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B
 
 「悪いんだけど、彼と別れてくれないかな?」
 いつものようにかかってきた千佳子からの電話で、だけどいつもとは違う真剣な口調で彼女は言った。
 会社帰りの道すがら。私はちょうど彼のマンションへ向かっている途中だった。
 「え、何?」
 咄嗟のことでうまく頭がまわらない。
 いったい千佳子は誰のことを言っているんだろう。
 すると受話器の向こうから大きなため息が聞こえた。
 「やっぱり康介からは聞いてないのね」
 「何を?」
 質問すると、また大きなため息。
 少しの沈黙の後、千佳子はいやに冷静な声で私に告げた。
 「私と康介、付き合ってるの。もう三週間も前から」
 「……」

 頭が真っ白になった。
 千佳子が何を言っているのか、それをどう理解したらいいのか、私にはまったく分からなかった。
 それでも考えるより先に、私の口から言葉がこぼれ落ちた。
 「嘘でしょ?」
 そして千佳子が返事をする前に、私は矢継ぎ早に言葉を続けた。
 「だって、そんなことありえない。私たち、お互いの家族だって知ってるし、今年のお正月なんか、二人で康介の実家に泊まりにも行ったわ。それに指輪――、千佳子にも見せたでしょう?あれね、婚約指輪の代わりなの。『後で正式にプロポーズする時に、もっとちゃんとしたのを買うからね』って、康介が笑いながら言ったんだから」
 話している途中から涙声になってしまった。
 千佳子は黙っている。黙って、静かに私の次の言葉を待っている。
 悔しい。私だけが昂奮して、私だけが泣いている。
 今、電話の向こうで、千佳子はいったいどんな顔をしているのだろう?

 「……咲希(さき)?」
 遠慮がちに聞こえてきたのは、千佳子のではなく康介の声だった。
 「どうして康介がいるの?」
 そう尋ねながら、私は呆然と顔を上げた。
 私が立ち尽くす場所から少し先に建つ十階建てのマンション。すっかり通い慣れた、私のもう一つの家。もうすぐ私が住むはずだった家。
 もしかしたらあの中に、彼と千佳子が一緒にいるんだろうか?

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