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素晴らしくない世界
最終話
 西条さんをチラリと見ると、満面の笑みで私を見て微笑む。
「この前の日曜日にね、時田君に会ってきたよ」
「時田君?」
「私が昔付き合ってた人。ほら、事故で亡くなったって言ったでしょう?」
「あぁ。ひとりで行っちゃったんだ」
「だって西条さんは部外者でしょう?」
 言うと、西条さんは顔を曇らせた。それを見たら、言葉が悪かったかな、と思った。部外者なんて言い方。
「でもね、時田君の家、近くだから奥さんに見られたら誤解解けないでしょう? だからひとりで行ってきた」
「どうだった?」
「うん、行ってきて良かった」
 シャンパンを飲むと、鼻がツーンとした。やばい、泣いちゃう。そう思うと同時に涙が出てきた。もう西条さんに会えないんだ。コレが最後。今日会うのが最後なんだ。この笑顔を見るのも、会話をするのも。別れは早いほうがいい。いつまでもこうしていると別れを切り出せなくなってしまう。ごめんなさい、西条さん。
 涙を拭うと、西条さんの右手に私の左手を重ねる。温かい。私はこの手を離してしまわなければいけない。
「いっぱい時田君に謝ってきたよ、私の生き方や、お線香上げにいけなかったことも」
「うん」
「あと、不倫しているってことも」
「うん」
「時田君のお母さんがね、時田君が書いてた日記も読ませてくれた」
「うん」
「なんで、うんとしか言わないの?」
「ヤキモチ」
 そう言ってまた煙を吐く。そして灰皿で煙草の火を消した。西条さんは煙草をいつもぎりぎりまで吸う。私のお父さんは半分くらい吸っていつも消しちゃうから、それが普通のことなんだと思っていたけど、西条さんに言わせると、俺がケチなんだよ、と笑って言っていたことがあった。
「私たちもう終わりだよ」
 西条さんは何も言わなかった。しばらく無言。カウンターの向かいに立っていたバーテンバーは空気を読んでなのかどこかへ行ってしまった。西条さんはまた煙草に火をつけると、低い声で「何があったの?」と聞いてきた。
「この前ね、西条さんの家に行ったの。昔偶然西条さんがその家に入っていくのを見たことがあったから知っていたの。そしたら西条さんはお子さんと奥さんと一緒に笑ってた。私にはそれを崩せない。西条さんの家族の幸せを私は壊せない。こんな関係、やめなくちゃいけないんだよ。いつまでもずるずるして関係続けていてもお互い幸せになれない。時田君に会いに行って思ったの。私はちゃんと生きなくちゃいけないって。誰にも頼らないで生きていくの。時田君の分も私は幸せにならなくちゃいけないの。私を幸せにするのは西条さんじゃない」
「裕子はそれでいいの?」
 コクンと頷く。
「私たちもう終わりなんだよ」
「俺の気持ちは? 俺は裕子のそばにいたいんだよ?」
「そんな言葉、だめだよ。私だって離れたくないのに」
「じゃぁ離れなくちゃいいじゃないか」
「もう終わりなんだよ」
「そんなんじゃわからないよ」
 どうして、どうしてこんな時まで優しい声なの、西条さんは。心が揺れてしまう。一緒にいたい。出来たらずっと一緒にいたい、でもダメなんだよ、西条さん。私たちの未来は見えない。
「私だって、まだ人生は長いんだよ。西条さんに縛られたくないの。いろんな人と付き合ってみたいの」
「そんなこと…」
 西条さんは煙草の火を消すと、私がカウンターに指を組んで置いていた手に、自分の手を重ねる。汗ばんだ手のひらがぎゅっと私を包み込む。
「もっと俺が大人の男だったら、ここで潔く身を引くんだろうな。でもな、俺はまだまだ子供だ。好きな女とは一緒にいたいんだよ。俺が裕子を守りたいんだよ。一緒に生きて一緒に笑って、可愛い子供育てて、子供の結婚式で泣いて、おじいさんおばあさんになったら手を繋いで散歩して、死ぬまで笑顔でいるんだ。俺にはそんな未来が見える」
「西条さんには妻子がいるじゃない! 捨てることなんて出来ない癖にそんなこと言わないで」
 思わず声を荒げてしまった。でも本当のこと。捨てれないくせに、私には見せない笑顔で笑うくせに。
「裕子のためだったら別れられる」
「私は西条さんの家庭は壊せない」
「あいつは俺と裕子の関係を知っているよ」
「え?」
「とっくに知られていたよ。離婚届も突き出された」
「嘘」
「嘘じゃない、本当なんだ」
 そう言ってかばんの中から封筒を取り出し、紙を取り出し、私に見せる。そこには西条真帆と判子を押されてあり、西条さんの名前も全部書かれていてあった。
「あとは区役所に出しに行くだけなんだ。もうとっくに壊れていたんだよ。俺は裕子を背負うことを決めたんだ」
「嘘…」
「本当だよ」
 西条さんは私の顔を覗き込んで、微笑む。
「言わなくてごめんな、裕子」
「私なんかでいいの?」
「裕子がいいんだ」
「別れなくていいの?」
「いいんだよ」
 西条さんの優しい声。また涙が溢れる。西条さんは立ち上がると私を強く抱きしめてくれた。私も背中に手を回す。
「ずっと一緒に居よう。裕子。大丈夫だから」
「壊しちゃってごめんね」
 嗚咽交じりに何度も何度も謝る。
 神様ごめんなさい。私、この人と生きていきたい。一緒に居たいよ。西条さんの家庭を壊してしまったけど、まだ赤ちゃんの子供がいるけど、私が奪ってしまったけれど、許してください。どうかどうか、お願いします。
 もう後戻りは出来ない。私が、この人を幸せにします。
「裕子」
「うん」
「渡したいものがあるんだ」
 西条さんが私を抱き締める力を弱めたので私も背中から手をはずす。すると、またかばんの中から小さな箱を取り出す。正方形のグレーの箱。これは、もしかして。
「慰謝料とか養育費とかしばらく払わなくちゃいけなくなるけど、俺と幸せになりませんか?」
 箱の蓋をあけると、そこには指輪が輝いていた。小さなダイヤモンドが光っている。これは何? 何が起きたの? 私は受け取っていいの?
「これを今日は渡したかったんだ」
「だからニコニコしていたの?」
「裕子の嬉しそうな顔を見たかったんだけどな」
「私、嬉しいよ」
「受け取ってくれますか?」
「はい」
 にっこりと笑おうとしたら、目じりから涙が零れる。
「時田君も祝福してくれるかな」
「もちろん」
 西条さんは指輪を抜き取ると私の左手を持ち上げ、薬指に指輪をはめてくれる。サイズもぴったりだ。左手を宙にかざしてみる。綺麗な指輪。
 これからはきっと素晴らしい世界。

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