万華鏡
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■雨月の使者■
今日もまた雨が降っている。
『雨月(うげつ)』とはよく言ったもので、今月に入ってからまだ一度もお天道様の顔を拝んでいない。
「雨は嫌いじゃないけれど、さすがにこう毎日だとなぁ…」
少しうんざりした口調で彼がそう言った時、ふいに前方からひたひたと歩いてくる者があった。
(おや?)
彼は不思議そうに手に持っていた傘の端を上げる。
この先には彼が住む家しかない。留守中に誰か来客でもあったのだろうか。
案の定、少し破れた傘の透き間から見えたのは、懐かしい友の顔だった。
「岩谷(いわたに)?」
驚きながら声をかけると、
「やあ。元気そうだな、相模(さがみ)」
そう笑う顔は、数年前に別れた時と少しも変わらない。
――俺、巴里(パリ)へ行って絵の勉強をしてくるよ。
そう言って船に乗った岩谷を、学生時代の仲間数人と見送った。あれはどれくらい前のことだったろうか。
以来ただ一度だけ手紙を寄越したきりで、何の音沙汰もなかった薄情な親友が、何も告げずいきなり訪ねて来たのである。これで驚くなと言うほうが無理だろう。
「お前、今までどうしていたんだ?何の連絡も寄越さないで。みんな心配してたんだぞ」
彼が詰め寄ると、岩谷は悪びれもせずに軽く言う。
「悪かった。いろいろと忙しくてな」
「それにしたって、返事くらいくれたっていいだろうに。僕の手紙、ちゃんと巴里まで届いていたのだろう?」
「ああ。作家になったって。凄いな」
そう言って、岩谷は眩しいものでも見るように、目を細めて彼を見つめた。それから妙にしみじみした口調で、
「本当に羨ましいよ。お前は、ちゃんと夢を叶えたんだものな」
「まだ駆け出しだけれどね。それより、立ち話もなんだ。家に寄っていってくれ」
「いいのか?」
「ああ。あいにく今日はお手伝いの人が休みだから、大したもてなしは出来ないが、男二人で塩をつまみに一杯やるのもよかろう」
笑顔で提案する。
「そうだな。昔みたいに、な」
岩谷も嬉しそうに笑った。
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