[携帯モード] [URL送信]

素晴らしくない世界

「西条さん」
 私が呼びかけると、西条さんは満面の笑みで振り返る。前回コンビニで会ってから二週間が経過していた。麻衣とはあれ以来会っていない。連絡もない。久しぶりの西条さん。麻衣に怒られて以来、なんかもやもやがたまっていたけれど、西条さんの顔を見たらそれもすっ飛んでしまった。
 今日は普段しない化粧もして、大人っぽい服装もした。制服だと援助交際と勘違いされるし、何より西条さんの奥さんに見つかってもも同僚だと言えるように、そんな小さな努力。
「裕子、久しぶり」
 そう言って、手を差し出される。
「もう、手は繋げないでしょう?」
 笑って言うと、そうだっけ、ととぼけたように笑う。西条さんといると、落ち着く。私も笑うと、もう、と軽く肩を叩く。
 そのままハンバーグ専門店に行くと、カウンター席に座り、西条さんは煙草を取り出すと、気持ち良さそうに吸う。
 今日会うことになったのは、私から言った
のだった。麻衣とのことがあって、西条さんに会いたくて、寂しさを押さえ毎日を過ごしていた。またコンビニで会えるんじゃないかと思って夕飯をわざわざコンビニまで買いに行ったり、駅で待ち伏せしたり。それでも西条さんとは会えなくて、我儘を言わせて貰ったのだった。
 三日前に会社帰りに西条さんから電話が来て、思わず泣きながら会いたいと言ってしまったのだ。西条さんは笑いながら、じゃぁ今日会おうよと、言ってくれたのだ。
「今日の裕子は元気そうじゃん。この前は泣いていたのに」
「だって」
 そう口ごもると、西条さんは笑った。
「我儘言ってくれていいんだよ。何かあったんでしょう?」
 なんて西条さんは優しいのだろう。西条さんはなんでもわかってる。私が弱っているときも何も言わないのに電話をくれるし、会おうと言ってくれる。家にはご両親も奥さんも子供だっているのに、私にわざわざ時間を割いてくれる。でもわかってる、西条さんの一番が私でないということを。
「実は…」
 麻衣との間に合ったことを話した。麻衣に言われたことも、連絡がないことも。
 西条さんはどんどん神妙な顔つきになっていって、私が話し終えたときにはため息をついて、怖い顔をしていた。
「そっか、そんなことがあったんだ」
 思わず涙が溢れてきてしまった。ずっと苦しかったんだ。麻衣に言われたことが、私の苦しみは嘘だと言われているみたいで、私を全否定されているようで、すごく悲しかったのだ。リストカットも電車を眺めていたのも、死にたいと思ってきたのも本当のことなのに否定されてしまったことが悲しくて悲しくてどうしようもなかった。ひとりでいるときは泣かないでいれたけど、西条さんの優しい落ち着いた声を聞いていたら、思わず涙が出てきてしまった。
「でもな、裕子。人間というのは好意を好意と取ってくれない人もいるんだよ。麻衣さんは自分が一番悲しいと思い込んで、裕子のことが考えられなかったんだよ。何も裕子が泣くことはないんだよ」
 涙を拭うと、うん、と頷き、微笑んで西条さんを見る。
「裕子は良い子だね」
 そう言って頭を撫でてくれる。そしてテーブルに置かれた私の手に西条さんの手が重なる。温かい。なんで西条さんはこんなに温かいのだろう。
 ふと、思い出した。中学生のとき、私はそれなりに友達がいて、毎日を笑って過ごしていた。学校も楽しかったし、両親がいない家でもそれなりに充実した生活を送っていた。今とは全然違う。こうなってしまったのは自分の責任だ。中学のとき付き合っていた人と別れたことから、私は変わってしまった。
