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万華鏡
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 懐かしい思い出と共に当時の切ない気持ちまで蘇ってきて、私は大きく息を吐いた。手の中で、封筒と同じくらい色褪せた桜色の便箋がカサリと乾いた音を立てる。
 「……まあ、今となっては、若かりし日の遠い思い出ね」
 ため息混じりにそんなことを呟くと、部屋のドアが前触れもなく開いた。
 「まだ片付けは終わらないのかい?」
 「あ、ええ。もう少しかかりそうかしら」
 「そうか。お茶を淹れようと思うんだが、君もひと休みしないかね?」
 「ありがとう、いただくわ」
 「じゃ、準備しておくよ」
 そう言って去っていく夫の背中を見ながら、私は思わず苦笑してしまう。

 ねえ、あなた。
 あの時あなたがくれた手紙が、今もこうして私の手の中にあると知ったら、あなたはさぞ驚くでしょうね。



 あの別れから数年後、女学校を卒業して花嫁修業をしていた私に、父の友人がもってきた縁談話。まさかその相手があの手紙の学生だったなんて、いったい誰が想像したかしら。
 お見合いの当日、仲人さんのお宅で顔を合わせた時の驚きようといったら。
 長い人生の中で、あんなに胸がドキドキしたのは、後にも先にもあの時だけよ。
 いえ、正確には二度目ね。一度目は、桜の木の下で、あなたにこの手紙を渡された時だった。

 それからあなたとのお付き合いが始まって、やがて結婚して、子供が出来て……。ずいぶん長い時間を一緒に過ごしてきたわね。
 私はその間とても幸せだったわ。そして、もちろん今も幸せよ。

 でも、私はまだあなたにこの恋文の返事をしていないの。
 だから、いつかきっと返事を書くわ。
 この手紙のことさえ、あなたはもうとっくに忘れているでしょうけれど。
 いつか――そうね、私とあなたがもう少し年を取って、あなたがあの頃のことなどすっかり忘れてしまったら。その時は、今度は私があなたに恋文を送ろうと思う。
 桜色の便箋に瑠璃色のインクで、きっとこう書くの。

『いつもすぐ隣であなたを見ています。
 私は、あなたが好きです』
 
 


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