万華鏡
B
「知っていますか?これらはその昔、友好の証として、遠く海の向こうからやって来たのですよ。それが長い時を経て、今ではすっかりこの土地の風土に馴染んでしまいました」
「中国から贈られた柳でしたか」
説明を聞きながら、彼は感心したように頷いた。
「そう言えば、あちらでは春になると柳の種子が風に舞い、それがまるで雪のようだと聞いたことがあります。その様子を詠んだ漢詩などもありましたね」
白髪の人物はかすかに頷くと、歌うように口ずさんだ。
「二月楊花輕復微
春風搖蕩惹人衣
他家本是無情物
一向南飛又北飛」
『二月 楊花 軽復た微
春風 揺蕩として人の衣を惹く
他家 本 是れ無情の物
一向に南に飛び 又た北に飛ぶ』
(二月の柳絮は軽やかにまた微かに
春風に揺れて 人の衣にまといつく
もとから感情の無い物ゆえに
南へ飛んだかと思うと また北へ飛んで行く)
嫋々とした響きを持つ声に、彼はうっとりと聞き惚れる。
「良いお声ですね。それに発音が完璧だ」
暗に大陸の出身ではないかという意味を含めて彼が言うと、白髪の人物はにこりと微笑した。
「いや。私はもうこちらに長く居ますから。郷里の言葉も景色も、すでに時の彼方へと消え去りました」
「そうですか」
神妙に言う彼に、その人物は優しく目元をほころばせる。そして、
「この風は、はるか大陸まで吹くのでしょうか」
独り言のように呟いた。
「柳絮は風に乗り、どこまでも遠く飛んで行くといいます。それならば、せめてこの中の一つか二つでも、かつての故郷へ辿り着くものがあるでしょうか……」
それは諦めにも似た静かな独白だった。
彼はその言葉にじっと耳を傾けながら、意識は遠く離れた人のもとへ飛んだ。
彼と彼女を隔てるものは、ほんの少しの時間と距離。会いに行こうと思えばいつでも会いに行ける。けれどそのことに甘えて、本当に大切なものを失いたくはない。
柄にもなく、彼はそんなことを考えた。
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