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体のどこかに流れる 第5話
 後から思えば、車を走らせるより、警察に電話したほうが早かったかもしれない。
 大輔さんの部屋についたといにはもう夕方だった。「死にます」とメールを貰ってから一時間半が経過していた。
 大輔さんが暮らしているのは寮みたいな小さいアパートで、一回の入り口に玄関があり、そこから部屋までは素足で行くことになる。この前来たときも思ったが古い。でもちゃんと部屋にはユニットバスがついている。大輔さんは仕事もしていないのに、一人暮らしをしているみたいだった。両親からの仕送りだけで生活しているのだろうか。それなのにあんな立派なカメラを持っていて、ご両親はお金持ちなんだなということを思いついた。しかし金持ちであったらもっとちゃんとしたアパートかマンションに住まわしてもらえるはず。下北沢はかなり栄えている街で、しかし少し歩けば住宅街だ。この古くて小さいマンションでも結構家賃は高いのだと思う。
 私はといえば車の中で震えてるだけで、大輔さんから返信のない携帯をひたすら握り締めていた。生きていてと願うしかなかった。武史は何も言わず、車を運転していて、緊迫した空気が息苦しかった。
 誰かが死ぬということがこんなに怖いことだなんて知らなかった。今まで何度も武史に「死にたい」と洩らしていたけど、私は死ねなかった。死ぬこともできず、だからといって生きていることも辛くて、どうしていいかわからなかった。そんなときに大輔さんに出会って、私の気持ちをわかってくれて、そんな大輔さんに助けられていた。だから私も彼を助けたい。今思えば大輔さんに抱いていた感情は、私自身を見ているということに近かった。同情というものだったのだろう。彼なら私をわかってくれる、私なら彼をわかってあげられる。そんなちっぽけな同情心だ。
 部屋のチャイムを鳴らす。応答はない。武史を見ると、今までに見たことのない、苦しそうな表情をしていた。それはそうだろう。恋人の浮気相手を助けに来たのだ。本当なら殺してしまいたいほど憎いはずなのに、武史はこの場に立っている。
 どうしよう、と私が足踏みしていると、武史は私の手を握り締める。武史の手は少し汗ばんでいた。私は泣きそうな自分を励まし、ドアノブに手を伸ばす。ドアについたポストから郵便物が溢れかえっていた。ドアには鍵がかかっていなく、簡単に開いてしまった。私は唾を飲み込むと、ドアを開く。
 玄関から見える居間には大輔さんの姿はなかった。足が震えて、上手く立っていられない。
「ちょっと待ってて」
 武史はそう言うと、私を残し、部屋の中へ入っていく。まっすぐに居間へ進むと、私を見て首を左右に振った。しかしドアから見えた。居間に見えるテーブルの上にたくさんの薬のシートが置いてあったのだ。私はハッと思いついて急いで部屋へあがりこむ。武史が待ってと言い掛けると同時に風呂場のドアを開ける。
 私は息を飲む。武史も後ろから息を飲んだのがわかった。
 大輔さんは風呂に腕を浸して倒れていた。風呂は大輔さんの血であろう、赤く染まっていて、それとは対照的に大輔さんの顔は青白く、私は口を両手で押さえるとその場に座り込んで涙が溢れてきた。そんな中、冷静な自分がいた。なんなんだ、このドラマみたいな状況は。昼ドラにでもありそうな展開。そうして彼は死んでいるんだ。薬を大量に飲んで手首を切る。武史は私の横で膝をつき、私を強く抱きしめた。死んでいる。死んでいる。
 私の口から「あ…」と声が出る。いや、言葉にならなかった。心の中でごめんなさい、と呟いた。私が大輔さんに出会わなかったらこんなことなかったかもしれない。私が無理矢理浮気相手に選んでしまったものだから、無理させてしまったから、重荷になっていたのかもしれない。もっと早くに、この前会ったときに助けてあげられるような言葉をかけてあげていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。
 私の一メートル先に大輔さんが冷たくなった倒れている。私が、私が悪いのに。助けてあげられなかった。
