その他の短編小説
D
私は、時の河の渡し守。
時の流れを見守り、人生を終えた人間を過去から未来へ運ぶのが役目。
私には始めも終わりもない。この河の流れ、つまり時間と同じように、永遠不変の秩序の中にたゆたっている。
そして、永遠を生きるものの常として、私には感情というものが備わっていない。笑うことも泣くことも私には無縁のものだった。
私のようなものから見れば、人間という生き物はあまりにも不安定で不完全だ。その心は常に揺れ動き、その記憶はめまぐるしく移り変わる。何より人間はすべてを忘れていく。
だが何故だろう。
私は時々とても羨ましく思える。
いや。羨ましいというのとはちょっと違うかもしれない。私には感情がないのだから。
それでも私が人間というものに対して時たま抱くこの不可思議な感覚。これはいったい何なのだろう……。
ああ。また一人、時の河を渡るべき者が来た。
ひとまずこの問題はおあずけだ。
私は、私に与えられた役目を完璧にこなさなくてはならない。
私は船をゆっくり岸に近づける。
今回の旅人は年老いた男だ。
私は無言のまま彼に手を差し出す。
「ありがとう」
その言葉とともに向けられた笑顔。もちろん初めて見る顔だ。
しかし、私はこの男を知っている。
先の女と同じように、すでに何十回となくこうして彼をこの船に乗せているのだから。
そして、これから先も――。
姿を変えて。形を変えて。時を越えて。
私たちは、この時の河で、何度も巡り逢う。
私は黙ったまま櫂を操る。男はじっと川面を見つめている。
きらきら光る水が一定方向へ静かに流れていく。
時の河は常に一定の方向へしか流れていかない。
過去から未来へ。昨日から明日へ。
しかしその先がどこへ続いているのか、またどこまで続いているのか、それは私にも、誰にも――きっと神にも分からない。
私はただじっと男の言葉を待つ。
時の河は流れていく。
過去から未来へ。既知から未知へと。
終わりなく、永遠に流れていく。
【おわり】
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