万華鏡 D 彼女はしばらくその便箋と、机と膝の上に咲いた山桜の花びらを見比べていた。 そうしているうちに、つい先刻まで湧き上がっていた心の奥底の澱のようなものが、いつの間にか落ち着きを取り戻し、またもとの場所に納まっていくように思えた。 山桜の淡く優しい色に、彼女の心まで染められていくかのように。 「本当。遥一郎さんらしいわね」 そう言って、彼女はくすりと笑いを洩らした。 そう。いつだって遥一郎は彼女の予想外のことをしてくれる。そして、いつも彼女を笑顔にしてくれる。 たとえそばにいなくても―――。 「ありがとう、遥一郎さん」 彼女は満面の笑みを浮かべると、散らばった花びらを集めてひとまとめにした。 それから、書棚から厚めの本を一冊取り出して、真ん中のページを開く。遥一郎がくれた桜の花びらを白い紙で包んで、そこにしっかりと挟み込んだ。 『山からの花便り、ちゃんと届きました。 いただいた桜は押し花にして、後でしおりをこさえようと思います。 いつも持ち歩いて、疲れた時はそれを見て、遥一郎さんの暮らす山の景色を思い浮かべるようにします。 本当にありがとうございました。 楓』 書き終えた手紙を眺めて、彼女は満足そうにほほ笑んだ。 そのまま何気なく窓の外を見ると、やわらかな朧月が濃紺の空に浮かんでいた。 「この月を、遥一郎さんも見ているかしら?」 そんなことを呟いて、彼女は静かに本を閉じた。 東京ではもうすぐ新緑の季節を迎える。 そんな晩春の日の出来事。 《終わり》 ※文中に出てくる柚木楓嬢は、『Burn With Love For...』の柚木楓さまからお名前をお借りしておりますが、実物の楓さんとは一切関係ありません。実物はもっとずっと素敵な方です。 [前へ][次へ] [戻る] |