万華鏡
A
池脇先生は、その翌日から数日間ほど学校を休み、やがていつものように元気な顔で登校してきた。
「おはよう、みんな。心配かけてごめんね」
そう言って屈託なく笑い、ひどい風邪をひいたとか何とか説明していたのを覚えている。
その顔には、あの涙の名残りなど少しもなかった。
それからしばらくして、冬休みに入る前に、先生は学校を辞めた。
理由は分からない。
池脇先生の代わりに、新学年が始まるまでの四か月間だけ僕らのクラスを担任することになった教頭先生は、「事情があって実家に戻られた」とだけ言った。
いったい池脇先生にどんな事情があったのか。
それは結局今でも分からないし、別段知りたいとも思わない。
今まで数多くいた教師の中で――それこそ小学校から大学まで数え切れないほどたくさんいた――、なぜ彼女のことをこんなにはっきりと覚えているのかさえよく分からない。
たまにお説教されたりして「うざいな」と感じたこと以外は、特に記憶に残るような先生ではなかった。付き合いだってほんの数か月しかなかった。
「……」
僕は目の前に咲く紫陽花の花をぼんやりと眺める。
そこに、池脇先生の泣き顔が重なる。
「……」
そして唐突に思った。
もしかしたら、あれが僕にとっての初恋だったのかもしれない、と。
「まさか、ね」
苦笑いしながら、その突拍子もない考えを振り払う。
そう、そんなことあり得ない。相手は二十近くも年上だったし、それに今思い返してみても、先生はちっとも僕の好みのタイプじゃない。
それなら何で忘れられないのかな……。
答えが分からないまま、僕は紫陽花の花を見つめる。
薄紅を帯びた、青のような、紫のような。まるで雨の色を写し取ったような、不思議でつかみどころのない色。
――先生、今、元気で笑っていますか?
《終わり》
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