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万華鏡
C
 (久しぶりに顔を見に行こうか)
 彼が心の中でそう思った時だった。
 「時は決して待ってはくれないものです。ひとはいつも、後からそのことに気づくのです」
 まるで彼の心を見透かしたように、白髪の人物が小さな声で言った。
 その瞳は限りなく澄んで、まるで時間も空間も越えて、はるか遠い故郷の景色を見つめているようだった。静かな横顔には何の感情も見られない。

 彼はふと思いついて、その人物に尋ねた。
 「そう言えば、詩にもあったように、柳絮が舞うのは春のはじめ頃ですよね?」
 「そうですね」
 「それなのに、どうしてここの柳たちは、今ごろ種なんかつけているんでしょう。ずいぶん気の早い柳たちだ」
 彼が苦笑まじりに言うと、その人物はゆっくりと彼を振り返り、それから嫣然とほほ笑んだ。その艶やかな笑顔に、同性だと分かっていながらも、彼はつい見惚れてしまう。
 「失礼ですが、お名前は?」
 笑顔のまま問われて、彼は素直に口にする。
 「相模遥一郎(さがみよういちろう)といいます。この先の細い道の突き当たりに住んでいるんですよ」
 「そうですか、そうですか」
 彼の返答に、白髪の人物は満足そうに何度も頷いた。
 それからついと手を伸ばし、ふわふわと風に舞う柳絮のいくつかを掴むと、それを彼の手にそっと握らせた。
 「あの……?」
 彼が戸惑っていると、その人物はまたにこりとほほ笑んだ。
 「いつか――もしもあなたが中国を訪れることがありましたら、これらを故郷の土へ還してやってくれませんか?いえ、もちろん、もしもそんなことがあったら、で良いのです。決して無理にとは言いません」
 「はあ」

 果たしてそんなことがあるだろうかと甚だ疑問に思いながら、それでも相手の真摯さに、彼はついつい曖昧に返事をしてしまう。
 「たぶん無いとは思いますが、万が一そんなことがあったなら、この柳絮を忘れずに持って行くことにしますよ」
 いかにも自信なさげに言うのだが、相手はそれで十分満足したようだった。
 もう一度、彼の手を強く握り締めると、
 「ありがとう」
 晴れやかに笑った。



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あきゅろす。
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