万華鏡 H そうして瞬く間に歳月が流れ、亡き六の宮のことも、忘れ形見の姫のことも、世間がすっかり忘れ去ってしまった頃のことだった。 ある夏の夜、思いがけない来訪者が、朽ち果てた屋敷を訪ねて来た。 「もし、どなたかおられませんか?」 背丈よりも伸びた雑草の間から、濃い紫色の狩衣を来た公達が現れた。 「どなたもおられませんか?」 公達が問いかけるが、屋敷からは何の返事もない。人の気配も感じられない。 時折吹く山風だけが、ひゅうひゅうと音を立てながら通り過ぎて行く。 「やはり誰もいないか……」 公達はがっくりと肩を落として、その場を立ち去ろうとした。 その時――、 「何か御用でしょうか?」 所々壁の剥がれ落ちた屋敷から、澄んだ声と共に、一人の若い女が顔を覗かせた。 公達は畏まってお辞儀をすると、ばつの悪そうな様子で女に尋ねた。 「この屋敷の女房殿か?実は以前、ここに知り合いが住んでいたものでな。ずいぶん昔のことゆえ、もうその知り合いは住んではおらぬだろうが。偶然近くを通りかかり、懐かしくてつい立ち寄ってしまったのだ」 どこか言い訳するように言う男に、女はにこりと笑ってみせる。 「どうぞ」 「は?」 公達は驚いたように女を見た。 女は相変わらず笑顔を浮かべたまま、公達を奥へと誘う。 「どうぞ、こちらへ。主が待っております」 「あ、ああ」 公達は女に促されるまま、屋敷の中へと足を踏み入れた。不思議と警戒心は湧かなかった。 しばらく廊下を進むと、女はここで待つように公達に言い、どこかへ去って行ってしまった。 部屋の入り口にかけられた御簾の前で、公達はそわそわしながら立ち尽くしていた。 すると、 「誰?浅黄なの?」 聞き覚えのある声に、公達の瞳が大きく見開かれる。 「まさか、妙姫?妙姫なのですか?」 半信半疑で、それでも必死に問いかける。 ほんの少しの間の後、小さな戸惑うような声が聞こえた。 「……朔仁様?」 そう言いながら、ぼろぼろになった御簾から差し出される白い手。 公達――すっかり壮年となった朔仁は、食い入るようにその手を見つめた。見間違うはずがない。間違いなく妙姫だった。 「妙姫!」 朔仁は堪らずに、その手を引き寄せた。 ふわりと懐かしい香りが漂う。 その瞬間、熱い感情が朔仁の胸に湧きあがった。 [前へ][次へ] [戻る] |