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万華鏡
A
 彼女は諦めたようにため息をつくと、視線をまた窓の外へと向けた。
 「夕飯、何が食べたいですか?」
 「そうですね…」
 彼が言いかけたとき、玄関のガラス戸を叩く音がした。
 「誰でしょう?」
 尋ねながら彼を振り向くと、さあ、とばかりに肩をすくめられた。
 「編集さんじゃないんですか?原稿の取り立てに」
 「借金取りみたいな言い方をしなさんな」
 声を立てて笑う。それから、
 「溝口(みぞぐち)君ならつい一昨日に来たばかりでしょう。皆藤(かいとう)さんのほうの連載の締め切りは来週ですし、石井(いしい)君の所には速達で送ることになってます」
 彼女にもすっかり顔見知りになった出版社の担当者の名前を次々に挙げていく。こう見えて、彼は結構な売れっ子作家なのだ。
 「雪枝(ゆきえ)さんの知り合いじゃないんですか?」
 「まさか」
 家族や友人が彼女の仕事場に訪ねてくることなどあり得ない。何かよほどの急用でもあれば別だろうが。

 そうこうしているうちに、またしても玄関の戸を叩く音がした。
 「はぁい。今参ります」
 とにかくこれ以上客を待たせるわけにもいかない。
 白い割烹着の皺を軽く伸ばしながら、彼女は慌てて玄関へと向かった。
 「少々お待ちください」
 急いでガラス戸を開けると、そこに立っていたのは妙齢の美しい女性だった。手に紫色の風呂敷包みを携えているのだが、それが妙に細長い。
 「ごめんください」
 優雅に一礼して、すいと玄関の中へ身をすべり込ませる。
 その仕草が流れるように美しく、同性でありながら彼女はついつい見惚れてしまう。
 「小説家の相模遥一郎(さがみよういちろう)先生のお宅はこちらでよろしいのですよね?」
 「あ、はい。間違いありません」
 彼女が頷くと、
 「よかった」
 女性はにっこりとほほ笑んだ。


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