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体のどこかに流れる 第3話

 武史にプロポーズの返事が出来ずに、数日が過ぎていた。そのことを考えたくなかった。
 なんとなく大輔さんにメールすると、木曜日の十三日に会うことになった。少しだけウキウキしている自分がいた。
 待ち合わせは夕方の五時半。この前ふたりでお茶したマクドナルドだった。
 私はいつもの如く朝九時から夕方五時までバイトで、それから急いで電車に乗った。私の働いているコンビニは駅前にあって、だからすぐに電車に乗ることができ、あっという間に目的の駅についてしまった。五時十八分。少し早くついてしまったかなと思い、レジで珈琲を買うと、席に着こうと階段を上る。二階に着くと、階段のすぐ隣の席から「舞果さん?」と声をかけられた。大輔さんだった。
「あ、こんばんは早いですね」
 と声をかけ、席に座る。
「暇だったから一時間くらい前からいたんだ」
 大輔さんの机には飲み物がふたつ置いてあった。おまたせしました、と言うと、大輔さんはぼそりと、今日はどうしたんですか、と言われた。
 特に理由はなかった。なんとなく大輔さんに会いたいと思った。それを言うのはなんとなく恥ずかしくて、なんでもないです、と言うと私は俯き、熱い珈琲を両手で包んだ。
「僕はね」大輔さんはそう言うと、「舞果さんにお願いがあるんだ」と言って、ため息をついた。
 なんとなく想像はついていた。
「被写体になってほしい」
 やっぱり、と思った。被写体、興味がないといったら嘘になる。大輔さんの写真を見て、なんとなく私のことも撮ってほしいと思っていた。
「僕はね、それなりのオーラを出している人しか撮りたくない。僕は生きたくないと言ってる人に魅力を感じるんだ。だからサイトの写真もそういうのばかりを載せようと思っている。君みたいな人を何人も見てきたよ。一目でわかる。この人は生きたくないんだって。君のこともわかった。人生にため息をついている。」
 確かに、と思った。シズは高校のときはうんと暗かった人間だ。教室でもいつも浮いていたし、話しかければ笑顔を返してくれているが、いつも不安定な表情をしていた。だからこの前声かけられたときも、少しびっくりした。シズは自分から話しかけてくるような人だったし、何より明るい笑顔を向けていた。
「シズもそのひとりですか?」
「むかしはね。今は違う」
 大輔さんは小さな声で呟く。
 そこで気付いたことがある。大輔さんは話すときに人の目をみない。髪の毛は少し長かったから、それで顔も隠れている。注意深く観察していないと、表情を読み取れない。私もそうだからわかる。人の目を見て話すのは苦手だ。自分の中の考えていることを、読み取られてしまいそうで怖かった。顔を見られたくもなかった。
「私でいいんですか?」
「君がいいんだ。いつでもいい。暇なときでいいから」
 返事は決まっていた。もちろんオーケーをするつもりだった。彼のレンズに私はどうやって映っているのだろうか、それが気になった。
 ふと、武史を思い出した。
 武史はやきもちというものをほとんどやかなかった。私が誰か男の人と遊びに行っても何も言わないし、そう、楽しかった? と優しい笑顔で聞いてくるのだ。また、メールで大輔さんという人と出会ったと言っても、何も言わないだろう。寧ろ、被写体になれるなんて光栄なことじゃないか、と顔を綻ばせて喜ぶのだろう。それはなんとなく気に入らないことだった。少しくらいやきもちをやいてくれたっていいのに。そうして少しだけど武史の私に対する想いを知れるのに。大輔はどこまでも優しい人。
 武史のことを思っていたら、なんとなくその私に対する信用というものを裏切りたくなった。武史の余裕のある態度を、慌てさせたいと、やきもちをやかせたい、そう思った。もう四年の付き合いになるというのに、武史とは一回も喧嘩をしたことがなかった。少し表現が違う。武史は喧嘩を避けていた。何度も私が喧嘩を吹っかけているのに、武史は笑顔で、もしくは申し訳ない顔で、ごめんねと小さく囁くのだ。それがまた私の中では気に入らないことであった。どうしていつも武史は私から逃げるのだろう。わからない。私がリストカットしたときは悲しそうな顔をする。だけど何も言わない。やめるな、とも、やっていいとも、なんとも言わない。
 こう考えると私は武史に不満ばかり抱いている。もう武史のことはどうでもいい。たまにそう思ってしまっている。先日のプロポーズも、ここ数日間、断ってしまいたいと思っていた。彼といてもイライラするだけだ。全てを壊してしまいたくなる。
「舞果さん?」
 大輔さんに呼ばれて、こっちの世界に連れ戻された。考え事をしていた。
「被写体の件、お受けしたいと思ってます」 そう言うと、大輔さんは顔を歪ませて笑顔を作ると、お願いします、と言った。
「大輔さんは彼女さんとかいないんですか?」
「なんで?」
「なんとなく」
 この人なら巻き込めそうだ、と思った。武史に対するあてつけに。そうなれそうと思った。
