万華鏡 B 「先生。先生にお客様ですよ」 さっそく告げに行くと、そこに彼の姿はなく、彼女は慌ててきょろきょろとあたりを見回した。 「先生?」 少し大きな声で呼ぶと、庭のほうからのんびりとした声が聞こえた。 「雪枝さん、こっちこっち」 敷石の上に置いてあるつっかけを履いて彼のそばに行くと、彼は顔を上げて空の一点を見つめていた。 「ほら、見てください。虹が出ていますよ。大きいなぁ」 感心したように言う。 相変わらずマイペースな彼に、彼女はすっかり呆れてしまう。 「お客様ですよ、先生」 「僕に?」 「はい。とっても綺麗な女の人です」 そう言われて、彼は不思議そうに首を傾げる。 「はて?そんな知り合いには心当たりがないけれど?」 「お世話になったお礼に伺ったとおっしゃってましたよ」 「うーん。ますます心当たりがないな」 彼は首を捻り、必死に記憶の糸を手繰ろうとする。 「とにかく、客間にお通ししてありますから、さっさと行ってくださいましな」 「あ、はいはい。今すぐ」 そう言うものの、とても急いでいるとは思いがたいゆっくりした足取りで、いかにも名残り惜しそうに庭を後にする。 縁側に上がりかけたところでもう一度振り返ると、 「ね、あそこ。見事な虹でしょう」 得意げに空を指さした。 その顔が何だか子供のように見えて、彼女はついつい笑いたくなってしまう。だがそれをぐっとこらえて、 「ほら。早く行ってくださいよ」 厳しい顔で彼を睨みつけた。 「はいはい。まったく雪枝さんは厳しいなあ」 笑いながら言って、くるりと背を向ける。 その背中に、 「先生が暢気だからですよ」 小さな声で言ってやったのは、果たして聞こえたのだろうか。 [前へ][次へ] [戻る] |