「ごめんなさい」
 やっとの思いでそう呟くと、武史がもっと力強く私を抱きしめた。
「俺が舞果を守るから」
「救急車呼ばなくちゃ…」
 武史も泣いているのがわかった。全身で震えている。

 あっという間に時は進んでいき、クリスマスイヴになっていた。大輔さんの検死の結果、出血多量での死だった。胃の中にはたくさんの錠剤が発見され、やはり薬を大量に服薬し、手首を深く切ってあり、血管まで切れていたらしい。大輔さんのお葬式も住んでしまい、シズも葬式には参列した。シズは私の胸の中で泣いた。なんで大輔さんが…と呟き、小さな肩を震わせて泣いた。シズは大輔さんが好きだと洩らした。なんで最後のメールは自分に来なかったのか、私じゃ支えてあげられなかったのか、そう何度も呟いていた。
 大輔さんの家族といえば、葬式の席でも涙を流さなかった。装いはやっぱり金持ちだったらしいが、いつかの大輔さんの言葉が頭から離れなかった。
「子供は親に愛されなくちゃいけないんだよ」
 悲しい言葉だなと思った。私は家庭には何不自由なく過ごしていた。両親はちゃんと居たし、妹もいた。ご飯は毎食ちゃんと出てるし、こんなに病んでる私を責めはしなく、いつも優しく接してくれていた。なのに私は生きたくないだなんて、それは大輔さんのように恵まれない家庭に育った人が許される、小さな強がりだ。大輔さんは最後まで悲しかったのだなと思うと、自分が嫌になる。ちゃんと恋人もいて、なのに大輔さんを利用して、大輔さんの優しさを利用した。甘えていた。大輔さんも誰かに愛されたかったのかもしれない。愛して愛されて、そして大人になっていく。以前の私がそんなことを聞いたりしたら、なんだこの綺麗事と思うと思う。だって確かに綺麗事だ。大輔さんがいなくなって、私は胸にぽっかり穴が空いているようだった。私が殺したも同然。もっと早く駆けつけていたら助かったかもしれない。でも私も愛されたかっただけだった。育った環境は違うにしろ、私と大輔さんは一緒の思いを共有していた。私も後を追いたいくらい悲しかった。大輔さんに感情移入していた。彼を救えなかった自分が嫌だった。
 ちゃちいお涙頂戴みたいなドラマのワンシーンのように思えた。そんなのは私は嫌いだ。私も大輔さんも、「愛されたかっただけ」なんてやっぱり綺麗事だ。死にたくて死に行く人の気持ちを知っているのはやっぱり当事者だ。ドラマのように簡単に理解できるようなものではない。もっと複雑で、難題。きっと一生理解されずに生きていくのだ。武史の気持ちが私にはわからなかったように、武史にも私の気持ちは理解できない。私に大輔さんの気持ちがわからなかったように。死に行く人の気持ちは、やっぱり本人にしかわからないのだ。
 クリスマズイヴ。私ももう少しでそこに行くからね、と大輔さんのお墓の前で手を合わせた。
 人というのは滑稽で、難関で、何かを手に入れたら違う何かを求めてしまう。武史は言った。「舞果は俺が守る」と。私が死ぬといったら駆けつけてくれるだろうか。また狂言か、と放っておくのだろうか。武史の私のために流す涙を見てみたい。
 クリスマスイヴ。武史は今日もバイト。私は武史の部屋で彼の帰りを待つ健気な彼女さん。九時には帰ると言っていた。大輔さんを追うというわけでない。私の欲望は果てを知らない。大輔さんの死をもって、死ぬというのは案外簡単なんだなと思った。怖いと思ったのは大切な人が死んでしまったということだから。私は強い。だからさようならを、武史の部屋で。私は大輔さんのように誰かに助けを求めて死ぬということはしないよ。自分がおかしいということは、狂っているということはわかっている。とにかく死にたい。生きていても大輔さんの影がちらついて消えなくて、大輔さんの影が離れない。大輔さんが死んでしまって、私の孤独感は増した。苦しみも増した。私もすぐにいくよ、大輔さん。もう生きていたくない。知っている、私はくるっていると、おかしいと知っている。死ぬのなら今日だ。武史へ、ごめんなさいの手紙を添えて。

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