 大輔さんは飲み物のコップに手を添えていた。私は大輔さんの手を包み込むようにすると、「私を抱いてください」と言った。
 驚いた顔もしないで、落ち着いた声で、どうしたのですか、と大輔さんは顔を俯けた。
 武史に対するあてつけだとは言わない。いえるわけがない。
「あなたに抱いて欲しいのです」
 大輔さんはため息をつくと、「抱くのは簡単です」と言い、私の手を握り返した。
「それで舞果さんは良いのですか?」
「はい。お願いします。私を壊してください」
 武史の笑顔が頭を過ぎる。武史の馬鹿。何度も頭で武史を罵倒する。私は他の人に抱かれるのよ。それでもあなたは平気な顔でいられるのか。許さないと、怒りを露わにしてくれるだろうか。
 立ち上がる大輔さんに私は後を追うようにくっついていく。一口も口にしてない珈琲を捨てると、大輔さんの手を握ろうと、手を伸ばす。大輔さんは私の手を握り返す。その手はすごく温かかった。この人を利用する、罪悪感はあったけれど、だけど開いたが大輔さんということに安心感を覚えていた。彼はきっと何も聞かずに、私を抱いてくれる。
「舞果さん?」
「なんですか?」
「舞果さんこそ恋人はいないのですか?」
「いますよ」
「いいのですか」
「いいのです、あんな人…」
 そう言うと、大輔さんは黙ってしまった。きっとわかってくれたのだ、そう思い込むと、大輔さんの手を握る自分の手に力をこめた。ただ握り返してくれる。それが嬉しかった。大輔さんなら私を理解してくれるのだろうか。私の馬鹿なお願いを聞いてくれる。私の暗い部分を認めてくれるだろう。いっそのこと、大輔さんと付き合いたいと、なんとなく思った。武史と大輔さんは正反対のように違う。もしかしたら武史とは違う意味で、大輔さんとのほうが私は上手く付き合えるのかもしれない。怖い、怖い。
 大輔さんは少し駅から離れたラブホテルに入っていくと、手馴れたように部屋のボタンを押し、中へ進んでいく。部屋に入ると、いきなり私を抱きしめ、軽いキスをくれた。
 そして優しそうに笑う。そんな笑顔は今までの大輔さんからは想像できなかった。
「先にシャワー浴びてきていいよ」
「はい」
 体が震えていた。
 お風呂に入ろうと、風呂場に行き、ドアを閉めようとすると、大輔さんは「まだ」と言ってきた。
「間に合うから、考えて」
 間に合うから。どういうことなのだろう。ここまで来ておいて、今更なしというのも私はわからなくなってしまう。今すぐ抱いて欲しい。決意が、薄れてしまう。あの武史を裏切ってしまいたい気持ちが揺らいでしまう。据え膳食わぬはなんとかとあるが、大輔さんはそれでもいいのだろうか。彼に性欲があるようには見えないけど、やっぱり男の人だから性欲はあるのだろう。大輔さんになら抱かれても良い。
 早くシャワーを浴びてしまおうと思った。急いでシャワーを流しながら、身体を洗う。私の髪の毛は長いから少し、毛先のほうが濡れてしまった。足が震えている。私は身体を丁寧に拭くと、タオルを身体に巻いて、お風呂場を出た。大輔さんは椅子に座って煙草を吸っていた。
「あがったんだね、僕もシャワー浴びてくる」
 そう言って、煙草の火を消すと、お風呂場に向かって行き、ドアを静かに閉めた。
 私はびっくりしてしまった。大輔さん、煙草吸うんだ、と。部屋には煙草の匂いが立ち込めていた。私は大きく息を吸って煙草の匂いを吸い込む。
 やることがないな、と思った私は大きなベッドに座るとテレビをつける。足の震えは治まらない。どうして。どうして大輔さんはこんな私を抱いてくれようとしてくれてるのだろう。わからない。だけど、私は恐い反面、少し楽しみがある。私は武史が初めての恋人で、だから男性経験も少ない。キスも性行為も全部武史が初めてだった。他の人とを経験するということは楽しみだし、何より武史へのあてつけ行為だから、少しの罪悪感も持ち合わせている。だけど今回は私が誘った出来事。ここでやめるわけにはいかない。あの武史の余裕を持った、能天気な毎日を送ってそうな、あの顔を潰してやりたかった。お前の女は他の男に抱かれたんだ。武史。私はこれからあなたを裏切ります。
 しばらくすると大輔さんが風呂場から出てきた。下半身だけにタオルを巻いていて、あぁこれからこの人に抱かれるのだと思った。
 大輔さんは私の隣に座ると、私の左手を取って、「これが舞果さんの痛みなんだね」とリストカットの痕を、丁寧に触ってくれた。傷口に沿って指先で辿る。くすぐったくもないのに私は笑い出しそうになってしまった。こんなふうに触られたのは初めてだった。武史はいつも傷口を見ないふりをしていた。傷のことも、自傷したことも、彼は本当に何も言わない。だからこうやって触ることがこんなに心が穏やかになれるのかと思った。そして大輔さんは傷口に唇を当てて、何度も口付けをする。
「本当にいいんですか?」
 大輔さんはそう言うと、私を抱きしめ、震えてる…と呟いた。
「抱いてください」
 私はそう言うと、大輔さんの少し湿っている背中に腕を回した。


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