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万華鏡
B
 
 兎にも角にも、彼は秋刀魚を買いに出かけることにした。
 出かけるついでに、来週締め切りの小説の原稿も送ってしまうことにする。担当編集者も早い分には文句を言うまい。
 彼が住んでいるのは、四方を山に囲まれた小さな村の一角なのだが、川を越えて、少し足を伸ばせば、駅もあり郵便局もあり、小さいながら立派な商店街もあった。
 その商店街の角にある魚屋は、安くて新鮮な魚介類を豊富に取り扱っているので有名だ。あそこならば、よく肥えて脂ののった秋刀魚が手に入るに違いない。
 彼は足取りも軽く川沿いの砂利道を歩いていった。

 駅前の郵便局で東京の出版社へ送る原稿を出し、くだんの魚屋でお目当ての秋刀魚を手に入れてから、斜め向かいにある八百屋へも立ち寄る。
 焼き秋刀魚といえば、当然のごとく大根おろしが付き物だろう。
 青首の太い大根を手に、勘定をしてもらおうと顔を上げた彼の鼻先を、ふわりと甘い香りが掠めた。
 「何だろう?」
 香りを辿って視線を落とせば、店先に山積みされた梨が目に入った。かすかに芳香を放つふっくらとした実は見るからに瑞々しい。
 その中の一個を手に取り、彼はうっとりとその香りを嗅いだ。ここにもひとつ、確かな秋の気配が感じられる。 
 「そうだ」
 あることを閃いて、彼は上機嫌で八百屋の女将に声をかけた。
 「この梨を、……そうだな、十個ほどいただけますか?」
 彼が言うと、いつも愛想のいい女将は目を丸くした。
 「あら、先生。お一人でそんなに食べなさるんですか?」
 「いや、僕が食べるのじゃないんです。雪枝さんのお宅に持って行こうかと思って」
 「山村さんのとこに?」
 「ええ。花枝(はなえ)さんが残暑でまいってしまったらしく、あまり食欲がないそうなんです。ひょっとして果物だったら食べられるんじゃないかと思いましてね」
 雪枝の姉の名前を聞いて、女将は大げさに声を上げた。

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