迦陵頻伽―karyoubinga―
A
彼女の名前はサエキカヤ。
数々の有名ファッション誌の表紙を飾り、パリやロンドンのコレクションにも登場したことのある一流モデルだ。
だがその栄光もすでに過去のものとなっていた。
次々に若手が台頭してくるファッション業界でトップを走り続けるのは至難の業だった。カヤもその例に洩れず、二十代も半ばを過ぎると専らテレビ関係の仕事に力を入れるようになっていった。
芸能界で活躍するようになったカヤは、派手な容姿に相応しく、実にたくさんの男性達と浮名を流していた。
大物歌手や若手俳優、映画監督やテレビ局のプロデューサー、それにスポーツ選手など。相手の名前は常に変わり、そのたびに新聞や週刊誌の売り上げに多大な貢献をしていた。
芸能活動よりもスキャンダルのほうが多いカヤだったが、それでも少しずつ仕事は増えていった。話題性の高いカヤの存在は、テレビの視聴率稼ぎにはもってこいだったのだ。
しかし今では、カヤの顔も名前も、テレビどころかゴシップ記事の表面を飾ることすら無かった。
あることがきっかけで、カヤは芸能界からもファッション業界からも事実上の引退という状況に追い込まれていたのだ。
カヤが『伽陵頻伽』に通い始めたのもちょうどその頃――テレビ画面や誌上からカヤの顔が消えた頃だった。
ファンやマスコミはもちろん、興味本位で近付いてくる人間のいないこの店は、今のカヤにとって唯一落ち着ける場所だった。
今夜もカヤは一人でふらりと店に立ち寄り、ぼんやりとカウンター席に座っていた。
「暇そうだねえ、お姫様」
からかうように言うDに、カヤはくすりと笑ってみせる。
「いいのよ、別に」
それからその蟲惑的な瞳をマスターへと向け、
「今の私は、この店とマスターに夢中なんだから」
冗談混じりに言う。
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