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万華鏡
D
 「岩谷――!」
 後を追いかけようとしたが、すでに岩谷の姿はなかった。
 そこには田んぼから吹き上げる冷たい風に揺れる曼珠沙華の小さな一群があるばかり。まるで最初から彼以外には誰もいなかったかのように。
 「何だよ、あいつ」
 思わず洩らした言葉も、秋風があっという間に運んでいってしまう。
 現れた時と同じように、岩谷はごく自然に彼の前から姿を消した。




 それから数か月後の冬のある日、彼は珍しく母からの手紙を受け取った。
 単なる筆不精なのか或いは根っからの放任主義なのか、遠く離れて暮らす息子に滅多に便りなど寄越さない母である。何事だろうと思いつつ封を開けてみると、そこには一昨年結婚した兄の要(かなめ)と兄嫁の名が書かれていた。
 「へえ、義姉(ねえ)さんに赤ちゃんが出来たのか」
 そう呟きつつ何の気なしに空を見上げた彼の脳裏に、突然、あの時の岩谷の横顔と曼珠沙華の鮮やかな花の色が蘇った。
 『また逢えるさ』
 そう言った岩谷の瞳は静かな自信に満ちてはいなかったか。
 まるで彼との再会を確信しているかのように。

 「まさか、な」
 自分の中に浮かんだ考えに思わず苦笑する。
 いくら何でもそんな偶然があるはずはない。いくら何でもそんな都合の良い奇跡が――。
 「そうだよな。あり得ないよな」
 そう笑い飛ばそうとしたものの、ひょっとしたらという疑問がどうしても拭えない。
 「……」
 彼は何とも妙な気持ちで、よく晴れた冬の青空と母からの手紙を数回ほど交互に見た。


 果たして彼がその答えを知るのは、まだまだずっと先のことである。





《終わり》



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