万華鏡
B
彼はよく彼女に言う。
「楓さんの人生ですから、楓さんの思うように生きたら良いんですよ」
こんなことを言う男性にはまずお目にかかったことがない。
でも、だからこそ、彼女はそんな彼のことが好きだった。
彼の突拍子のない所も、妙におっとりとした暢気さも、折々に送られてくる彼からの手紙も、彼女にとっては大変好ましく感じられた。
「……」
遥一郎のことを考えて、彼女の憂鬱さが少しだけ増す。
兄に言われるまでもなく、彼女なりに不安に感じることもあるのだ。
こんな風に好き勝手している自分を、遥一郎は本当に好いてくれているのだろうか。彼は優しい人だから文句のひとつも言わないだけで、もしかしたら自分との婚約を後悔したりしていないだろうか。
普段は心の奥底にしまってある小さな不安。
それらが、兄との口論がきっかけで、収拾がつかないくらい膨れ上がり、気弱になっている彼女を呑み込んでしまいそうになる。
「駄目だな、こんなんじゃ」
うっかり暗い思考に走りそうになる自分を叱咤して、わざと明るい声で呟いてみる。
気を取り直して、机の上に置いてあった数通の郵便物を手に取った。
ほとんどが仕事関係の手紙だ。事務的な茶色い封筒やよれよれになった航空郵便など。
だが、その中に一通だけほかの手紙とは趣の違うものを見つけて、彼女は慌ててその手紙を抜き取った。
「やっぱり」
差出人の名前を見て、思わず彼女の頬が緩む。
のんびりした性格の割に丁寧で几帳面なその文字を見ると、どうしてか分からないけれど笑みがこぼれてしまうのだ。
「遥一郎さんたら、また何か不思議な事にでも遭遇したのかしら?」
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