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万華鏡
B
 「俺、お前が羨ましいよ」
 突然そう言われて、彼は今度こそ面食らってしまう。
 「いきなり何を言うんだよ、岩谷」
 照れたように頬を紅潮させる彼に、岩谷はやはり真剣な瞳で語りかける。
 「だってそうだろう。お前は自分のやりたい事とやるべき事をちゃんと知ってる。しっかりと地に足をつけて、目的に向かって着実に進んで行くんだ。……昔からそうだった」
 「岩谷…」
 「俺はそんなお前が羨ましくてな。これでも、お前と肩を並べようと必死だったんだぞ」
 笑いながらそう言う岩谷の瞳は、けれどどこか切羽詰まったように必死で。
 彼はますます驚きながら、ふと学生時代のことを思い返していた。

 岩谷尚樹(いわたになおき)と初めて言葉を交わしたのは、大学の図書館だった。
 岩谷は一人で窓際の席に腰かけ、アポリネールの詩集を熱心に読みふけっていた。
 「すごいな。原文で読めるのかい?」
 思わずそう声をかけると、顔を上げて彼を見つめてきた。
 「ああ。少しだけどな」
 「へえ。僕はアポリネールというと『ミラボー橋』くらいしか知らないんだ」
 「……ミラボー橋の下をセーヌが流れる。夜が来て鐘が鳴る。日々は過ぎる。僕はとどまる……」
 「ああ、まさしくそれだ」
 彼が笑うと、
 「俺はこの詩が一番好きなんだ。いつか本物のセーヌの流れを見に巴里へ行くつもりだ」
 岩谷もにこりと笑った。その笑顔と言葉がとても印象的だった。

 「――僕のほうこそ、いつもお前が羨ましかったよ。覚えてないかな?お前さ、いつだったか僕にこう言ったろう。『俺が絵を描くのは本能のようなものだ。描かずにはいられないから描く。きっと生まれ変わっても、俺は絵を描くと思う』って」
 「そんなこと言ったかな?」
 首を傾げる岩谷に、
 「言ったさ」
 彼は呆れたように吹き出した。
 「それを聞いて『こいつ、凄いな。僕も負けてられないな』と思ったんだ。お前が巴里に行くと言い出した時も、やはりお前は凄いと思った。僕にはお前みたいな情熱も根性もないけれど、僕なりのやり方で夢をかなえようと、あの時ひそかに誓ったんだ」

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