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万華鏡
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■花便り■




 その日の彼女は「ただいま」を言う気力もないくらい疲れ果てていた。
 幸いにも家には誰もおらず――父と兄はまだ会社にいるだろうし、母は昨日から旅行に出ている――お手伝いさんに軽く挨拶して、さっさと自分の部屋へ引っ込んでしまう。
 肉体的にももちろんだが、たぶんそれよりも精神的な疲労が強かったのではないだろうか。
 なかなかうまく進まない海外との取り引き、日本との感覚の違い、それから兄とのちょっとした口論。

 保守的で昔かたぎの兄には、何度説明しても欧米の合理的で無駄のないやり方が分かってもらえない。そもそも、若い頃から外国へ留学して、今も父と兄の仕事を手伝うため海外へ行くことの多い彼女の、当代の女性らしからぬ革新的な生き方・もののとらえ方は、兄から見るとかなり理解に苦しむらしい。
 曰く、
 「女性の幸せというのは、良い亭主に嫁いで家を守ることにある。お前のようにほいほいと海を渡り、大切な許婚殿を放っておくなど言語道断。そんなだといつか遥一郎(よういちろう)君にも愛想をつかされるぞ」
 なのだそうだ。
 ついでに、「お前は生まれてくる時代を間違えたのだ」とも言う。あと五十年か百年ほど遅く、二十一世紀にでも生まれれば、彼女のように自立心旺盛で活動的な女性でも、社会から奇異の目で見られることはなかったかもしれない、と。
 こういう考え方をするのは何も彼女の兄に限ったことではなく、今の日本という国ではごく一般的な意見であるのだろう。

 だが彼女はそうは思わない。
 彼女は『普通』とか『一般的』という言葉が嫌いだった。そして何より「女はこうあるべきだ」という押し付けが嫌だった。

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あきゅろす。
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