万華鏡
E
「おかしいなあ。若いんだけど白髪の、大層綺麗な顔をした男の人なんですけど……。雪枝さんはご存じないですか?」
「知りませんねえ。もしそんな人がいたら、ここいら中の噂になってますよ。どこか他所の土地の方なんじゃないですか?」
雪枝に言われて、そう言えばそうだな、などとのん気に考える。
ここは、彼のように、わざわざ東京から移り住んできた小説家というだけで『変わり者』と噂されるような――本当はそれだけの理由ではないのだけれど――土地柄だ。あのように目立つ人物がいたら、それこそ彼の耳にだって入ってこないことはないだろう。
「おかしいなぁ。旅行者ででもあったのかな?」
そう言いながら、彼はすぐに心の中で否定した。
あの人物の様子は、この土地にとても慣れているようだった。それに、彼は言ったではないか。
「私はもうこちらに長く居ますから。郷里の言葉も景色も、すでに時の彼方へと消え去りました」――と。
「……」
彼はしばらく考え込んだ。
そんな彼に、洗濯物を抱えた雪枝が思い出したように言う。
「そうだ、先生。川沿いに柳の木が何本かあるのを知っていますか?」
「あ、ああ。うん。知ってますよ」
それが何か、と問いかけると、雪枝はちょっと悲しそうに顔を顰めた。
「あの柳、来月にはすっかり切ってしまうそうですよ」
「どうして?」
彼は瞠目して尋ねた。
雪枝はますます顔を顰めながら、ぽつりぽつりと語る。
「川沿いの道路は往来が多いので、今よりもっと広く大きくするんだそうです。きちんと舗装もして、ついでに、見栄えが良いように桜並木にする計画だって聞きました」
「……」
では、あの柳の木は処分されてしまうのか。
遠い異国の地で、長い年月をこの土地の人たちと共に生きてきたというのに。こんなにもあっさりと切り捨てられてしまうのか。
そう思って、何とも苦い気持ちになった。
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