 純粋な恋愛だった。恋愛漫画にでもなりそうな恋愛だった。学校で一番かっこよかった男の子で、名前は時田英彦。時田君の気を引きたくて、同じ委員会になったり、友達の協力を得て席替えのときに不正をして時田君の隣になったり、可愛くなれるように髪型を毎日工夫したり、グロスを塗ったり、時田君の近くで友達とお話したり、時田君が居眠りして授業で先生に指されたときは答えを教えてあげたりして、本当に純粋だった。後に、私から告白して、付き合うことになる。だが、それも長くは続かなかった。付き合い始めて一年。時田君はいなくなってしまった。居眠り運転の車に轢かれて亡くなってしまったのだ。私はパニックを起こし、ショックでしばらく寝込んでしまった。学校も行けなくなり、外に出ることが出来なくなった。もちろん時田君のお葬式にも行けなかった。しかし、人間というのは残酷なものだ。学校一かっこよいと人気があった時田君。学校の女の子はそんな男の子と付き合い始めた私を、良いふうには思わなかった女子はたくさんいた。付き合っているときから軽いいじめみたいなこともあったが、一ヶ月寝込んでやっと学校に通い始めたとき、ませてる女子にトイレに呼び出され、「時田君じゃなくてあなたが死ねばよかったのよ」と言われたのだ。他にも散々罵られた。仲良かった女の子たちも私をシカトし、私には味方が誰もいなくなった。それを経て、私は人間不信に、そして死にたがりになった。その話は西条さんには言ったことがない。極力、忘れようと心がけていた。
 しかし何度時田君の後を追おうとしたことか。死ねたらいいのに、どうして死ねないのだろう。
「西条さん?」
「なに?」
 私は西条さんの手を取ると、自分の頬に手を当てて、目を瞑った。
「漫画とかでさ、一生の大恋愛をするでしょ? 少女漫画ではさ、主人公って中高生で、その恋愛の終わり方はないみたいな、ずっと一緒に過ごしますみたいな、なんていうのかな、そんな感じのが多いでしょ?」
「そなの?」
「そうなの。少女漫画読んだことない?」
「ない」
 そうやって苦笑い。
 私は手を離すと、カウンターのテーブルの上に手を置きなおす。
「だけどさ、そんな大恋愛をしたって、中高生なんかすぐに別れるんだよ、先が長いんだから、それが結婚まで成就することは滅多にない」
「だから?」
 西条さんは優しく先を促す。何が言いたいのか。喋っているうちに何を言いたくなったのかがわからなくなってきた。
「麻衣さん」
「うん」
「彼女はどんな恋愛遍歴を持っているのだろう」
「麻衣さんの話? それが聞きたいの?」
「違う」
 喉まで言葉が出掛かって、私は飲み込む。
 困ったような顔をして、西条さんはなぁに? と私の顔を覗き込む。
「私の初恋の相手、死んじゃったの。いなくなっちゃった」
「そっか」
「お墓参りもまだ行けてないし、お線香もあげに行ってないの。亡くなってから二年も経つのに」
「そっか」
「西条さんもさ」
「うん」
 私は目を閉じると、息をついた。
「いつかはいなくなっちゃうんでしょ」
 西条さんは肯定も否定もしない。ただ黙って自分の、テーブルの上に指を組んだ手を見ていた。
 私はどんな答えを待っていたのだろう。そんなことないよ、なんて嘘臭い答えはいらない。そうだね、なんて答えも悲しい。西条さんを困らせたくて言ったのではなかった。だけどそのもやもやは、いつからかずっと私に張り付いていて、きっと時田君みたいに、いや、違う、時田君みたいな死んでしまった別れではない、違う別れが来るのではないかと、怖かった。普通、こんな不倫関係なんて長くは続くものではない。でも西条さんには妻子がいる。そのことは私がどうこうできるものではないし、西条さんも奥さんと別れないということは、私と彼の仲はそれだけということなのだ。私と西条さんの仲は一生続くものではない。いつか終わりが来てしまうのだ。
「裕子、今度お墓参り行こうか」
 躊躇いがちに頷くと、西条さんの横顔を見た。煙草に火をつけると美味しそうに吸っている。
 これでよかったのだ。一番最適な答えを西条さんはくれた。肯定も否定もせず。この話を聞かなかったことにする。これでよかったのだ。いつ別れが来るかもわからない。奥さんにばれてしまうかもしれないし、時田君のように事故にあって会えなくなるかもしれない。または、私に愛想を尽かして別れがやってくるかもしれない。それはいつだかはわからないけど、それまではこの人に甘えていたい。もしかしたら私のほうから振るということもあるかもしれない。
 私は西条さんの肩に頭を寄せると、目の前で行われる、鉄板でハンバーグが焼かれていく様を見た。
 この時間がいつまでも続けばいいのに。


[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!