でもお線香あげていいわよ、あなたの気が済むまで。と言ってくれた。そこの畳の部屋に仏間があるからね。私は少しだけ部屋あけるわね。
 そう言ってお母さんは鼻歌を歌いながらリビングを出て行く。私は紅茶を一口すすってから、仏間に足をスリッパを脱いで踏み入れる。最上級の笑顔の時田君の写真が飾ってあった。胸がキュンと高鳴るのがわかった。そうだ、時田君はこんな顔をしていた。最近はぼんやりとしか思い出せなかったけれど、そうだ、こんな顔だ。
 私は事前に調べていたとおりのお線香の上げ方を思い出した。まずは正座をし、一礼して合掌する。その前に遺族に向かって一礼をすると書いてあったが、お母さんは出て行ってしまったのでそれは省くことにした。それから仏壇の隣に置いてあったお線香を手にすると、ロウソクの火を移す。炎が出たら手で仰いで消す。それを香炉の中心に立てると再び合掌をする。よし、これでいい。私は合掌したまま時田君に問いかけた。


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あきゅろす。
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