その他の短編小説
F
「俺は君と一緒にいる。君を置いていけと言うなら、俺もここに残る。この山の中で、君と二人で骨になってしまってもかまわない。君と離れるくらいなら、死んだほうがましだ」
男がきっぱりとそう言うと、女は悲鳴を上げて顔を覆った。
「ああ、何てことを――」
女は身を反らし男の背中から崩れ落ちた。
両手をついて女が地面に伏せると、その場所からゆっくりと霧が消えて行く。
男が驚いたように足元を見ると、そこにはたくさんの花が咲いていた。
白い花、赤い花、黄色い花……色とりどりの花が辺り一面に咲いている。
その美しさに男は息を呑んだ。
そんな男へ、蹲ったまま女は悲しそうに言う。
「ああ、早く――早くこの場から立ち去って。今ならまだ間に合う、まだあなたの言葉は山の神に届いていない」
女の言葉に、男は驚いて大きく目を見開いた。
「何だって?いったい何を言っているんだ?」
男の問いかけに、答えるはずの女の姿はもうそこにはなかった。
ただそこにあったのは、一輪の青い花。
「ああっ?!」
男は声を上げた。
青い花は風に揺れて、早く早くと男を急かす。
だが男はそこに立ちすくんだまま、じっと青い花を見つめていた。
この花だ。
間違いなくこの花だ。
自分の心を捕らえ、自分を山に登らせたのは。
男はただただその青い花を見つめていた。
そんな男を花はなおも急かすように揺れる。
早く、今なら間に合う、早く――。もの言わぬ花は必死に訴える。
けれど男はその場から一歩も動こうとはしなかった。
やがて男はその花のもとにゆっくりと跪く。
そして、両手で優しく花を包んだ。
「いいんだよ。もう……」
そう言って男は目を閉じると、地面にゆっくりと倒れこんでいった。
風に揺られて、二輪の花が咲いている。
一つは天上の青。
もう一つは、その青に寄り添うように。
二つの花は空を見上げる。
二つ並んで、仲良く風に揺られながら。
《了》
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